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慎重な楽観主義で目標を狙うのが宜しいんだそうです

若い頃から絶望的になったりしても、直ぐに私は運がいいから、何とかなるさとか考える方だった。

小さい時期は出来ない事が多くて、同じ年の人が出来る事が出来ないのを嘆いたりしたが、自分でそう思ったのでは無くて、親に言われて考えただけであり、自身の精神医には余り影響してなかった。

親に駄目な子だと思い込まされても、何処かで他人事の成っていて、それで良いのだとバカボンのパパになっていたのだ。

「あんたの為に~」と云うのが母親の口癖で、私が家事を手伝うのも、私が勉強するのも、私がピアノを習うのも、みーんな私の為を思ってと言っているのだ。

『私の為』が本当だったのかは分からない、自分の為にしていなかったからね。

家事も親に喜んで貰いたいと思ってしていたし、勉強は好きな事しかしなかった、ピアノは趣味じゃ無いから練習もしなかった。

だから、私の為になっていたかは検証できない、だってさピアノも練習してなかったし、家事は父親が褒めてくれる(母にとっては当たり前)、文学は好きだから勉強した。

『私の為なのかな~。』との疑問には「今はなー、自分の為になって無いと思うかも知れんけど、後で絶対に役に立つ時が来るから。」と答えを出した。

私でさえ無いのに。

大事な事なのでもう一度言う、私でさえ無いのに。

短大に行った時にも、しまったな、もう少し勉強して居たら良かったかな?なんて考えた。

チラッと考えたそれは、直ぐに捨て去るね、だってね、確かにもっと勉強していい大学(この言い方は嫌いだが、言い換えるとテストで良い点を取った人しか入れない大学)で勉強して、良い会社(これも嫌な言い方だよね、大きくて給与のいい会社?)に入って、キャリアウーマン人っていたかもしれない。

でもそうじゃ無かったかも知れないし、違う大学に行っていたとしても、結婚してキャリアを捨てていたかもしれないし、それは解らない道の向こうに有るものだよね。

だから、自分の人生の選択は正しいとか間違って居るとかは解らないんだ。

自分で考えて見て、この道で良かったと思うし、私は運がいいと思っている。

我が母に依れば、勉強せんと大人に成ってから大変になる、他にも何かに頑張らんとええ人生は送れないらしい。

その点から言うと、私は一応自分の思っていた最悪の人生では無かった、駄目だった割には、是までの時間はいい感じに推移してきた。

これって心理的には良き事だそうだ、人間相当頑張っても、目標通りに行かない事例が多い。

そんな時には、出来ないから駄目なんじゃ無くて、じゃあ次に何をすれば良いとか、計画の立て方を変えようと考えると先に進みやすいようだ。

最良の結果を望むものの、期待を掛け過ぎないのが良いらしい。

慎重な楽観主義と言うのだそうだ、頑張っても人生が思い通りにいかなくても、目標を見失わないのが生きる時には必要なんだそうだ。

実は目標達成の充実感はすぐ消えるんだそうで、喜びは長続きしない様だ、人は手に入れると、次が欲しくなって、欲望の輪の渦に巻き込まれてしまう。

実は慎重な楽観主義は目標に向かう旅を楽しむ、最終的な結果よりも目標に向かっていく過程が楽しみになるのだ。

実は人間は悪い結果には余り傷つかない、未来の感情の予測は、自分お思っていたものではない場合が多い。

例えば、試験で学校を落ちた場合に、じゃあ途轍もなく悲観するかと言えば、そうでは無い選択肢を探して、それで満足したりする。

私は親にはいつも文句を言われていて、自己肯定感は低い、学校も理想の場所には行けなかったから、卑屈になって世を儚んだかと言うと、そうでも無かった。

仕事をバリバリしたわけでは無いけど、結婚して子供を持って、夫の会社の手伝いをするのは、また違った目標になった。

大事なのは現実主義と楽観主義を上手く組み合わせて、現実に目標を定めて、努力してゆく事なんだろう。

私の場合は努力では無く、人に恵まれたと思っている、親が自己肯定感を潰してくれたおかげで、自分で目標を持つ必要があるのが分かったし。

会社の経営が難しくなった時期も、夫の相続で迷った時にも、ちゃんと指導者がいたり、信金の支店長が顔を出して、教えてくれたり、こんな運がいい人は居ないんじゃ無いか。

そう思う位には運が良かったんだよね。

我が母が私が4人目を生んだ時に言った言葉が有る、「あんたは狡い、私はあんたが病気で苦労したのに、あんたは4人産んでも皆病気もしない。」

それは違うわ、私が頼まなかっただけで、子供は病気したし、斜視で手術もした。(命に係わる病気じゃ無いけどね)

人間みえてない物は無い物に成るのだな、いやー、素直にあんたの子は病気せんで良かったねと言えばええのにな。

それでも、この人がこんな風に育てたおかげで私が有るのだから、それは受け入れるべきところだよな。

1月4日に久しぶりで会った時に、「あんたは嫁に行ったから、よその子は違うでしょ。」と言ったら、それでもまだ「弟の嫁は来てくれたから、自分の子、あんたはよそに言ったからよその子。」と言っていた。

私の今の目標はあの人の言葉を、子供に使わないって事なんだよね。

まあ、気持ちは文で消化するとするかね。

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