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思い出話して良いですか②

前回の記事はこちらからどうぞ〰️↓

さて、時はさかのぼり、

16年前の旅の記憶です。

前の職場の労働組合記念企画「欧州視察8日間」に抽選で当たり行けることになりました。非正規労働者の実態報告を、スイスILO国際労働機構を訪問して行うという企画です。
私は1995年から非正規労働者として、子育てをしながら生協の配達スタッフとして働いてきました。この企画は私にとって、とても意義がある視察であり、この後の私の人生にも大きく影響したんです。(前職では、21年働きました)


資格も学歴もない私が一人前に収入を得ることが出来る唯一の手段は、とにかくがむしゃらに働くことでした。夫と、対等に生きようと思ったら、同じくらいの収入を稼げばいい。→(昭和の考えって言ったらそうだねー。専業主婦も多い世の中だったしね。)
そんな願いはむなしく、子育て中でのパートの稼ぎと夫の稼ぎとでは差が大きくあり、ヨーロッパでの子育て世代の男女の働き方や給料制度など、とても関心があったのです。

全国の生協で働く26人で出発!初対面の人ばかりでかなり緊張しました。
まずは円高(1ユーロ123円)でなんとなく得かも(でもユーロ圏 初めてなんで実感なし)

 オランダ航空(KL862便)アムステルダム行き

16年前も相変わらず機内飲みしていたようです。
最初はブリュッセルに到着でした。

まず思ったのが水が高い!ペットボトル500mlが2ユーロくらいするんですよね。(今は円安なので、もっと高いかもしれません。)ビールを飲んだ方がマシと考えるのは、タダの飲んべえだからです。

午前中、いきなり視察。

 ETUI(欧州労連付属研究所)訪問。時差ボケでかなり眠い。国際非営利組織で大学機関などと協力して職場の安全、衛生を保護し、研究しているらしい。通訳の女性(現地在住の日本人)のすばらしい対応にうっとり。

次にEU欧州議会訪問(国会?)議員さんの案内で説明をうけるはずだったが、日本の打ち合わせの手違いで、広い会議室に通されたが 誰もこなかった!

そんなことある??
手ぬるいぞ、生協連。でも通訳の方からベルギーの歴史や、女性の働き方、政治や通貨の話をたっぷり聞くことが出来ました。笑
視察いきなりポシャる!

ので、観光ですよーー!
\(^-^)/
(ちなみに政治家さんの視察と違って、今回はかなりの自己負担が課せられました。補助はありましたが、ほとんど自腹でした。)

憧れのグランプラス
夕飯は、ムール貝で有名な【シェ・レオン】というお店。 ここは、バケツ一杯ムール貝が出てくるらしい。 まずはベルギービールビール 私は白ビール!という酸味のあるビールをオーダー。 見てびっくり。テーブルに一つと思ったムール貝は一人分だった。 それに山盛りのフレンチポテトがついていた。
ユーロ札って、シワが無いんですよね。きれい!


翌日は、ホテル出発、ブリュッセル発、国際特急「タリス」3時間弱の陸の旅です。

何もかも初めての体験!


お昼のお弁当、(フランスパンにハムやチーズがはさんである、のとヨーグルト、水)をもらってわくわく乗車です。

みんな、3日目なのでだいぶ慣れてきて冗談も飛び交います。こちらの電車は発車ベルがないので、添乗員さんが
「列車の写真など、ホームで撮っていると、シャッターを押す手が、そのまま皆様を見送る手になってしまうのでご注意を」

と言って、皆を笑わせていました。

ビール飲みグループはさっそくラウンジで朝ビール。RAFFというブラウンビールがおいしかった。朝食のチーズをだれか、もってきていたので、それをつまみに。

アムステルダムの第一印象は、

「わ~ハウステンボスだ~!!」
失礼な!こっちが本物だ。

扇状に運河がとおっており、オランダの正式名称は「ネーデルランド」

低い土地という意味で国土4分の一は海抜0メートル以下。よく洪水や水害が起きないなーと感心します。
いたるところに水門があり、調節しているらしいです。

アンネの日記で実在のアンネ・フランクが2年間隠れて住んでいた家など、ガイドさんの案内で市内見学。
ここは、とても良かったです。

その後は自由行動だったので、1人でふらふらと歩きました。当時銀座で行列の出来ていたH&Mでお買い物することにしました。
北欧ブランドなのでこちらのユニクロといったところ?セーターとチェックのベレー帽購入しました。
(まだ、日本でオープンしたばかりだったのですね!先取り出来たのが嬉しい!!)

運河クルーズに行く人、ミッフィーの故郷ユトレヒトの町に行く人、いろいろ、、、、、、


私はここでしか見られない国立ミュージアムとゴッホ美術館に行くことにしました。4人グループでトラム(路面電車)に乗ったはいいけど切符の買い方がいまいち分からず、運転手さんに「ノーノー!!!バック!」といわれウロウロしていると、後ろの車両でおつりのある人は買わなければいけなかったんです。これも、いい勉強です!

当時、日本の上野でフェルメール展をやっていて、そちらに絵をもっていってる関係で、フェルメール作品は2点しかありませんでした。

アムステルダムは、とてもきれいな街でした。
まだまだ16年前の旅の記憶にお付き合いくださいませ。
                 つづく。








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