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サラの大発見 ~途上国編~

この1年で途上国に対しての印象がめっちゃ変わった気がするので言語化していきたい。



2023年上半期までの私

私は社会課題に強い興味を持っている方ではなかったけど、なんとなく格差は無くすべきもの、私は豊かな環境に育ったけど世界のどこかには貧しい生活を強いられている人がいて、現実は不平等で「かわいそうだ」と思っていた。

幸せを発見

9月ザンビアに渡航したとき、孤児院に滞在していた。孤児院の子どもたちは学校に通うお金がない子が多かったけど幸せそうだった。笑顔がキラキラしてて、ずっと踊ってた。それを見てると、日本で死んだ顔をして満員電車に乗っているような人の方がかわいそうなのかもしれないと感じた。日本にいるときは生きてることが幸せ〜〜と感じることはなかったけど、そこで過ごした毎日はずっと楽しくて幸せで、幸せって意外と近いところにあったんだなあと実感した。

モノサシで測れない

11月カンボジアに渡航した時、農村部のとある村を訪れた。ガタガタのあまり整備されていない道を進んでいくと、ほぼ自給自足の生活をしているような人たちがいた。そこでNPO法人として活動をしていた日本人の方と話した中でかなり印象に残った言葉がある。「現地の人を日本人と同じモノサシで測ることはできない。」だからその方がやっている活動の一つは、村の人たちの竹加工技術を活かし、日本人のネット周りの強さを活かし、村に景観を邪魔しない宿泊施設を建てるというものだった。一般的に発展している方が優れていて、発展していない方が劣っているという考えは間違っていたんだと感じた。村には余計なものがなくて、生きていくために必要な知恵や現代の日本人は真似できないようなすごい技術を持っていた。彼らの方がよっぽど人間レベル高いなあと思った。

豊かな状態とは

12月ある知り合いの方のお家にお邪魔した時「うさぎ」という本の冒頭部分を朗読して聞かせてもらった。そこではこんな意味を持つフレーズがあった。「驚くべきことに、この国ではお金を持っている人のことを”豊かだ”と言い、お金を持っていない人のことを”貧しい”と呼ぶのでした。」これを聞いたとき、なにかが腑に落ちた気がした。


まとめ

途上国と聞いたとき、これまで私は貧しい人たちが暮らしていて不便な生活を送っているような国だと思っていた。もちろん毎日生きるか死ぬかという暮らしをしている人にとってのお金がないこと、お金を稼ぐ手段がないことは問題だと思う。ただ、日本で暮らしていて知らず知らずのうちに染みついた感覚や偏見を当たり前のこととして捉えないようにしたいと思った。


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