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【サボテン日記】昭和のいいところ

TBS系金曜ドラマ『不適切にもほどがある』が話題を集めている。1986年(昭和61年)に中学校の体育教師をしている主人公が、2024年(令和6年)にタイムスリップする話。

1986年といえば、ちょうど私も中学生だったので、ドンピシャな設定だ。ドラマで描かれているように、令和では完全にコンプライアンス違反になるようなことが、昭和には、ふつうに行われていた。

私が通った中学校は厳しくて、まるで軍隊のようだった。主体的に自分で考えて自由に行動すると、先生にビンタされる(昭和なので時効)。いつも「怒られるのではないか」と、プレーリードッグのように警戒していた。

主体性と個性、気配まで消して、静かに命令に従うのみ。学校が荒れていた時代の厳しすぎる指導は、教育としては最悪だった。

私の主体性と創造性は、この時、一度死んだ。

平成になり、自分が親になると、昭和の教育との違いに戸惑うことも多かった。私が小学生の時、参観日に父親がくることは一度もなかったが、いまは父親が育児をするのは当たり前で、学校行事にも積極的に参加するようになっている。これはいいことだと思う。

昭和の時代には怖い存在だった教師が、令和の時代には優しく親切な教師に変わっていた。恐怖で子どもを支配するのは間違っている。自主性も創造性も育たない。

いまの時代の子どもたちが、少しうらやましい。

ただ、昭和にもいいところはある。コンプライアンスでがんじがらめの今より、ものごとに対して寛容で、遊び心があった。若い人が多く、活気があり、人とのつながりを感じられた。

小学生のときに家庭用ゲーム機が普及しはじめたが、みんな外で遊んでいた。暗くなるまで鬼ごっこや虫取りをして、へとへとになるまで遊んだ。最高に楽しかった。いまの子どもたちは、ゲームやスマホに夢中で、思いっきり外で遊ぶ楽しさを知らない。

子どものころは、近所の人はみんな知り合いで、なにかあれば、すぐに助けもらえた。いまは近所に誰が住んでいるのかもよくわからないし、核家族が増えて家庭が孤立している。高齢化が進み、子どもの声をほとんど聞かなくなった。

コロナ禍の影響で、ますますその傾向が強まり、個人の時代になった。他人に合わせなくていいから自由になったはずなのに、個人の責任が増えて窮屈になり、重苦しい雰囲気が漂っている。

テレビも世間もコンプライアンスばかり気にして、なんだか面白くない。お腹を抱えて笑えることが減ってしまった。

駄菓子屋とか、小さな食堂とか、おせっかいなおばさんとか、温かくて懐かしいものが消えていく。

昭和の悪いところは改善するべきだが、昭和のいいところは残していきたい。子どもやお年寄りが寂しい思いをしないように。こまった時に、誰もが気軽に「助けて」と言えるような社会をつくりたい。


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