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えばちゃんのこと

隣で眠る娘の顔を眺めて過ごす時間が好き。寒くなってきたこの頃は、寝るときにはまだ布団が冷たくて、「温めて」とくっついてくる。可愛い。ふと自分が子どもの頃を思い出した。


4兄妹の末っ子で、一番上の兄とは6歳離れていた。小さい子どもにとってはとんでもない差だ。チャンネル権はない。水を持ってこいとかオヤツは一番小さいやつだとか、なかなかしんどい。


同居していた祖母はしつけに厳しい人で、部屋が散らかっているとお小言を長々言われた。お小言も、母と折り合いの悪い祖母自体も好きじゃなかった。


同じ敷地内にもう一人、おばあちゃんが居た。祖父の姉にあたる人で、嫁に行った先から出戻ってきていた。小さな家を我が家の庭に建てて一人暮らしをしていた。名前が「エイ」だから、「エイばあちゃん」小さい私は上手く言えずに「えばちゃん」と呼んでいた。


私は毎日ここに入り浸っていた。


えばちゃんは、私が何をしてもダメと言わない。全部いいよと言ってくれる。全肯定だ。オヤツも食べ放題。祖母が作るふうきやきもちとか渋いやつじゃない。保育園の帰り道に駄菓子屋さんで買ってくれる。フィリックスのガム、きな粉棒、マーブルチョコ。おばあちゃんが移動販売の人から買っておいてくれるギンビスのビスケット、マリー。
ソーダ水をコップに入れて凍らせたり、家ではやらないことをやりたい放題やらせてくれた。 

テレビも好きな番組が見れる。じゃじゃまるとぴっころを一番見たのはえばちゃんの家だ。
「みんなのうた」の気に入った曲の歌詞を書き取って欲しいとか無理難題で困らせたりもした。でもえばちゃんはいつも笑っていた。

社交的なえばちゃんの家は近所の老婦人たちの溜まり場でもあった。そういうときのお茶請けは、〝カツオが甘辛く煮てある硬い四角い銀紙に包まれたやつ〟とか、〝ゼリーのような寒天のようなオブラートに包まれたやつ〟等、玄人好みのおやつが並ぶ。

ご近所の人の話や芸能人の話、全然分からない大人の話。その間、静かに〝カツオのやつ〟を食べたりしながら過ごす。たまに思い出したかのようにえばちゃんが、「わたしゃこの子が一番可愛いよ」と言う。


私が生まれる直前に同じ敷地内に越してきたようで、赤子のときからずっと見ているから可愛い、ということらしい。


その言葉を聞くといつも嬉しさ半分、少し不思議な気持ちになった。なんで何もしてないのに、えばちゃんは私のことをこんなに可愛がってくれるんだろう。


小学校高学年になると、家族より友だちと過ごす時間が長くなった。遠くの公園に自転車で行ってみたり、ぐんと世界が広がった。でも、えばちゃんちに行けば私の湯呑みでお茶を淹れてくれて、私の好きなお菓子を出してくれた。


中学に上がって部活で毎日帰宅が遅くなった。「学校いくとき、窓をコンコンと叩いていって」頼まれるまま、えばちゃんのうちの大きな窓を毎朝コンコン叩いた。
「いってらっしゃい」
「いってきます」

多分、この頃は話すことはこれくらいだった。この辺りから、大学進学までのえばちゃんとの記憶がおぼろげで、思春期の私はなんとなくえばちゃんと話すのが気恥ずかしいような気持ちがあったように思う。


私専用の湯呑み。私が描いたえばちゃんの似顔絵。みんなのうた、を全文書き取りしかけて途中で断念した歌詞の残り。
(「早すぎて一度には無理だよ」と途中になっていた)
えばちゃんの家に毎日寄らなくなってからも、そういうものは取ってあった。


大学への進学で、実家を離れることになった。間も無くして、えばちゃんは入院した。犬の散歩中、大腿骨を骨折してしまったのだ。寝たきりとなった。


お見舞いに行ったとき、同室の人にお菓子を買ってくるよう頼まれた。
「東京は怖いところだから、頑張るんだよ」と言っていた。それからしばらくして、えばちゃんは亡くなった。


葬儀のあと少ししてから見たことのないおじさんと父が話していた。
えばちゃんの生き別れた息子さんだった。育ての母親がいて、その人を大切にしている。小さな頃に生き別れたえばちゃんとの記憶はない。そう言っていたらしい。父とはお墓をどうするかということを話していた。


えばちゃんが亡くなってもう20年も経つ。なのにここ数日、えばちゃんとの想い出が思い出されて仕方ない。
中学のときも、高校のときも、もっとお茶飲みに行けば良かった。思春期の、年寄りと話すことないみたいな態度、えばちゃん傷付いたかな。あの湯呑みはどうしたんだろう。似顔絵、思いつきでその辺の紙に適当に描いちゃった。もっとちゃんと描くんだったよ。東京は怖いところでもなかったよ。私東京で優しい人と結婚したよ。娘、すごく可愛いよ。


あんなに全部許してくれる人、優しくしてくれる人、人生にそう現れない。それなのに、私、何もお礼してないな。何も返せていない。今更そんなこと言ってもどうしようもないのだけれど。

自分にも無条件に可愛いと思える存在ができて今更、えばちゃんにして貰ったことの大きさに気付いちゃったよ。

今年の夏にはお墓参りに行ったけど、またお正月にもいこう。
天国でお茶飲んでるかな。
今度は私がお茶菓子持っていくね。





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