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なぜ力士になったのか?

自分は中学卒業し、すぐに角界に足を踏み入れました。
でも自ら望んで入門した訳ではないのです。

自分は三男で生まれたのですが一番上に長女が1人。
次男の時点で母親は女子が生まれてくる希望で、次男の兄と自分は
幼少期、女子なヘアースタイルでした。幼稚園に入る時にさすがに
その長く腰らへんまで伸びた髪の毛は馬鹿にされるということで初めての断髪。
すると自分はこの頃からみるみる巨大化していきました。
同級生の子とは頭一つ分大きく、横にも2人分ほど(笑)
謎なほどの急成長のスピード感は止まりませんでした。
上の写真の1番左は圭介少年です(笑)

この時すでに母親は「将来はお相撲さんだねー」と。
当時、僕は力士になる=お金持ち。と思っていてノリ気でした。
小学生に上がり母親は「勉強はしないでいいから遅刻せず休まず学校へ行け」
という感じで勉強しろなど言ってくるタイプではありませんでした。
授業や宿題はやるものの塾など行かず、友達と遊びに一生懸命。
バスケ部に入っていたけど、中2の夏休み前に退部。勉強そっちのけで
遊びはエスカレート。

すると中3のみんなが進路を決める頃、体がでかく勉強ができない僕に母親が
「あんたは力士かヤ○ザどっちかになれ!勉強できなくて、デカい図体してんだからそれしかないだろう!」‥‥‥すごい二択がきました(笑)

今思うと自分は母親の引いたレールにがっつりハマっていたのです。
勉強はしないけど学校は素直に行っていて体格もすくすくと豊かに。

この時代はめちゃくちゃ猛反発してました。力士になったら向こう何年かの人生が!
と焦り、ここから必死に勉強しましたが時すでに遅し。
母親の反対を振り切り無理矢理、都立の高校を受験しましたが見事に不合格。
「ほれ、ざまあみろ〜!はい、あんたはお相撲さん!」
中学卒業式をする前には大阪場所中の玉ノ井部屋へと新幹線で直行。
「何があっても最低3年はやってこい!」と母親に言われました。
この力士になるならないのやりとりをしている間、母親の事を鬼だと思っていました。ですが入門前夜に腹を括っており、勉強しなかったのは自分。どんな世界かもわからないけど3年はとりあえずやらないと!!!そう思っていました。

結果入門してから15年間、玉ノ井部屋に在籍しておりました。
高校生になり〜の生活をしていたら、自分の人生がどんなものだったのかと思うこともありましたが本当にたくさんの貴重な経験、一般社会では見られない世界を見れました。良い事も悪い事も本当にいろんな事が起きたけど、そこでの経験が今の自分の財産となっている事は間違いありません。


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