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勝手に10選〜タイトルに名前が入るイカした曲編(前編)


(前記)

様々な観点から、条件を頭の中で構築し、自身にとって欠かせない曲をピックアップする企画であり、今回はタイトルに人の名前が入る曲とした。

はてさて、自身がどんな曲をチョイスするのか、自身でも楽しみである。

それでは、今回はタイトルに名前が入ったイカした曲を勝手に10選する。


・ルイジアンナ

1972年にキャロルによって発表されたデビューシングルである。

2分ほどの短い曲であるが、イントロから曲の終わりまで、全く無駄のないミニマムでソリッドな実にイカしたロックンロールである。

時代はフォーク全盛期であり、名だたるミュージシャンはテレビというメディアに出演する事を拒否する事が多かった。
不思議なもので、後の昭和から平成にかけたバンドブームの際にも同じ様な風潮が起こるのだが、時代の変遷期にはそういった事が起こるのだろうか。

しかし、矢沢永吉さん率いるキャロルはむしろ積極的にテレビ出演を行った。当たり前だがネットなんて考えられない時代に自分達から前に出て勝負をして、とにかく有名になりたかった。

そしてハンブルグ時代のビートルズに影響されたキャロルがリーゼントに革ジャンでツバを飛ばしながらロックンロールをシャウトする姿が、当時の若者達の心を鷲掴みにして行ったのだ。

ギターのカッティング2発から、勢いよくサビのフレーズが始まる。
曲の構成としてはサビとAメロと間奏からなる実にソリッドでシンプルな構成であるが、この曲の魅力としてはブレイクの使い方が要所で効いている所だろう。

曲の構成もサビ、Aメロ、サビ、間奏、Aメロ、サビと王道であるが、ブレイク、緩急をつけ、隙が全く無く非常に気持ちが良い。
随所に散りばめられたギターリフ、ソロ、コーラスワークも完璧に2分強に詰め込まれている。

キャロルが存在しなければ、BOOWYだってチェッカーズだって、革ジャンを着てロックンロールするアーティストなんていなかったのだ。



・メリーアン

1983年にジ・アルフィー(以下:アルフィー)のシングルとして発表された曲だ。

筆者の勝手な私見であるが、アルフィーの日本の音楽史における足跡に対する評価はもっともっと大々的であってよいと考える。

元々メンバーの坂崎幸之助さんは、中学1年生の時にアコースティックギター(当時は本当はエレキギターが欲しかった)を購入し、ビートルズや吉田拓郎さん、フォークなどで、アコースティックギターの腕を磨いた。

また、別の高校の同学生に桜井賢さんが在籍しており、その美声を買われサイモン&ガーファンクルなどをコピーするコンフィデンスというグループを結成していた。

そして桜井さんと同じ学校の同級生でレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどのハードロックにてバンド活動に勤しんでいたのが、高見沢俊彦さんである。

その後、高校3年生の時に坂崎さんと桜井さんはコンテストにて出会い、坂崎さんはコンフィデンスに加入し、大学が3人とも同じであった為、坂崎さんが高見沢さんをコンフィデンスに誘い、その後のアルフィーが結成されるのだ。

なんとも運命な3人であるが、各々ルーツの違いが大きく、坂崎さんはフォークよりのアコースティックソングやロック、桜井さんはサイモン&ガーファンクルを中心としたアコースティック、高見沢さんがハードロック、とこの3人が組む事により、ハードロックの激しさ、アコースティックの煌びやかさ、ハーモニーの美しさ、3人の持つリードボーカルのスキル、これら全てが融合して、アルフィーとしての唯一無二のサウンドが構築され、さらにキャッチーさが伴い日本の音楽史に確固たる地位を築いたのだ。

この曲はデビュー当時はフォーク、アコースティック路線でパッとしなかったアルフィーが、高見沢さんをリーダーにロックを全面に出した、今のアルフィーの原型を決定づけた曲だ。

重厚感に溢れ、勢いのあるカッティングによるギターリフ、キャッチーでフォークも香るメロディラインからの盛り上がるサビ、随所に存在感を発揮するアコースティックギター、全てが見事に融合し、そしてアルフィーの真骨頂であるハーモニーがどこまでも美しい。

これぞアルフィーの真骨頂という大名曲である。



・わがままジュリエット

1986年にBOOWYのアルバム"JUST A HERO"の先行シングルとして発表された曲だ。

BOOWYにおける楽曲の多数はリードボーカルの氷室京介さんが作詞、ギターの布袋寅泰さんが作曲ならびにプロデュースであるが、作詞作曲が氷室京介さんであったり、作詞が布袋寅泰さんやベースの松井恒松さんによる楽曲も存在する。

