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お悔み

母の死を
近しい人にしか知らせていない
でも、どこからか
そのうちになんとなく伝わって
お悔みに来られる方がいる
きもちとしては
お断りしたい
でも
基本いい子ちゃんのわたしは
婉曲表現でしか断りの意思表示ができない
で、
「母のことはあまりお話ししたくない。
片付け中で散らかっておりますが
少しでよければおいでください」と
お返事してしまった
うん、おいでください、は
表現間違っていた。
少しの間でよければ‥‥にすべきだった。

で、来てくださった。
昨年、旦那様がお亡くなりになったときに
(詳しくはお聞きしていないが自死であったとか)
わたしもしばらくして落ち着かれてから
手をあわせに伺ったから、同じことだろう

わたしが母のことを
話したくないのは
母に対する複雑な感情を
まだ整理できないでいるから。
母の不可解な人生。

いつかこのことについて
書ける日が来るのだろうか
理解できないことは言語化できない
言語化することによって
理解が進むのかもしれないけど
わたしはそれを
わかりたくないのだろう
知るのがこわい
知りたくない
彼女の隠された気持ち

わたしは単純に生きたい
いろんなことを複雑にしたくない
それなりに社会性はあるから
TPOをわきまえ
他人との関係によって
言葉も態度もその場に
合わせることはするけれど
嘘とか偽るとかは
それを維持するエネルギーが
大変だからできるだけ避ける
自分が自分のままでいられるなら
それが一番ラク
ま、そうなると
自分って何?という問題が出てくるけれど
できるだけ素直に自然に、ということか?

母は嘘が多い人だった
わたしはあまりそれを知らなかった
感じてはいたけれど
(だから母を愛せなかった)
はっきりとは知らなかった

10数年前から
すこしづつ
母のウソが
はがれてきたけれど
まだわたしは
はっきり知らないでいた
知りたくなかったから
追求しなかった

ま、いまは考えないでおこう
考えてもわからない
考えたら疲れる
いつか
もう少し母の記憶が遠くになれば
考えられるかもしれない

そうだからわたしは
悲しんでいないから
お悔みは
辞退したい



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