【自問自答】わたしも自問自答ガールズになりたい
「自問自答ファッション」、「自問自答ガールズ」――noteを始めてすぐ、トップページに謎の文字列が散見されるようになった。ランダムで表示されているのかと思ったが頻度があまりにも多い。
恐らくだが、シンプリストのファッションをテーマに最初のnoteを書いたことで「私服の制服化」タグに紐付けされ、「自問自答ファッション」が高頻度で引っ掛かったのだと思われる。
初めは遠巻きに、それからのめり込むようにnoteを読み漁った。「自問自答ファッション」を広めるファッションスタイリストのあきやあさみさんのnote、ブログは目を皿のようにして読んだ。
どうも今までのファッションの話とは違うみたいだぞ、と読みながら思った。これが私と自問自答の出会いだ。
自問自答ファッション、自問自答ガールズとは
初めて触れる人もいるかもしれないので、解説を入れておく。引用元はあきやあさみさんのnoteだ。
「自問自答ファッション」で洋服選びの軸となるのは、トレンドではない。自分に似合う服からも少しずれている、が、これについては似合う要素を取り入れて重なる部分もあるので一概には言えない。
では何を軸に洋服選びをするのかというと、“なりたい姿”だ。といってもスタイリストのあきやさんが選んでくれるわけではない。なりたい姿を自分で考えてコンセプトを決め、そのコンセプトとファッションが合うかどうかひたすらに自問自答をするのだ。修行僧か何かか。
さて、まずは用語解説を進める。再びあきやさんのnoteから引用。
「自問自答ファッション」を深める女性たちを指して「自問自答ガールズ」(JJGとも)と呼ぶ。しかもあきやさんが主催する「自問自答ファッション講座」(現在は受付停止中)や少人数制の「自問自答ファッション教室」を受講していなくてもガールズを名乗れるようだ。
ガールズたちに怒られてしまいそうだが最初にこのタグを見たとき、自己啓発系もしくはスピリチュアル系の高額なセミナーか何かだと思ったのだ。違った。
※そういうセミナーを否定する意図はない。
あきやさんの度量は広く、「自問自答ガールズ」の裾野もまた、広い。
自問自答ガールズを名乗るのは怖かった
私があきやさんのnoteと出会ったのはニ月の頭だったらしい。もう二ヶ月が経過している。二月中旬には「自問自答ファッション」の概要を把握し、魅力的だと感じていたにもかかわらず、それ以上は行動しなかった。
なぜか。一つはある程度出来上がりつつあるコミュニティへ入る度胸がなかったからだ。これはあきやさんやガールズたちのせいではない。私が勝手に尻込みしただけだ。
つまり自信がなかったのだが、それは暫く「自問自答ファッション教室」を受講できそうもない、個人の事情が絡んでいる。
私は現在一歳の娘を持つ妊婦だ。近いうちに二歳児と〇歳児の母親へとステップアップする。今の居住地やワンオペレーション具合も合わせて総合的に鑑みると、教室受講は遠くなりそうだと言わざるを得ない。
前述の通りあきやさん本人は、いいなと思った瞬間からガールズで良いと明言してくれている。
しかし私個人は教室未受講の自分なんてガールズとしてふさわしくないと感じてしまう。noteとブログ、本を読んだだけで分かった気になっているのか、と。未受講の自分に自信が持てないのだ。
※“自分”に対する感覚であり、同じ未受講ガールズに対して感情は揺れない。あくまで“自分”に自信が持てないという話だ。
そうはいっても、教室受講は遠い先の話だ。現在十月まで満員の「自問自答ファッション教室」、先述の通り私は残りの期日も応募できそうにない。どう頑張っても来年の半ばまでは不可能だろう。
応募したとしても当選するとは限らない。二冊目の著書も発売され当選倍率は上がりそうだ。つまり、教室を受講できるのはいつになるか分からない。それまでずっと傍観者でいるのか?
