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妄想爺のとんでも史観 (10) 宗像

 宗像

北九州勢力の宗像海神。海運の神、住吉。全国に散らばる八幡神社の総本山、宇佐。宗像の子は住吉、またその子は宇佐、と言われています。

宗像三女神は、沖津宮の「田心姫神(タゴリヒメ)」、中津宮の「湍津姫神(タギツヒメ)」、辺津宮の「市杵島姫神(イチキシマヒメ)」
 広島の厳島神社は市杵島姫神(イチキシマヒメ)から来ています。

対馬には海神をまつる和多都美神社があります。阿曇氏(あずみうじ、安曇氏とも)と言う氏族は、海神である綿津見命を祖とする地祇系氏族です。
 長野県に安曇野と言う地域があります。

宗像、多分タケミナカタは、『先代旧事本紀』「地祇本紀(地神本紀)」では大己貴神(大国主)と高志沼河姫(コシノヌナカワヒメ)の御子神とされており、「天神本紀」の国譲りの段ではタケミナカタが事代主神のことを「兄」と呼んでいる。なお『古事記』においては大国主は事代主神を生む神屋楯比売命より先に沼河比売を娶っており(『旧事本紀』ではその母が高津姫神とされている)、事代主神はタケミナカタの兄に当たると明記されていない。そうです。  By Wikipedia

出雲の大国主命の子、タケミナカタ。宗像。繋がりがあります。信濃に幽閉された、タケムナカタ。

宗像と安曇が、長野へ幽閉されたのでしょうか?
 出雲と同じ運命となったのでしょうか?
 違う気がします。
 元々そんなに大きくない国毎の連携、協力、損得勘定契約の繋がりだったと思うのです。
 「あんたとの取引は、割りが合わないから減らすわ。」
 「おっ。良いじゃん、それ。もっと増やしてよ。」
 「あいつの所ってさ、、、なんかさ~最近、、、調子こいてんじゃん。距離、置かねぇ~?」
 ってなった出雲一族を、そこは一致協力して、、、ハブった。物部系がさ。でも、今までの付き合いもあるしぃ~、、、

調子に乗り過ぎたかもしれない”出雲”を、安曇氏が匿った。

北九州と半島南部との交易は、宗像一択でも無かったのでは、、、
 玄界灘へ漕ぎ出て、途中の島に立ち寄る目的は、天候や潮流の変化に対する避難や様子見。水、食料の補給、体力の回復。
 壱岐、対馬と言う島の中にも、色んなグループもある訳で、同業他社も黙認する雰囲気もある訳で、リスク管理、リスクの分散、リスク回避、大きな意味での国家安泰を模索。
 そう言った、譲らず出しゃばらずの微妙な関係を保っている中での、邪馬台国と出雲の、、、突っ走り。

邪馬台国が魏へ朝貢し、半島との交易に関する許諾を得て帰ってきた。独占権?、他者の交易は歩合上納により、許可できる権利?
 「おまえ、ふざけんじゃねえぞっ!」ってなるよね。「よし、話を着けてくるっ!」のリーダーが、出雲と越の国の勢力と奈良大和の物部一族。
 「おい!、独り占めすんじゃんねぇ!今まで通り、winwinでなきゃダメだろがっ!」って乗り込んだ訳だ。
 九州邪馬台国連合の中にも、出雲と越勢力と感覚を同じくするグループとか、「これ、どっちに着く方が良い?」って言うグループも必ずいると思うからねぇ、、、

九州邪馬台国連合から、魏から貰った許諾を受け継いだ出雲と越は、半島で高句麗(広開土王)から圧迫されている、新羅を助けようとしたんじゃないかな?
 出雲の勢力拡大の祖だった脱解王、スサノオ、天日槍の一族が僅かな勢力で海を渡ったのが、三韓征伐だった気がする。
 前も言って来た様に、半島南部とこの国は同じ経済圏、同じ一族、同じ価値観だったわけですから。
 でも、渡った先で最低限必要な水と食料と火。これが確保出来なくて、撤退を余儀なくされた。って事じゃ無いかな?
 この時の話が、スサノオが「新羅には金(鉱物資源)があるが何もない。わが国には浮く宝(森林資源)がある。」といって、帰ってくる話に繋がった様な、、、
 この辺は、時代とか時間とか入り乱れたりっていう良くある話って事で。

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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