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だから、ファンに恋なんてされたくない

こんな記事を世に出すのは現在進行形のキャストとして間違っているのかもしれないし、この記事と出会ったことで、各々のファン的想い人への行いを反芻し、複雑な気持ちになる人たちが一定数いるであろうということは、きちんと理解しているつもりだ。

それでも今夜は、ずっと胸につっかえていた消えない想いを、なぜだか文字に残してみたくなってしまった。こんなリスクのあること、言わなければいいのに、なぜだか伝えたくなる、そういう不思議な感情になる深夜2:00が、私の世界にはあるのだ。

改めて、公開される文字に残すのははじめての、この言葉を公表する。


''ファンに恋をされたくない''

私は、ファンに恋愛感情を抱かれる事が、ガチ恋ってやつが、正直いって、とても苦手だ。


その1番の理由は「キャスト」や「アイドル」である以上、ぜったいのぜったいにその願いは叶えられないから。それはとても申し訳なくて、苦くて酸っぱくて、とりあえず逃げたくなるくらい、私は弱いから、である。




累計すればまずまずな期間、コンカフェキャストやアイドルやら、といった、女という性でなければ成り立たない活動をしてきた。
その中で、私に対して恋愛感情的なものを抱いてくれる人は一定数いてくれたようだった。(伝えられない限りカウントはしないので、認識しているより数は多いのかもしれないが)

人として好意を抱かれるのは基本的にありがたく嬉しいことであるはずだ。その反面、キャストとしては非常に辛くて複雑なことでもある。



コンカフェやアイドルといったものは、''交流する時間''を売っている性質上「繋がり」というのが禁止されている。推しという概念が広く認識された今、わりと一般的になった用語だが、主にはLINE交換をしたり、店や事務所を通さず個人的に遊びに行ったり、と言った行為のことを指す。

禁止されている以上、私はそういった行為を今まで一切してこなかった。

出会えた人、それも仲良しになった人は、人間として魅力的な人ばかりだと思う。私はその人たちのことが本当にだいすきで、なんと言ったらいいか分からないけど、ほっぺにキスくらいしちゃいたいくらい(こんなこと望んでない人もいるね、気持ち悪く思わせたらごめん)ちゃんと愛している。

でも、もし誰か一人を選んでしまったら、他に応援してくれている人達に対して失礼だし、サービスの均衡も崩れるし、信頼の裏切りに値する。

そんなことをするキャストは、応援したくない。自分自身が、ファンの立場で応援したくないキャストになりたくはない。だから、これから先も繋がりとか、そういった行為をするつもりは毛頭ない。

あと、メイド喫茶とかコンカフェという場所の在り方の理想が自分の中にあるのも大きい。これはあくまで私の理想の話だけど、メイド喫茶とかコンカフェという場所は、叶えられない恋とかいうものを、もしかしたらこの子と付き合えるかもしれない!みたいな不確実な「夢」として提供する場所ではなく、そこで成される人との交わりや、想いの籠ったアミューズメントや、非日常的な空間、とかいった、確かに存在するものを「おもてなし」として提供する場所でありたい、そうであれ、と信じているのだ。

だから、ファンの方に告白じみたものをされたり、明らかに恋愛感情を持たれてしまっているよなぁ、という時は非常に困るし、複雑な気持ちになってしまう。もちろん好意はうれしいのだけど、与えたいのはそういう感情じゃなくて、でもそうさせてしまったのは自分な訳だし、無下にするのもおかしい気がするし、嫌われて会えなくなるのもいやなので、悔しくて苦しくてもどかしい。

この気持ちを同業の友達に相談したりすると、なんでかな、これがあまり理解して貰えなかったりするのだ。
夢見させとけばいいのに、とか、恋させるのも才能だよ、とか、引けるだけ引けばいい、とか、ガチ恋は新陳代謝していくもの、だとか。

まぁ、とにかく今まで色々なアドバイスを貰った。事実、お客さまから求められてる対応を届けているという点で、それはそれで正義なのだと思う。

だからね、
私だって、その子たちみたいに、それも自分の正義だと定義して、納得できたらいいなって何度も思った。恋愛のドキドキが楽しいことも、好きな人がいると人生が豊かになるらしいことも、だから各種各次元の推しにガチ恋している人が男女共に多数存在していることも、頭では良く理解している。皆しているのだからそれを届けるのも素晴らしいことか、と、何度も自分を納得させようとした。