筆者の見解であるが、この曲が収録されているアルバム"JUST A HERO"が、BOOWYとしてのアルバムの頂点ではないだろうか。

曲目を見ても、BOOWYを代表する曲がずらりと並んでいる訳では無いが、BOOWYのキャリアとして、最初はパンク、ガレージロックっぽい印象から、最終的にはデジタルが多用され、この"JUST A HERO"の頃がスキル、アレンジ、バンドとしてのグルーヴ感、統一感、等がアルバム1枚通して聴くと1番本来のBOOWYとしてのサウンドを象徴している印象である。

本曲は氷室京介さんの作詞作曲による曲であり、BOOWYのキャリアにおける氷室京介さんが作詞作曲を手掛けた曲の中でも1、2を争う名曲である。

ミドルテンポのバラードであるが、先ずアレンジが素晴らしい。
シンセサイザーがとても優しく、包み込まれる様にノスタルジックな香りもしながらファンタジックであり、全体的な雰囲気を見事に盛り立てている。
また、氷室京介さんによる歌詞がメタファーを多用し、散文的、断片的なフレーズのコラージュの様で、この曲独特の唯一無二のサウンドに
見事に溶け込んでいる。

ギター、ベース、シンセサイザー、ドラムが各々ミニマムな演奏で、独自のテンポを兼ね備え、歌詞のフレーズとメロディラインを際立たせ、見事に曲全体の世界観を構築させており、ただ身を委ねるのが実に気持ちの良い大名曲である。


・シェリー

1985年に尾崎豊さんによって発表されたアルバム"回帰線"に収録された曲だ。

これほどまでに曲中において、名前を連呼する曲はあるのだろうか。

曲の構成はAメロ、Bメロ、サビと王道でストレートであるが、Bメロにおける最後の2フレーズを省いては、曲全体におけるフレーズの始まりは、全てシェリーである。

ミドルテンポのバラードで、Aメロは独り言の様な淡々と歌い綴るイメージであり、Bメロは、語りかける様にややマイナー調となり、サビへの見事な橋渡しとなり、サビは突き抜ける気持ち良さ、切なさをスパイスとした尾崎さんの叫びとも言えるクライマックスの役割を存分に発揮している。

歌詞は、前述の様にシェリーに語りかけたり、問いかけたりする事により構成される。
内容は、ストレートにアーティストとしてデビューして、ブレイクをした後の葛藤だったり、今自身が置かれている状況に対する疑問、自身の在り方などを吐露し、どうやってこれから生きていくのか悩み抜く様な内容と思われる。

では、一体シェリーとはどんな人物なのか。
以前のインタビューで御子息の尾崎裕哉さんが、シェリーとは尾崎さんの高校時代の恋人だと尾崎さんの奥様が言ってらした旨の記事を目にし、確かにそうかも知れないが、筆者の見解では尾崎さんの内面に潜むもう1人の尾崎豊さんの様にも思われる。

歌詞がストレートに胸に刺さり、今も聴く者の心に寄り添う大名曲である。


・服部

1989年にユニコーンによって発表されたアルバム"服部"に収録された表題曲だ。

1987年にアルバム"BOOM"でデビューを飾ったユニコーンであるが、デビュー当時はビートロック系、ニューウェーブ系のバンドであり、奥田民生さんがほぼ全曲の作詞作曲を担っていたが、セカンドアルバム"PANIC ATTACK"から、キーボードが阿部義晴さんに代わり、他のメンバーの作詞曲、作曲も増えて、リードボーカルも他のメンバーが参加する様に変化する事により、ユニコーンに様々な音楽性や遊び心、多様性をもたらす事になる。

そんなユニコーンのバンドとしてのスタイルが確立されつつある際に発表されたアルバムが、"服部"である。
このアルバムから本格的にメンバー全員による作詞作曲、担当楽器の多様化、リードボーカルの入れ替えが定着し、メンバーの意見が楽曲に反映され、楽曲自体も多様性を見せる様になったのだ。

さて、何故にアルバムタイトルが"服部"になったのか、という点に関しては、当時のメンバー曰く"なんでもよかった"とし、たまたまメンバー内で"服部"という単語が冗談で流行っていたからである。
セカンドアルバムに伴ったツアーの終了後に、次のアルバムのタイトルは"服部"です、とメンバーが発表すると、スタッフの方々の中を沈黙が支配した様だ。

という理由から、アルバムタイトルが"服部"と決まった事から、タイトルを"服部"として奥田民生さんが作詞作曲したのが本曲である。

実に重厚感と力強さを兼ね備え、ギターリフも冴え渡るハードロックの真髄を披露している。

歌詞は、いわゆる大人である服部さんが、若者にかかってきなさい、的なコミカルな内容であり、この様なイカしたハードロックを少年少女達の心にすっと響かせるところが、ユニコーンにおける魅力の真骨頂である。


(後記)

後半へ続く。



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