noteを始めたのは、今年は殻を破ると決めたからだ。見向きもされなかろうと発信しようと決心した。「自問自答ガールズ」としての発信だって同じではないか。傍観者のままでいるのなら今までと何も変わらない。そう思ってなけなしの勇気を振り絞ってみる。
ガールズを名乗る自信がなかった理由の続きも、ついでに綴る。
小さな子どもがいるのと経済的な理由で、ハイブランドの華やかな購入記は当分書けそうもない。それならばnoteで発信する意味はあるのだろうか、と考えていた。
もう一つも大きな理由なのだが、交流を始めると周りの声に流されそうだとも思っている。その懸念は今もあるのだが、それよりも発信したい自分の意思を尊重しようと思う。
長々と言い訳を述べたが、これからはできる範囲でアウトプットを公開していきたい。「自問自答ガールズ」の先輩方、よろしくお願いします。
“なりたい”から考えていなかったファッション
決意を固めたところでファッションの具体的な話に入る。身もふたもない書き方をすると、ファッションについてはそんなに困っていなかった。
というのも、既に自問自答をしていたのだと思われる。詳細は初回のnoteに書いたのだが私は結婚と引っ越し、働き方の変更が一度に重なり、ワードローブを改革している。このときの思考がまさに自問自答だろう。
それでもなりたい姿、即ち未来への希望を軸にファッションを考えたことはなかった。
そもそも衣服は制限ありきの表現だ。現代社会、全裸で外は歩けない。学生時代は一律の制服を着用することが求められる。ちなみに私の前職には制服があった。制服システムは社会人になってからも続く場合がある。
私服にもある程度のルールは存在する。例えば男性はスカートを履かない。ルールだけではなくトレンドもある。積極的に流行を追わない場合でも、店舗に陳列される衣服は既にトレンドを取り入れている。
私にとってファッションとは、そんな制限の中から最適な物を選ぶことで、一言で表すなら無難だった。
目立つ衣服を着用する人には信念があり、自分にはないと思っていた。いつも先に枠がある。似合うとトレンドで作ったフレームの中から好きを選ぶイメージだ。ファッションについてはそんなに困っていなかったと書いたが、満足していたわけでもない。無難に寄りすぎているのだろう。
そんな中で出会った「自問自答ガールズ」たちのnoteの数々。ファッションを通り越して数年、或いは十年来の問題に向き合ったり、コンプレックスを真正面から見据えたりと、奮闘している様子が窺える。
ファッションってそんなに深く、真剣に取り組むものだったのか。衝撃を受けた。
あきやさんの熱量ももちろん飛び抜けてすごい。再度あきやさんのnoteを見てみる。
少し長めだがこの部分はどうしても外せなかった。あきやさんが前職時代、先輩に悩みを相談するくだりだ。先輩からの返答にあきやさんは驚き、自分はこういう熱量を持ってスタイリングしていると内省を深める。
こんな販売員さんに出会ってみたかったな。素直にそう思った。あきやさんには思うがままに仕事をしてほしいし、現在の形に落ち着いたからこそ私は「自問自答ファッション」を知ることができた。それは前提として、こんな販売員さんとともに服を選んでみたかった、とも思ってしまう。
アパレルショップの販売員さんと話したら洋服を購入しなければならないのでは、と勘違いしていたせいで、そんな素敵な出会いをしたことはない。これからに期待する。
左目の視力を失いつつあっても、ファッションの道を諦めなかったあきやさん。ファッションにはそれだけの魅力が詰まっているのだろう。
一旦「自問自答ファッション」から離れるが、洋服を含め美容など自分のケアに力を入れるのは、男女ともに大切だと思う。自室の状態などもここに含まれる。
自分に関することが適当に、おざなりになっていくと、無意識化で卑下が進む。私も前職の末期にベッドの上で一日を過ごしていた期間があるが、当然自分のケアなどできなかった。この時期はなんて駄目な人間なのだと自己嫌悪が止まらなかった。
無意識は扱いを間違えると恐ろしいね。
難航するも一応決まった仮コンセプト
