運命の出会い
「人生には何度か運命の出会いが訪れる」
一度目は家族との出会い。生まれた瞬間に、両親や兄弟、祖父母と出会う。生まれる家は選べないし、疎遠になる人もいるが、誰もが確実に経験する、まさに運命の出会い。
ここから、それぞれの「運命の出会い」がはじまる。
私の場合、二度目は親友との出会い。おそらく親友とは20歳くらいまでに出会うことが多いのかな、と思う。大人になってもずっと連絡を取り合うのは、ほとんど学生時代の友達だったりする。もちろん例外もあるけれど。
三度目の運命の出会いは、犬だった。
まだ両親が生きていた頃、父が「車の下に犬がいるよ」と言うので見に行った。
犬が車の下で、隠れるようにうずくまっている。まるで何かに怯えているように見えた。
色はラブラドールレトリバーみたいなミルク色で、顔も似ているが、耳は立っている。大きさは柴犬よりも一回り小さい。
パンを差し出しすと、はじめは「ウーッ」とうなり声をあげて威嚇していたが「大丈夫だよ、おいで」と優しく声をかけていると、だんだん近づいてきて、パンを食べてくれた。
頭をなでながら、時間をかけて信頼関係を築く。ゆっくり抱き上げて家に連れて帰ったときにはまだ怯えていて、私から離れようとしなかった。他の人が近寄ると「ウーッ」と威嚇する。
きっと怖い目にあったのだろうな、と思うと悲しくなり、そのときにはもう、家で飼うことを決めていた。
「マフィン」と名前をつけた。
30年前は、田舎では犬を外で飼うのが普通だった。家の窓から声をかけると猛ダッシュでやってきて、満面の笑みを向けてくれる。大袈裟じゃなく、本当に笑うのだ。
マフィンを見ているだけで自然と笑顔になる。そんな私の顔を見て、真似をしているのかな、と思った。全身で「大好きだよ」と言ってくれているようで、いつも元気をもらっていた。
私の29歳の誕生日に、父が亡くなった。
10年以上病気と闘いながら働いていたが、とうとう力尽きてしまった。そのときもマフィンが慰めてくれた。泣いている私を心配そうに見つめて、顔をなめる。何度もなめる。可笑しくなって、笑う。
一緒にいてくれるだけで、心が少し暖かくなる。ありがたかった。
私の息子が3歳のときに、一緒に暮らしている母が白血病と診断され、長期入院することになった。ショックで、どうしていいか分からない。でも一番つらいのは母自身だ。
なんとか支えたいと自分なりに頑張ったが、どう考えてもキャパオーバーだ。あの時、どうやって乗り切ったのか、ぜんぜん思い出せない。
今まで母が家事や育児を手伝ってくれていたが、これからは私がすべて一人でやるしかない。仕事中は子どもと一緒にいられないので、保育園に通わせることにした。
休みの日は病院へ行った。忙しさに拍車がかかる。休む暇なんてなかった。
マフィンとは朝のあいさつと散歩のときしか一緒にいられなくなった。
夕方、マフィンと散歩に行こうと犬小屋へ向かった。いつもどおり尻尾を振って、笑顔で迎えてくれた。
「マフィン、ずっと一緒にいてね」
母が入院して心細かった私は、そういってマフィンの頭をなでた。
次の瞬間、マフィンが急に倒れて痙攣を起こした。
「マフィン!」
頭が真っ白になった。ただ、目の前の命が消えかかっていることだけはわかって、怖い。
「おいていかないで・・・」
マフィンが動かなくなった。
あまりに突然のことで、何が起こったのか理解するまでに時間がかかった。
「おいていかないで」と言ったのに、私をおいていってしまった。今まで言うことを聞かないことなんて一度もなかったのに。「おいで」と言ったら、いや、言わなくてもすぐに来てくれたのに。
さっきまで元気で、いつもみたいに笑っていたのに。
動物の、こんなに潔い死に方をはじめて見た。たいてい最後の数日は苦しそうに寝ていて、ゆっくり死んでいくのに。
私の悲しみを1秒でも減らすような死に方をするなんて。そう思うと、余計に悲しくなった。
一晩中泣いた。
さよならもありがとうも、言えなかった。もっとマフィンと遊んであげればよかった。もっと一緒にいたかった。
神様がいるなら、なぜこんなにつらいことばかり起こすのか聞きたかった。
優しかった父は59歳で亡くなり、心の支えだったマフィンも死んでしまった。忍耐強い母は白血病になり、さらなる忍耐を強いられている。
このとき、私の中で神は死んだ。
つらいことは、自分で乗り越えるしかない、と覚悟を決めた。
数年後、64歳で母が亡くなった。両親に何もしてあげられなかったことを、今も後悔している。
「親孝行したいときに親はなし」というが、あまりにも早すぎる二人の死は、私の心に重くのしかかった。
残された者が一度は通る、暗く長いトンネル。どうやって通り抜けたのか、いつトンネルが終わったのか、よくわからない。
現在、子どもは20歳になった。
ようやく時間ができたのに、両親もマフィンも、もういない。
「人生には何度か運命の出会いが訪れる」
その大切な出会いを、もっと大切にすればよかった。
もっと頑張ればよかった。
もっと何かできたはずなのに。
今ならもっとうまくできるのに。
未熟だった、自分を責める。
後悔に押しつぶされそうになる。
でも寂しくて悲しいのと同じくらい、楽しかったことや、みんなの笑顔を思い出してうれしくなる。そして会いたくなって、やっぱり寂しくなる。
運命の出会いは、残された人の心に、ずっと影響を与え続ける。
私はマフィンのように「愛だけを与え続ける」なんて、できそうにない。きっとこれからも、文句を言ったり落ち込んだりして、みんなに迷惑をかけながら生きていくだろう。
それでも、運命の出会いをした家族や友人に、できるだけいいものを残したいという気持ちは、しっかりとある。
私は大切な人たちに、何を残してあげられるだろう?
人生最後の課題かもしれない。
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