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文学フリマ当日の朝に思うこと

ここまで、長った。
いや、あっという間だったか。
どちらかわからないけれど、何も隠さずに正直な気持ちを書いておこうと思う。


昨年の11月に文学フリマ東京38に足を運んでから、すべてが変わった。

本当に何も情報を入れずに足を運んで
とんでもないほど溢れ返る人は
出展者も、来場者も、こんなにも本好きがいるのかと驚いた。
自分は商業誌に携わっていた過去もあるから
出版不況というのは肌身で感じていたところがあって
その不況なんてどこに行ったんだと思わされるほどの熱量が
文学フリマにはあった。

そこで出逢った、初出展の人たち。
その人たちの熱量に圧倒されて、刺激をもらって。

「自分も、やってみたい」

行動が何よりも苦手な自分が
何も考えずに決意してしまうほど
目の前の初出展者たちに、影響を受けた。


2024年、1月1日。
文学フリマ東京38に応募した。

応募するということは、出展が決まった場合は
そこに置く本が必要になる。

僕の本づくりが、始まった。

自分で書いて、自分でデザインして、自分で編む。
自分の物語を。

出来るのかなんて、わからなかった。
調べたり、絶望して無理だと叫んだり
何度となく書けなくて諦めそうになったり
突然職を失って転職活動したり
ほんと、すぐには書ききれないほど、いろいろあった。

けれど、なんとかして、自分の本を作った。
あろうことか、1冊ではなく、2冊もできたのは奇跡だと思う。
文学フリマに間に合うように出来たことも、奇跡だ。

ちゃんと出展できる、なんとか。
いや、別に本ができなくても、フリーペーパーだけでもよかった。
去年の文フリでフリーペーパーにめちゃくちゃ感動したからこそ
どんなカタチであれ素晴らしい表現がたくさんあることを知ったし
良い悪いなどそこにはなくて、その人の表現を純粋に素晴らしいと思って
手に取って、何かを感じて、少しばかりの対価を払って持ち帰り
自分の人生の物語に新たな1ページを加えることができる。

そんな素晴らしい作品たちが、山のように存在する。

リアル書店にある商業誌だけじゃない。
もちろん、商業誌の中にも素晴らしいものは存在する。
僕は以前、そちら側だったからこそ、言える。

けれど、そのリアル書店にはないような宝石たちが
文学フリマというイベントには存在するということ。

僕は文学フリマ東京しか知らないけれど
きっと全国で、たくさんの人たちが表現し
その宝石たちは本好きの手に渡って、また新たな表現が生み出される。

そんな素敵な循環に、僕も今日、少しだけ入り込んでみる。


大袈裟なことは言えない。
自分を堂々と宣伝することはできない。
僕はそういう人間だから。

ただ、静かに編み込んだバカみたいな熱量の本を持って
静かに今日、文学フリマ東京というイベントの一部になってきます。

こんな文章書いて、ひとつも本の内容の宣伝もせずに
意味あるのかコレって感じだけど。

自分が書きたかったから、それでいい。

どちらかというと、僕の文章を通じて
初めて参加する人だったり、新しい刺激に触れる機会が
誰かにとって増えてくれたりすれば、そっちの方が嬉しいから。

僕は、そうして、参加する側から、出展する側になった。

あなたにも、何か響くモノ、ひとつでも持ち帰れると思うから
よかったら、文学フリマ東京38へ行ってみてください。

ああ、もう出発の時間だ。
忘れ物はないかな、大丈夫だと思う。
別に忘れても、なんとかなる、なんとかする。

本だけ忘れずに、行こう。
行ってきます。


⬇️一応、こんな感じで出展しています⬇️


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