「自問自答ファッション」の話に戻る。
軸となるのは自分で決めたコンセプトである。自問自答を始めるとき、まず考えなければならないのが自らのコンセプトだ。ここを定めなければ始まらない。
コンセプトについては、あきやさんのnoteや著書に数々のヒントがある。加えて私は「自問自答ガールズ」たちの教室レポnoteを熟読した。
極力「自問自答ファッション教室」に近い形でコンセプトを黙考してみる。正直ここが一番教室であきやさんと一緒に考えたい点なのだが、受講予定が立たないのだから仕方がない。余談だが次回の幻冬舎大学の講座はコンセプト決めが焦点のようなので、とても楽しみだ。
最初に現れた壁は“なりたい”と“好き”の違いが分からなかったことだ。“似合う”が“なりたい”と違う分類なのは理解できる。しかし“なりたい”と“好き”はどう違うのだろう。
この問題はキーワード探しによって解決した。憧れているワードと好きなワードに大きな隔たりがあったのだ。具体的に書くと、なりたい方には綺麗や上品が入り、好きなワードにシンプルやデザインが選ばれた。
好きなワードを素早く捉えられたのは、趣味の一つが着物なのも関係していると思う。幼少期から着続けある種の惰性が入ってくる洋服とは違い、和服は自分の好きをフレッシュに選べる。私が手を伸ばしがちなのは幾何学模様で、これが好きの方向性なのだとすぐに分かった。
似合うは分かりやすかった。「自問自答ファッション」には三つのキーワード「かわいい、きれい、かっこいい」をどう思うかというお題がある。平たくいうと、私の似合うはかわいいだ。
顔タイプ診断の結果がアクティブキュートだった私。診断前から理解していたようで、大学生から前職時代までの私服がザ・アクティブキュート的なカジュアル服だった。けれども今後は、アクティブキュート的カジュアルに寄りたいわけではない。明言できる。
ここで顔タイプ診断に触れたので、各種イメージコンサルタントの結果を羅列しておきたい。骨格診断はストレート。パーソナルカラー診断は四シーズンだとブルーベース冬、十六タイプではファーストがクリアウィンター、セカンドがブライトサマーだった。
ちなみに十六タイプパーソナルカラー診断は受けてから日が浅く、まだ完全に飲み込めてはいない。
本題に戻ろう。キーワード探しを進めた結果、私はなりたいワードをコンセプトへ詰め込もうと決めた。似合うは十分に満喫した。好きも取り入れられる。逆になりたいだけは意識をしないと実行できないと分かった。
コンセプトに入れたいキーワードは以下のようになった。上品、洗練、色気。
色気が残ったのは自分でも意外に思う。私にとってセクシーと色気には歴然とした差があり、セクシーは見せるもの、色気はふと漂ってくるものだと捉えている。普段は見えない色気が垣間見えるのが好きなのだと思う。ギャップが好きなのだ。
ただ何というか、選んだワードに偏りがあるのか、同じようなものを指しているように思えてならない。そこで仮コンセプトではまとめてみた。私のコンセプトはこれだ。
自他を許せる貴婦人な物書き(仮)
まとめた先のワードは貴婦人だ。貴婦人なら、上品で洗練されていて色気があるイメージが内包されている。家庭を持ち子育てをしているのも、自分が貴いかはともかく、婦人にぴったりだ。
物書きについては多少の表記揺れは迷ったものの、時間的にも金銭的にも余裕ができたときしたいのは、書くこと以外考えられなかった。現在の仕事も書くことに関連している。ここから逃れられる気がしない。noteは同様の人が多そうで嬉しい。
自他を許せる、最初は人を許せるというキーワードだった。結婚をすると自分の汚い部分がよく見えてくると何かで聞いた。私はまさにそれで、結婚後に他人を許すのは一生の課題だと気が付いたのだ。他人だけではなく自分も許したいなと、言葉を変えた。
幻冬舎大学の講座を聞きながら再考したいが、ひとまず目指す方向は決まった。仮コンセプトを決めただけでもわくわくしてくる。
自問自答ファッション始動〜試着旅とハイブランド
「自問自答ファッション」の活動がいよいよ始まる。
