前向きな死の予行練習
ふとした瞬間、毎日死ぬことを考えている。
それはそれは前向きに。
夜風がきもちよく肌を撫でる時、自分が死ぬ瞬間へゆるりと思いを馳せる。お給仕がとっても楽しかった時、今日みたいな日に命が終わるのもいいことかもとるんるんしている。超絶美味しいカレーを食べた時、はぁぁ、これは最高すぎるしこの後死んでしまっても仕方ないなと思う。
私の日々には、死がなんでか身近にあって、ことある事にそれを考えるのが至極当たり前になっている。
毎日死にたいと考えてしまうことを、世の中では希死念慮と言うらしい。けれど私のは絶対それじゃない。なぜって全然ちっとも死にたくない。死にたくないどころか、なるべくなら120歳くらいまで元気に生きたいと思っているほどには生きたい。わたし、生きるモチベあります。
たぶんきっと、死ぬ事が怖いんだと思う。交通事故で死ぬのも驚くし、ガンとか病になるのも心と体のバランスが取れなくてじわじわ辛そう。殺人鬼に背中から刺されたらまずはとっても熱いんだって。いたいのも死ぬのも当たり前にいやだ。
でも、命の終わりは誰にだっていつか必ずやって来る。だからわたしは脳内予行練習を予めしておいて、死が突然現れても、「よっ、ついに会えたわね、仕方ないかぁ!」なんておどけて、にっこりできるくらいの余裕を持ちたいのだ。
感覚としては、大勢の前でするスピーチの準備と似ている。脳内で人がいっぱいいる様子をシュミレーションして話すぞって練習するやつ。
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しかしながら何故こんなにも死に囚われているのかは不思議である。運がいいことに、私には家族や友達がある日突然亡くなった経験は今のところない。
なのに、今日が命日かもしれない、私はいつか死ぬんだという確信が毎日存在している。普通の人は毎日は考えないらしいことを知って驚いた。
ただ、死を意識するようになったきっかけはいくつかある。学校が嫌すぎて、うっかり死んじゃえたら助かるなぁと思いながら生き長らえていた時期があったこと、自殺未遂を繰り返すキャストをどうやって止めれば心に響くのか知りたくて自死や精神に関する本を読み漁ったこと(結論:生きて欲しい気持ちは伝えてもいいが、自殺はある種の救いであり止める必要はなく、命を絶つ選択肢があることは素晴らしいと考えている)、メメントモリという店のコンセプトを考えている時にその意味が「死を忘れるな」であることを知りそのラテン思想に触れたこと、ジョブスは今日が最後の一日と思って生きようと毎朝自分自身に問うていた事実を知ったことなど様々である。
人はいつだって死ぬ。
いつか死ぬから
それが今日かもしれないから
死ぬ瞬間に見る走馬灯を素敵なものにしたい。
いつ死んでもいいように
やらなかった後悔は少なくしたい。
なるべく健康に長く生きたいけど
今日死んじゃっても人生良かったなと思いたい。
だから私は今日も最後のときをふんわりにっこり考えて、超絶前向きな死の予行練習を繰り返している。
以下、ももてん荘限定おまけ文。一息で書きなぐり。好評ならちょい推敲してアフタートークの記事にします。
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たぶん死を前向きに意識するようになった1番のきっかけは自殺を繰り返すキャスト仲間を止めようとしたことなんだと思う。
いわゆるガチメンヘラで、リストカットとかODとかを日常的に繰り返し、精神病院によく入院していた。私はそういった世界線を知らなかったから、最初ODして救急車で運ばれた、と電話で聞いた時はすごく焦ったし泣きそうになったし心配したし怒れたし、どうにか力になりたいって思った。
価値を感じてくれること、生きる糧です。 カフェでの1杯や、本代にさせて頂きます☕️ noteのコメントには返信機能がないので、こちらで感謝を込めた返信をさせて頂きます✉️♡