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ディズニーで腰をいわして気付いたこと。


家族でディズニーランドに行った。
覚悟の上でのことだけど、アトラクションを待つ間、師走の寒さが堪える。寒気にさらされて冷たくなったアスファルト。靴の中で足が冷えていく。


それでも、舞浜駅に到着した瞬間から「歩くだけで楽しいよね!」と娘とキャーキャー言いあう。


入ってすぐにティガーと写真を撮った。メリーゴーランドの回転速度が思ったより早いと怯む娘をなだめながら乗って、プーさんのハニーハントには75分並んだ。ジャングルクルーズでは寒さのあまり鴨がクチバシを羽毛につっこんでいた。久しぶりに乗るカリブの海賊で岡田眞澄さん似の海賊を探した。

アトラクションに乗るときとお昼のとき以外立ちっぱなしだ。夕方になる頃にはもう全員クタクタになった。

それなのに夜のディズニーが綺麗でテンションが上がってしまった。ライトアップされたシンデレラ城を見ていたら娘をおんぶしたくなってしまった。
頼まれてもいないのにおんぶで歩く。



21キロ+着衣でずしんとくる重さ。腰にびーんとくる。腰の違和感を感じながら気付いた。私はこれと同じことをやってもらったことがある。


具体的な記憶がある訳じゃない。
だけど確かに同じことを母にやってもらったことがある。いや、今だってずっとやってもらっている。
嬉しそうな娘の顔を見ているともっと喜ばせたい。喜ぶ顔がみたい。
それは、母がずっと私に向けてくれた眼差しだ。


こんな風に書くと、さぞ素晴らしい母親で、良い親子関係なんだろうと思われるかもしれない。

母は愛情深い人だ。
でも私たちの親子関係がずっと良かったかと言うとそうでもない。



気分屋ですぐに気が変わる。そそっかしい。人の意見にすぐ左右されるし、思ったことをすぐ口に出す。小学校4年のとき担任の先生が好きになれなかった。それを母に漏らしたら、そのまま先生に伝えてしまうというトンデモ事件もあった。
先生にも「私のことが苦手って本当?」と事実確認された。
死ぬほど気まずかった。



姑と折り合いの悪かった母は、私たち兄妹に祖母の悪口を聞かせた。
家の中に険悪な雰囲気の大人同士がいる。大人がする本気の喧嘩は子どもにとって人生が揺らぐほど不安な気持ちになるものだ。


大人になってから私は母に対して素直になれない時期があった。親だから感謝はしている。大切にしなければと思う。だけど一緒にいると母の一挙一動に苛ついてしまう。

子どもが産まれたときに、母が手伝いに来てくれた。そのときに酷いことを言った。何を言ったのか思い出せないけれど、母を攻撃してやるという気持ちがあったことだけは覚えている。ホルモンの影響もあると思う。はるばる群馬から泊まり込みで手伝いに来てくれていた母は、その晩姉との電話口で泣いていたらしい。



生意気な私は、母がしてくれたことには気付くことなく、傲慢さで母を泣かせてしまった。

腰をいわしながら娘をおんぶして夜のシンデレラ城を見ていたらようやく分かった。

私が娘にしてあげたいと思うこと。
それは私が母からしてもらったことだ。
母にしてもらって嬉しかったことだ。注ぎたいのは、注がれて嬉しかった眼差しだ。


子どもがもっと小さいうちは、私なんかが子育てなんてできない、私のようになって欲しくない、と育児書を読み子育てセミナーに参加した。



でも結局、私は私ができることしかできない。ただ喜ぶ顔が見たい。ただ娘を喜ばせたい。立派な人になって欲しいとか、何かになって欲しいとか、本当のところは思っていなかった。そうしないといけないような気がしていただけだ。空気読んでただけだ。


母と私、私と娘。
縁あって親子という関係になった。
私が娘にしてあげられることは少ない。してあげられる期間も短い。


帰りの電車で眠ってしまった娘を駅から抱っこして帰途に着いた。いよいよ足腰はガクガクだ。でも私はこの先きっと何度も今日のこと思い出す。
可愛かったな。楽しかったな。
おんぶする?って聞いたら嬉しそうだったな。


もしかしたら、娘の言葉に泣いてしまう日が来るかもしれない。そのときは姉に話を聞いてもらおう。


私が母から貰ったものは、なんて良いものなんだろう。とんでもないもの貰っちゃってたよ。ディズニーで腰言わしながらようやく気付いたのでした。




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