まず購入したのは全身鏡だ。といっても乳幼児がいる中で自立式の鏡を置くのは恐ろしく、幅四十センチメートル以上の条件も満たせなかった。が、全身鏡があるのとないのとでは雲泥の差があると、自分でも分かった。
妄想クローゼット作りもそこそこに、私は早速一回目の試着旅へ向かうことにした。
あきやさんはガールズたちに「試着百回チャレンジ」を勧めている。靴もバッグもアクセサリーも洋服も、試着してみなければ分からないからだという。
早すぎるのではないか、まずは妄想クローゼットを充実させるべきでは。自分でもそう思ったが、この壁を一刻も早く乗り越えるべきだと悟ったのだ。
それはハイブランドの壁だ。私はハイブランドに関しては複雑な、屈折した感情を持っている。
幾人かnoteで触れている「自問自答ガールズ」もいるが、ステータスのため制服のようにブランド物を所持する時代が、事実としてあった。現在でもその傾向はあるものの、バブルの崩壊とともに沈静化してきたイメージだ。
幼少期にそんな様子を見ていたので、ハイブランドには少々抵抗がある。しかしロゴやブランドと紐付いた模様など、いかにもハイブランドらしい要素は嫌いではない。だからこそ複雑なのだ。
どうにかフラットな価値観に戻せないものか。そんな理由で百貨店の弾丸試着旅は決行された。
弾丸とはいっても試着したいアイテムは事前に調べ、画像をスマートフォンに保存しておいた。二月のある日、最初に向かった先はルイ・ヴィトン。幼少期に見たイメージが強く払拭したかったのだ。お目当ては黒のマレリーニ。
のつもりだったのだが、販売員さん全員が接客中で、マレリーニのブースにはインバウンド爆買い中の先客がいた。店内を無駄に二周してから、また来ますと入口の店員さんに告げ、店を出る。結局この日は試着できなかった。
気を取り直して次に向かったのはグッチだ。こちらのお目当てはヨルダーンのウィメンズローファー。ハイブランドの靴は初めて履く。
どきどきしながら足を通してみるも、幅はぎちぎちなのに長さには余裕があり、合わなかった。販売員さんからストッキングなら良いかもとアドバイスされたが、ローファーに合わせるのは靴下を希望していた。
足に合わなかったのはなかなかにショックだ。もう一度チャレンジしたいと思っている。
がっかりしている私に、販売員さんはバッグを勧めてくれた。このとき店内には私しか客がおらず、逆に客が一人の場合も出ていくタイミングが掴みづらいと分かった。もっと堂々と振る舞えるようになりたい。
この日は別の目的があったのと、基本的にインバウンド客で混み合っていたのもあり、ハイブランド店舗への突入はここでストップ。たった二店舗、試着に至ってはグッチしかできていない。ハイブランド体験は今後も要課題だろう。
しかし私でもハイブランドの店で店員さんと談笑したり、試着したりできるのだと、自分を納得させられた。選択肢の一つなのだと理解できたのは大きな進歩だ。
試着旅の目玉は靴探し
実はこの日の主目的はハイブランド探索ではなかった。
私服がカジュアルめだった私、最もよく履いていたのはスニーカーだ。前職では一日八時間ヒールのあるパンプスを履かなければならず、反動で私服には楽な靴を合わせるルールができていた。
妊娠中も出産後も安全なスニーカーを履き続けた。その結果、グレーのスニーカーをぼろぼろになるまで履き潰していたのだ。あきやさん曰く「靴は自己評価」なのに、メインがぼろぼろのスニーカーなのはいただけない。
早急に靴を決めたかった。そしてその靴はコンセプトを軸に合わせた物、つまりカジュアルではなく綺麗めの靴にしたかった。
通販で購入するならともかく、実店舗で見て回れる機会は、子どもを預ける都合上少ない。靴に関してはかなり熟考をして臨んだ。色は黒、ヒールはなし、できれば甲のデザインがシンプルな物。
クレ・ド・ポーボーテのタッチアップを挟み、百貨店のエスカレーターに乗る。目指す先は婦人靴コーナーだ。
条件に合う靴を片っ端から試着させてもらう。足に合わない靴は除外し、全身を見てイメージとずれる靴も外していく。最終的に卑弥呼の二足にまで絞られた。
