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皐月

今年から月イチで写真をまとめるという試みをはじめてみた。睦月、如月、弥生ときて皐月だ。もう今年も三分の一が終わってしまった。この調子で行けばあっという間に「今年も一年お世話になりました」「良いお年をお迎えください」と年末を迎えるだろう。

3月といえば桜の季節。今年の開花は例年通りの予報を大きく外し、まだかまだかと、もどかしい記憶が残った。

3月も中旬を迎えた頃、おそらくは満開の時期であろうという日を決めて、余裕をもった花見の予定を決めた。場所は飛鳥山公園にした。家から近くはない飛鳥山公園を選ぶ理由は、マンネリ予防と飛鳥山古墳群という歴史ロマンを感じることができるから。

この日は朝から汗ばむほどの気温。おそらく桜は咲いていないだろう。それくらいのことはわかっていた。なんたって、開花宣言がでたのはこの日の前日だったからだ。

わかってはいたものの、それでもどこか期待していた部分はあったと思う。駅から続いた花見客の後を追い、階段を登った。そこは見渡す限り大混雑の花見客で埋まっていた。しかし桜はほとんどといっていいほど咲いていなかった。

偶然見つけた空いたスペースにレジャーシートを敷き「こんな年もあるよねー」と笑いながら、デパートで買った駅弁を食べた。そして箸休めに花のない桜の木を眺めた。

公園内を歩いてみると、枝垂れ桜と1%の桜だけが立派だった。来年に期待だ。

後日、地元で桜の写真を撮っていると、杖をついたご高齢のおばさまから「いい写真とれた?」と声をかけられた。普段、見かけない人だなと思いながら「撮れたらいいなと思ってます」と答えると「こんど見せてよー」と言われた。おばあちゃんが孫にねだるような、どこか懐かしさを感じる話し方だった。

会話はそれで終わったけど、あのときにおばさまと桜の写真を撮らせてもらえばよかったんじゃないかと、ちょっと後悔している。桜を見に来た記念といったら大げさなのかな。なんとなくそういう接点が必要だった気がする。それはこれからの超高齢化社会に欠かせないことだと思っているから。

いまでも同じ時間に見かけることができればと、何気なく探したりする。でも、あの日以降、見かけていない。

朝の散歩をしていると、犬の散歩をしているひとたちも多く、いつも遠巻きながらみかけることがほとんどだ。基本的に自分から話しかけることはないけれども、どうしても間近で触ってみたい犬がいた。

その犬は柴犬で、散歩の途中のはずなのに歩くことを完全に放棄して、寝そべっている場面を何度となく目撃している。どこで見つけても、歩いている姿を未だに見たことがない。

その柴犬を横目で通り過ぎるたびに、飼い主さんが優しげな感じの御婦人ということは確認していた。昨年の夏、思い切って話しかけてみた。想像した通りとても優しい方だった。高齢の柴犬でいつも疲れてるように見えるそうだ。せっかくだから写真も撮らせてもらった。それがももちゃんである。

秋、冬、春を迎え、相変わらずなももちゃんのやる気の無さ、というか気だるい感じにいつもシンパシーを感じる。撫でても優しくつついても無反応だけど、初めての犬トモダチだ。私の完全な片思いであることは否定しない。でも、飼い主さんとももちゃんに挨拶できるようになってよかったと思う。

まもなく5月。薫風の5月だ。この数ヶ月に渡って苦しみつづけた憎きスギ花粉からもようやく開放された。

とくにGWがおわってからの数週間は風も空気も爽やかで過ごしやすい。すぐに梅雨がきて、酷暑がくる。つかの間の平穏な時間を大切にしようと思う。

といいつつ、このぐうたらな自分が、そろそろどこかへ出かけることに期待したい。


おしまい






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