迷い道
お久しぶりです。
お元気ですか?
私はこの頃なんだか色々ありすぎて、心が晴れません。
何年もかかっていた一つの縛りからようやく解放されて、ずっと重くのしかかっていた肩の荷が降りたと思った矢先に、次々と予期せぬ出来事が立て続けに起こり、ずっと翻弄されていました。
それらは一概に「良いこと」とも「悪いこと」とも言えず、なぜこのタイミングに?と驚くことばかりで。ある一つのことがきっかけで私だけでなく周りの人たちの意識が大きく変わり、今まで無意識に抑えていたことを公言したり問題定義するなどして、地中深くに埋めて忘れていたはずの感情を一気に掘り起こして詳らかにするような出来事が続きました。
それは私的には「やっと言えた」とスッキリとしたことも事実なのですが、それによってその裏で長年覆い隠されていた“傷つき”を表面化させ、目の前に突きつけられたような感覚になったことも事実で、決して簡単に「よかったね」「スッキリしたね」とは言い難い事案なのでした。
人間というのは本当に複雑ですね。
人を映し鏡のようにして自分の真の心を認識することがある。
あぁ、そうだったんだねと人に言いながら自分にも言っている。
そして慰めたり労ったりしているようでいて、その裏では「なんて自分勝手なことをしてくれたんだ」と、言葉とは正反対の気持ちが同時にわき起こり“実はこれが私の本心なのか“と持て余していたりする。
だからずっと心が晴れないんですね。
この複雑怪奇な自分の心を、一体どうすれば解放してやれるのでしょうか。
また、別の予期せぬ出来事も同時に起こり。
人に期待はしない。いや、ちょっとは期待してもいい。いや、期待したほうが良い方向へ進むのではないか。。。それは例えるなら夢物語へとワープするような未来図を、まるで前世でご縁があったのかと思うような人からある日突然目の前に提示されるような出来事があり。(ちょっと複雑すぎて説明がつかないですが)
たくさんの想いが交錯します。期待すればうまくいかなかった時にガッカリ落ち込むのは想像に難くない。だから「期待はしないほうがいい」と俯瞰したもう一人の私が言います。自分はそんな大した人間ではないと。現実はしっかりと見えているつもりです。
そう、期待して流されるままに身を委ねる事は、私の意志に反しています。
だからと言ってせっかくのこの機会を全く無視することもなんだか解せない。
「全ての出来事には意味があるから」そう思って生きてきた私には、偶然が引き寄せた出来事ほど、その意味合いを探したくなる。そして無視することで先にある明るい未来をみすみす逃すような、全く何の根拠もない、ありもしない成功を掴み損なったような錯覚に陥って、訳もなく心が沈んだりするんです。
一体何なのでしょうか?
私らしく生きたいと常々ここに書いてきたのに。
自分の人生は自分で切り開く。それが私の信条だというのに。
とても心が疲れています。気がついたらまた痩せていました。
こういう時は、目の前の出来事にだけ集中し、自分が今やるべきことをしっかりとやるのが大事だと知っています。
翻弄されない。そしてむやみに期待しない。
そう感じたのは、長い時間かけて歩いてきた道が、ほんの一瞬「迷い道」だったのかと思わされたからです。
でもそれは違う。一歩一歩、確実に、これでいい。まっすぐ行けと自分で自分を励ましながら歩いてきた道じゃないかと。
もっと自信を持って。それは全く報われない道だったけれど。
それでもなお、「この道を行く」と決めたのは誰でもない、自分なのだから。
目の前のことに集中。日々を大切に。
(珍しく近頃ずっと翻弄され続けていたので、noteが書けませんでした。でも、こうして自分と向き合って、心の中をじっくりと内省することで今いる場所が少し見えた気がします。読んでくださってありがとうございました。安心してくださいね。私は元気です。)
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