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カラーひよこと野犬とうさぎ。


年末に夫がコロナに罹かった。
症状自体は軽く済んだが、年寄りの集まる義実家と実家の集まりはキャンセルして自宅で過ごした。
しばらく実家に帰っていない。実家に帰りたい、というより、父が手入れをする実家の庭に帰りたい。一番ぼんやりできる場所だ。


父の趣味は釣りと車と庭いじり。
射手座の男の勢いはすごい。
とにかくどんどんやる。
どんどん植物が育ち、動物も沢山育つ。元気に増える。
私が子どもの頃は、犬、ウサギ、インコ、鯉、鳩、鶏、モルモット、金魚。
沢山の生き物がいた。


ツバメの巣から落ちたヒナを助けたり、小屋から逃げ出したウサギを捕まえに行った。飼っていたウサギは小さくも可愛くもなかった。ものすごく大きくて怖かった。近所の人から「うちの畑にいる」と通報をもらい、父が背中に大きな籠を背負って子どもたちと向かう。畑でもぐもぐタイムをしていたウサギを四方からじりじり近づいて捕まえた。モルモットは見るたびに増え続け、際限がないのでペットショップに引き取ってもらった。


子どもの頃の記憶は他にも思い出せるけれど生きているものの記憶はやっぱり強い。

動物好きの父は、情操教育、という名目で沢山の動物を育てた。私の子どもの頃の夢の一つは「ムツゴロウ王国に就職すること」だった。


今はもう見なくなった縁日で売っているカラーひよこ。弱くてすぐ死ぬ、と言われていたけど、全員すくすく育って大きな雄鶏になった。あの色のまま大きくなると思ったが雄鶏は普通の白で驚いた。食卓に上がるものは全て命である。父の提案で雄鶏を食べることになった。


今でも良く覚えている。裏の家のお爺さんにしめてもらって母が煮た。ほとんど食べるところが無かった。兄妹はみんな嫌がって食べたのは私だけだった。そのときは分からなかったけれど、普段食べている鶏肉は、品種自体が食用に改良されているのだと後に知った。


私が高校生のとき、裏山で兄が子犬を保護した。野犬の子どもだ。2匹いて、畑を荒らすたぬきか何かの獣を捕まえる罠のところにいた。
罠に掛かっていた訳ではない。ただそこにいた。発見時、親犬であろう野犬が吠えまくっていた。不審に思い兄が見に行ったら、子犬が2匹。親犬は逃げていった。


その後我が家と、もう1匹を2軒隣の近所の人が飼うことになった。親犬はしばらく子犬に会いに来ていた。近所の人と、親犬は育てられなくなって人間に頼ったのかねぇと言い合った。


関東近郊の田舎である実家近くの里山には都会から犬を捨てにくる人がいた。親犬は元々飼い犬だったのだと思う。首輪をしていた。


18歳で上京してから、東京暮らしのほうが長くなった。東京と言っても私の住む多摩地域は自然豊かな場所だ。
それでも野放図に広がる草木と、それをおおらかに受け入れる故郷が恋しくなる。


ベランダの洗濯物を取り込みながら手入れされた街並みを眺める。何をちゃんとした大人きどってるんだろう、と泣きたくなった。


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