あっさりと書いたが途中で休憩を入れたし、近くのABCマートに他の靴を試着しにも行っている。合う靴がなく、婦人靴コーナーを再訪したところ、卑弥呼の二足を見つけられたのだ。
どちらも足に合う。ぴったりだといっても良いくらいだ。より足に添ったのは上のメタルラインだったが、履いてみるとゴールドのラインの印象が強すぎる。では下の靴を購入するのか。
これぞ「自問自答ファッション」の醍醐味ともいえる、購入前の自問自答が始まった。
真っ先に妄想クローゼットへ入れた一足は近場で試着できる店がなく、次の一足も試着場所が見つからなかった。返品覚悟で通販を使う手も考えたが、「自問自答ファッション」を始めて最初の靴、やはり実店舗で購入したい思いが強い。
一日で決めるのではなく他の店舗へ試着しに行ってはどうか。ノーマルな状態ならこちらの選択肢を選んだだろうが、一歳児を持つ妊婦は次の試着旅の予定が立たなかった。もっと考えてから理想の一足を探すべきかもしれない。しかしその場合、今のスニーカーを履き続ける必要が出てくる。
悩みに悩んだが、私は靴を買うことにした。
「靴は自己評価」、もしかしたら最善の靴は他にあるのかもしれない。けれどこの靴は間違いなく、今のベストだった。スニーカーばかり履いていた生活にパンプスが上手く馴染むのか、娘と行く公園で日常使いできるのか、まずは色々と試してみたい。試さなければ理想の条件すら分からない。決め手はそんな理由だ。
パンプスが入った紙袋を手に家へ帰るとき、自分でもびっくりするくらい心が躍った。自分のために吟味して靴を買うなど、久しくなかった経験だ。
次は問題だらけのバッグを新調するぞと決意を固め、私の一回目の試着旅は終わりを告げた。体は疲労していたが、心は窓を開いたときのような爽快感と開放感に満ちていた。
自問自答のすすめ
かなりのボリュームになってきたので、バッグ選び以降はまたの機会として、まとめに入りたい。
ここまで読んで、もしかしたら「自問自答ファッション」に興味が出た人もいるかもしれない。おすすめなのは、あきやあさみさんの本だ。インターネットに散逸している情報が二冊にぎゅっとまとまっている。
色々と読んでみたいなら、無料で公開されているあきやさんのnoteやブログに目を通してみてはいかがだろう。正直これだけでも相当な情報量である。私も数日かけて読んだ。
私はあきやさんの考え方を知り、ファッションについて初めて深く考えるようになった。ファッションを考えることは自分の人生を見つめ直すことでもあった。どんな人でも自分を大切にするべきだ、もしかしたらその手段はファッションではないかもしれないが。
それを面白く思い、こうしてnoteを書いている。
最後に、どうしても一つ主張しておきたい。私はこのnoteで子どもがいるから制限があると何度か述べてきたが、事実として制限はあるものの、産んでみたら思ったよりも自由だった。
子持ちの主婦はもっと身動きが取れないのだと思っていた。実際はそうでもない。自由に使える時間の総量は制限されてしまうが、あれもできないこれもできない、あれも着られないこれも履けない、という感じではない。少なくとも私の場合は。
このnoteを読んで、子どもを産むと不自由すぎる生活が待っているのか、とは思われたくないのだ。
産前、私はそう思っていた。子どもがいることでとんでもない枷が自分に掛けられるのではないか。それでも子どもが欲しかったので出産したが、覚悟もしていた。
もちろんケースバイケースなので反論もあるだろう。それでも私は、子どもがいようがいまいが“自分”に何ら変わりはない、と思っている。子どもがいるのが普通でもない。ただ、絶対に一人でどうにかはできないので、ヘルプの声は適切に上げていきたいし、上げてもらいたいと思う。
こんなに長いnoteを読んでもらってありがたく思う。次回以降は解説などを入れず、さくさくと書いていく予定だ。娘を見ながら、気長にゆるりと書き進めていきたい。
「自問自答ガールズ」の皆さん、こんな私ですがどうかよろしくお願いいたします。
文字数の関係で分割したバッグ選び以降の続編はこちら。
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