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私のセラピスト人生

会社員時代にセラピストスクールへ

私は高校を卒業してから7年間、今のセラピストという職業とは全く違う業界で会社員をしていました。

そこの会社はなかなかのブラック企業。

辞めたいと申し出ても辞めさせてくれなくて、でも辞めたくて辞めたくて。

上司を説得させるには、次の何を見つけたら承諾してくれるだろうと思い、そんな時に出会ったのがセラピストという仕事でした。

会社員時代の20代前半。

今考えれば、体力的に底なしの年代なはずなのに疲れきっていた私は、安いお給料から工面して毎月1回リフレクソロジーサロンに通うのを楽しみに生きていた。

今ではコンビニよりも多いという話を聞くマッサージ業界ですが、17年前はそこまでお店の数は多くなく、片道40分かけて車を走らせていたのが懐かしいです。

そんな感じで、セラピストとして癒す側にあこがれを持った私は、当時、青森という田舎では珍しく「アロマトリートメントスクール」を個人で経営されている50代の先生の所へ弟子入り。

何となくの憧れだったので、具体的に何をどのようにはじめたらいいのかは全く無知。

なぜか先生に言われるがまま初めに習ったのは「まつ毛パーマ」笑。

今じゃ全く役に立っていません!

「たくさんの人に触れることに慣れる」という意味ではいい経験と呼ぶのかは分かりませんが、友達の旦那さんが快くまつ毛パーマのモデルになってくれたことは今でも忘れません!


流れるままに共同経営

まぁそんなスタートでしたが、その後は全身のトリートメントとヘッドマッサージも習得し終えたころ、スクールの先生からサロンの共同経営のお話を頂きました。

右も左も分からない私はすんなりOK。
(この詳しい話は別記事にしたいと思います)

何とか辞めたい会社と並行してスクール通いをしていたので「これで仕事辞められる~」とバラ色な未来しか見てなかった・・・。

しかし現実はそんなにうまくいくはずがありません。

無収入で出費ばかり増えていくサロン経営の現実に早々リタイア。

経営についても接客についても集客についても無知過ぎた私には、いきなり経営者の身になるには早すぎたのです。

忍耐のサロン勤務時代。

だからといって、セラピストとして働くことは諦めていたわけではありませんでした。

そこでちょうど、「新規オープン!セラピスト募集」の求人を見つけ応募。

無事に内定をもらえたものの、なかなかオープンの話が進まず・・・。

「ここ(青森)ではオープンできそうにないから仙台に来てもらえないか・・・」と
当時借りていたテナントでは、サロン開業NGになったらしく仙台で新規事業としてサロンを開業したいから転勤してくれないか。
と社長の申し出。

サロン経験もない私でも新規事業を出来るのか?
とも思ったのですが、ダメだったら帰ればいいし、何事も経験と思って仙台行きを承諾しました。

若さと勢いで新しい道へ進みましたがが・・・

やっぱりダメでした。

当時の社長はワンマンといいますか、
今でいうパワハラの激しいお方で、従業員のみんなは入社してはすぐ社長にいじめられて辞めていく。。
という負の連鎖。

もちろん、そんな方だったので私もうまくいかず。

そんな会社に長くはいられないな・・と水面下で次の就職先を探し始めたのでした。

でも仙台に来てラッキーでした。

地元の青森よりもはるかに就職先があるし、何より人口が多い。

25歳の私は、仙台でセラピストとしての経験を積むことを決めました!

30歳で独立開業するまでの間、3ヶ所のサロンで働きました。

1ヶ所目はなんと就職してすぐにリーマンショックの影響で社長が失踪。。。

2ヶ所目は飲み屋街の近くで遅い時間まで営業しているお店だったので酔っ払いも相手にしなくちゃならず。。。

3ヶ所目は回数券売れ、ノルマ達成ばかり言われつづけ、押し売りが苦手な私は毎日胃がキリキリ。。。

結構、サロン勤めは会社員時代に比べると結構ドロドロしていました。笑

振り返ればいい経験です。
今、同じところで勤められるかと聞かれれば、首をブンブン横に振ってNOです。

20代だからできたかな。

まぁそこで結構鍛えられました。

若いうちの努力は買ってでもしろとのことは、こうゆうところなのかもしれませんね。

そして、そんなところで働いていたからこど
「自分のサロンも持ちたい」「自分の理想サロン像」というのが日に日に出来上がりつつありました。


東日本大震災

私が独立を決めたきっかけは東日本大震災です。

当時、日常生活を送ることで精いっぱいだった私たちは、
もちろんプラスαであったリラクゼーションやエステはストップ。

もちろん、私もしばらく休業。

退職して独立するにはいいきっかけでした。

それまで「やりたいなー」と夢であったサロン経営へ背中を押され一歩踏み出し、現実のもののしていくには勢いが必要です。

一歩踏み出したからには進むしかありませんでした。

そして、物件探しから始まり、半年後にはヒーリングサロンスロータスをオープンさせるのです。

顧客はゼロ、貯金もそんななく、オープンさせたからにはやるっきゃない!という感じです。

当時はもちろん、長く続けたいとは思っていましたが10年も続けてこれるとは思ってもいませんでした。

これが私のセラピスト人生です。

今思うこと、それは独立してよかった!ということです。


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