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毒親

毒親という言葉をよく
聞くようになったのは
いつ頃からだろう
わたしの母は
毒親というカテゴリーには
当てはまらない気がする
というか、わたしは
幼いころは
母を愛していたと思う
父を亡くして
わたしたちを奈良の姉に預け
大阪で働いていた母
わたしが中学の時
わたしだけ奈良に残り
妹は大阪の母のところに帰った
妹はそこでとてもさみしく
辛い思いをしたらしい
そのことは母が死んでから
妹に聞いた

母は男の人と一緒にいた
それは仕方ないことだったと思う

高校入学と同時に
わたしも大阪に行ったけれど
先に行ってた母と妹が仲良く見えて
疎外感を感じ、また
奈良と大阪の環境の違いに
登校拒否になってしまった

母と男の人は
一緒の仕事をしていたけれど
わたしが一緒に暮らすようになってから
男の人は店にずっといて
母はわたしたちと暮らしていたから
夕食は店でみんな一緒だったけれど
それ以外は別だったから
あまり気にならなかった
それにその頃はいろいろ
自分のことで精いっぱいで
母のことを考えてる暇はなかった
結婚して母と離れるまで
一緒に暮らしていたとはいえ
母がどんな人かなんて
考えたこともなかった

わたしは母と仲が良かったと思う
でも
あるとき
20年位前かしら?
ほんの1年くらい
一緒に暮らしたことがあって
そのとき、
この人はわたしが思っていた人と違う
そんなふうに感じた
なんだかとても
不気味な、不穏な、ざらざらした感じ
それがなにかよくわからなかった
よくわからないけれど喧嘩した
いや、わたしはあまり人とけんかしない
したくないので
あいたくない、はなれていたい
かおをみたくない、距離を置きたい
そういう感じになってしまった
そして母が
家を離れた
そしてしばらくしたら
また元のような関係に戻った
離れていると普通にいい人
一緒にいると「不穏」な人
なぜそうなのかはわからなかった

母が脳梗塞で倒れ
入院や介護のことで
妹とゆっくり話す機会が増えた。
それまで大人になって
結婚してからお互い忙しく
家族一緒に会うことはあっても
「二人きり」でゆっくり話す
機会なんてあまりなかったし
母の話なんてしたこともなかった

だから母のこと
いろいろなこと
はじめてきくこと
いっぱいあった

彼女は、母は
嘘をつく人だった
人と人を仲たがいさせるような
そんな嘘をつく人だった


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