けれど、ごめんなさい。
なんというか、やっぱり性分にあわない。好きな気持ちは嘘ではないの。でも同時に、なんだか嘘をついている気持ちになってしまう。

例外的に、たまにかなり酔っ払ったりすると、全人類たぶらかしたるぞ!ふへへ!みたいな気分になって、恋を届けることに前向きになれる一瞬もある。けど、酔いが覚めたあと、私がなりたいキャストってそうじゃなかったはずだよな、と自分自身を困惑させている。


だってさ

せっかく出会えたのに、
せっかくお互いを知れたのに
関わり合いのゴールを作ってしまったが故に、それが達成されなかったらはい、さよなら、なんて

そんなの悲しすぎるじゃないか。

私たちの関係は、そんな一時的に、移り変わっていくようなものでいいのだろうか。


私は、出会えた人に恋とかいう名の叶えられない夢を見させて、その駆け引きを価値として届けるのも、突然失望されたり疲れたりして会えなくなるのも、どうしても辛くて、どうしてもいやだ。
わがままだけど、私という女の子は、あなたの人生における+α‬な笑顔要素として存在したいだけであって、人生をめちゃくちゃにした女、とかにはなりたくないのだ。

だから、すきだから、とか言って、無理にお金を使ってもらうのも嬉しくない。お金使いすぎたなぁとか、それに類することを言われるのも困った気持ちになる。(あとシンプルにかっこわるいという感情もある。例えば男性とご飯に行った時に「意外と高かったねえ!お金使ったなー」なんて奢られたら、最悪だし普通にださすぎるのと同じ感覚だ)

会いに来てくれるのも、私との時間に価値を感じてもらえるのもほんっっっとに涙が出るほど嬉しいし、誕生日イベントとか、特別な時は仲良しさんに頼ってしまう日も訪れると思うけど、日常的な負担になるのは本望では無いのだ。

出会って、超恋して、一気にお金を使ってしまったのでもう会えません!さよなら!みたいになるくらいなら、のんびり好きで、会うのはたまに、な感じでもいいから、なるべく長い間、一緒に人生の報告会をし合うゆるく長い良き関係でいたい。

だから、願わくば、「わたしとあなた」の関係を、恋とかそういう言葉に当てはめないでほしい。せめて、してもらってもいいけど、どうかゴールを持たないで欲しい。出来ることなら、私に伝えないで欲しい。叶えられないよ、どうしよう、という気持ちがプレッシャーになってしまう。

…なんて願うキャストは、
あまりに自己中心的すぎるだろうか。

とはいえ、恋愛的な感情をもってくれている人達の優しさや甘やかしに、その存在に、助けられることがほんとうに多くあった。その人達にはその人達なりの価値観と正義があるよね。私なんかよりずっと、もどかしいかもしれない中で愛してくれてるんだもんね。本当に有難くて、うれしくて、私も好きだよって言いたくて、ていうか本当にそうだから言ってしまう時もあるのだけど、でもだけどやっぱり答えられはしないのだよな~というジレンマを抱えている。

そんな複雑な心境を、何故だか今夜は伝えたくて、どこかの誰かに少しでも分かってもらいたかったのだ。


(というかそもそも、こんな人間味あふれる記事を書いてしまうことも、私をキャストではなく人間にしている原因だからダメなのかもしれない。もっとキャラクターとしての存在を確立させて、こんな感じの桃辿の記事は書くのはやめて、2次元みたいに手の届かなさそうな、存在してない存在になるべきなのかもしれない。あと、酔いすぎたときほんとうに全人類好きになっちゃう、でももうそうなったら好きを溢れさせることを辞められない、、普段の反動なのか(?)ごめんなさい。)

でも、非日常な世界で、出会う予定のなかった、社会的にはなんの関係性もない私たちが、不思議な出会いをしたからこそ、話せることがあると思うのだ。だからこそ得れる、初めての感情があると思うのだ。

非現実的な「あなたとわたし」の関係は、現実的な恋とか愛とか彼氏とか彼女とか、そういった言葉に当てはめずに、わたしたちのフィクションみたいなノンフィクションを、ゴールの見えないなるべく長い間、一緒に作っていきたい。

だいすきだからこそ、大好きすぎるからこそ
私はそんなふうに思ってしまうのです。

だから

(↑この記事の続きです)



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