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過去の自分 中学~高校

こんにちは。さまにゃです。

静岡は、あいにくの雨。シトシトジトジトという感じです。
未だに窓ガラスが結露する家に住んでいる自分にとっては、湿気と共に現れるカビが恐怖で仕方ありません。


さて、今回は、自分のことを少し深堀りしてみようと思います。

現在、30歳女性の自分。
同性のパートナーとふたりで暮らしています。
LGBTqという言葉に当てはめると、「L=レズビアン」にあたります。

個人的には、なんでもかんでも細分化してカテゴライズする風潮は好きではありません。
理由は、分かりにくくなる→難しくなる、結果的に”敷居の高いもの”になると思うからです。
※あくまで個人的な意見ですのでご容赦くださいね。

もちろん、細かくカテゴライズすることによってどこかに属することができて安心する、という側面があることも理解しています。
でも、それだけ細かくカテゴライズをしているのに、LGBTqの「q」がついているのはなぜか?

カテゴライズに入り切らない状態の方が、一定数いるからではないでしょうか。

それならば
もう少し簡単に分かりやすくすることで、当事者の中だけでなく、外に対しての風通しを良くしてあげたらいいんじゃないか、と、こう思うわけです。

と、少し余談が過ぎましたね。
本題に入ります。

「自分」のはじまり

自分が同性を好きだと自覚したのは、少学6年~中学1年にかけて。
当時中の良かった友達に初めての彼氏ができたと聞いて、すごくもやっとしたのを覚えています。
…でも、思い返してみると、その前から年上のお姉さんが好きでした。

勝手に失恋し、すぐに新しい好きな子ができました。
その時には「好きな女の子がいる」と周囲に公言していたので、周りも半分面白がって、その子との接点を作ってくれていました。
本人に気持ちを伝えたうえで、応えられないと断りをもらい、それでも同じ学校に通っていた期間仲良くしてくれた彼女には本当に感謝しています。

そして、中学という多感な時期に周囲に公言していたにも関わらず、特別いじめの標的になったり嫌がらせを受けたりすることがなかったのは、周囲に恵まれていたのだと思っています。
これも本当に感謝です。

卒業前、初めての「彼氏」ができました。
中3のクラスは仲が良い方だったと思います。
個性的な子も多く、腐女子やアニメ好きの子もおり、「フレンドリー」な集団でした。
だからこそ、「さまにゃが女子を好きなのは分かってるけど、男子だったら誰が好き?」なんて話になったのだと思います。

一番仲が良かった男子の名前を挙げました。
”卒業前に付き合わないと疎遠になるから”という理由で告白を押され、だんだんその気になり、告白してOKをもらい付き合うことになりました。
結局、数回デートをした程度で別れてしまいました。

恋愛は共依存

テレビでは「ホモ」「オネェ」という言葉を聞く機会が増えた気がしますが、ハレモノ扱いの印象が強かったです。

たった1・2回の失恋(もどき)で、一生好きな人とは結ばれないのだと悲観するのは早いと思いますが、このころの1人2人の存在はでかいです。
高校入学時で既に、自分の恋愛が成就することはないのだと信じ切っていました。
だからこそ、中学時代よりおおっぴろげに公表し、「好き」という気持ちを分割することで、自分の存在価値を維持しようと考えていました。

どうせ一番好きな人と付き合うことができないのなら、みんなに優しくして、みんなの二番目か三番目になれればいいや。
自分の好意に気づいて、求めてくれたらそれに応じられるようにしておこう。
そんな感じでした。

そのなかで一番自分を構ってくれる友人に依存していました。
メールは当然即レス。遊びに誘われたら即決定。主従関係のように、どんどん依存していきました。
自分が彼女を必要とした分だけ、自分のことも必要だと思ってほしい。そんな欲求が強かったです。


数年後、当時のことを本人に聞いてみたら、「あれはあれで楽しかったけど、さまにゃが本気すぎてちょっと怖かった(笑)」と言われました。
お互いさまってことにしておきましょう。悔しいので笑


初めての「彼女」

思い返すのも情けない・申し訳ないくらいの出来事です。

みんなに良くしておいて、自分を選んでくれた人を選べば、両想いになれる。
ある意味真理かもしれませんが、実際の行動は不誠実でした。

好きだから付き合ったわけではなく、誰にも選んでもらえなかったから付き合った、というのが近い表現です。
向こうにも、女の子と付き合うことに興味があったのだと思います。
そんな興味を利用して、自分の初めての彼女ができました。

既に依存体質が出来上がっていた自分にとって、恋人がいる状態は楽でした。
判断基準は全て恋人基準。
喜ぶ方を選んでおけば、捨てられることはない。
嫌われないように過ごせばいい。
休日は彼女の予定に合わせ、行きたいところ、食べたいもの、見たい映画、全て言う通り。

友達からの遊びの誘いは断り続けました。
たとえ当日会う予定がなかったとしても、「私と会えるかもしれなかった時間を、他の人に使うの?」と言われてしまってから、自分の休日は恋人に会うか、会えないかの二択しかありませんでした。
メールの返信がないと、5分後には催促のメールが届くような生活でした。

2年ほど続いた束縛生活に、身も心も疲弊していました。
その生活は、大学に入り学校が離れたタイミングで終わりを迎えます。
束縛に耐えられなくなった、と切り出した自分に、電話の向こうで暴言を吐く彼女。
(やっぱり、もう無理だ…)
そのころには、こんな関係にしかなれない彼女ではなく友達を大事にしたいと思うようになっていたので、彼女の怒鳴り声を聞いても特に何も感じない状態でした。

今となっては彼女の思いは分かりませんが、自分にとっては、情けない「初めて」の記憶になってしまいました。


その後の大学時代は、新しい環境で出会う新しい友人と交流し、アルバイトを始めます。
そこでの恋愛話はまた、後日投稿したいと思います。


過去の話を思い返していくと、自分の適当さや弱さみたいなものを目の当たりにするので、本当…バカだったなぁと思います笑
そんな過去の自分が今の自分を作っているわけで…。
過去の経験や失敗を今後に生かすべくブラックボックスを開けている感覚で、また回想してみようと思います。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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