エゴの作用を見破ること【何を防御しているかを知り、正気に返る理解】

最近どうでもいいことが本当にどうでもいいんだと心底わかってきて、かつてなら「いや、これは私には重要なんだ!」と牙をむきたくなるような何かが心に引っかかったとしても、そのリアリティーに入り込む時間については短縮できるようになってきた。
入り込まないとは言ってないが、どんな状況、または状況に対する解釈と、解釈によって発生させた思いや情緒が自分の中で体験されたとしても、以前ならそれを「実際にあるもの(リアリティー)」と捉えていたのだが、今は、
ここにエネルギーを投資すればするほど幻想が維持される
という正気の判断とでも言おうか、そんな風に言語で考えているわけではないのだが、そのような「理解・認識」によって、
あ、これは要らないわ
と、さっとエネルギーを引き上げることができるようになったのだ。

「さっと」といかないほど入り込んでいるときには、過去の傷、つまり自分から見て望ましくなかった経験とそこにまつわる情緒エネルギーが「今」と関連付けられているときで……さぁ、あなたも! ここで思い出して、
過去も未来も、すべての時は同時に存在している
ということを。

時間は幻想で、すべては同時にあるので、今どこにエネルギーを関連付けるかの結果によっては、それがどんなに昔のことでも「今がそのときであるかのように」体験することが可能だ。
ただ、そのためには今というポイントで「関連付けできるだけの観念(同質の何か)」を自分のエネルギー内に持っていなければならない。

だから、何か過去の事象に入り込んで情緒的な体験が湧いてくるときには「今、同質の観念が自分の中にある」ということなのだ。
ああ、それなら、それが今ある観念だとわかったので、観念を変えればいいんだね……解除すればいいよね……と理解している人もいると思うが、実際には、観念(Belief)を解除することに「難しさ」をおぼえたことがある人もいるだろう。

難しいと感じているとき、そこに罠がある。
私も「観念解除」とか「観念の書き換え」に取り組んだ経験があるが、そしてそれは必要なことなのだが、簡単な方法があるのだ。
それがまさに今回の記事で提供したい根源的な内容で、私が冒頭で書き始めたことに続いている。


すべてを攻撃・防御のために用いるエゴ

まず理解してほしいのは、私たちが分離の観念(創造主から分離した自己という幻想の結果、個々別々のマインドを持つ者たちの世界を体験している)を信じているとき、これを「エゴの状態」と呼びたいのだが、エゴはすべてを「攻撃のために用いる」ということだ。

攻撃なんてとんでもない! 私の心には愛と優しい思いしかないよ、と考える人もいるかもしれないけど、果たして、そうかな……。
あなたは自分を守る考え、防御する考え、保護する考えをひとつも持ってないと言えるかな?
もしかするとそれはあなた自身でなく「あなたが大切に思う何か」に向けているように転換されて、それらを守る気持ちのように体験されているかもしれないが。

防御と攻撃は同じものの両極表現だ。エゴの状態の自己認識を信じる限り、つまり、分離した一個人としての自己を信じる限り、私たちは常に「攻撃」可能な前提のもとで生きている。
想念であれ、行動であれ、その攻撃がどこに向かうかというと、外の状況や他者もしくは概念のような無形のものに向けているつもりでも、自分自身に影響を及ぼす。
これについては、過去記事◆「ただひとつのマインドの中で・すべてが思考の具現化である世界」も参考にしてほしい。

エゴと攻撃(防御)は切っても切り離せないことを理解すれば、エゴは過去の体験を「今、ここで、復讐の手段として使おうとする」ということも理解できる。
エゴは過去の傷、痛みや苦しみへの復讐の機会として「今」を用いるのだ。

この話が、記事冒頭とどう関係するかって?
とてもシンプルな話につながる。
そうしたエゴのもたらすある作用、エゴの重要な機能、それが何であるかがよくわかれば……あなたが「今ここで」それを選ぶか、選ばないかだ。
その作用、機能とは、

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