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QOL (Quality Of Life)

今もずっと考えている
母の経鼻経管栄養を
外してよかったのか

母もそれを望んでいた
家族で話し合った
みんなそう思った

自分なら
あんなふうになって
あんなかたちで
生きていたくない
自分ならどうだ
食べられない
水も飲めない
身動きできない
寝返りもうてない
じっとベッドに寝ていて
うんちもおしっこも
人に世話してもらう
お風呂に3人がかりで
入れてもらう
1か月に一度?
尿道カテーテルを入れ替える
痛い
たんの吸引をする
苦しい
喉から鼻から
チューブを突っ込む
無理やり痰を取る
いつも口が渇いている
カラカラになっている
でもそれでも
栄養を注入していれば
少なくとも数か月から
数年
生物としての命は
維持できていた
そのほうがよかったのか?
あのまま認知機能が衰えて
何もわからなくなっても
生物として
命は続いていたら
そのほうがよかったのか

わたしがそう思うのは
母の介護から
解放されたいという気持ちが
経鼻経管を外すという
決定の中で
母のQOLと同じ
あるいはそれ以上の
大きさを持っていたかもしれない
そう思うからだ
その罪の意識からは
この先も逃れられないだろう


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