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勝手に10選〜イカしたフォークロックの世界(前編)〜

(前記)

今、この時代にフォークという音楽ジャンルは人々にとって、どの様な存在であろうか。

筆者は1970年代に生を受けており、日本におけるフォーク全盛時代は前世、もしくはバブバブの時代なのでリアルタイムで経験をしてない。
その為フォークといえば、幼少期に家族の乗る車の中で聞いていた記憶が微かに残るだけだった。

10歳の時にチェッカーズというバンドを通じてロックに犯された少年にとって、当時はフォークという音楽におけるジャンルの響きみたいなものは、フォークギター(今でいうアコースティックギター)に長髪、ベルボトムを履いて、なんだか退屈な歌を歌っている時代、位にしか思っていなかった。

時が過ぎ、大学生の時に、なんだか同級生の中にGIBSONのアコースティックギターを所有し、やたらめったらフォークが好きな奴がいるとの情報を得て、早速自ら話しかけたら、話が一瞬で盛り上がり、話しかけたその日にGIBSONのギターを持って遊びに来てくれた。

初めてGIBSONのギターに触れたのも嬉しかったが、それ以上に彼のスリーフィンガーのテクニックに驚愕し、それからというもの、フォークの魅力だったり、フィンガリング等のテクニックを教えて貰ったりと、随分互いの家を行き来したのが懐かしい。

そんなこんなでフォークの知識も身につけたのだが、なんだかそんなフォークという枠に時代と共にカテゴライズされてしまったロック、いやむしろロックだろ、と思う曲が存在するのだ。

そこで、今回はフォークとカテゴライズされがちな曲から、いや、これはもはやイカしたロックだろう、という曲を筆者が勝手にフォークロックと名付けて10選する。

・青年は荒野をめざす

1968年にザ・フォーク・クルセダーズのシングルとして発表された曲だ。

ザ・フォーク・クルセダーズは加藤和彦さんと、北山修さんを中心に1963年に結成された。

まず、この2人だが、加藤和彦さんはボブ・ディランに触発されギタリストとなり、後にサディスティック・ミカ・バンドを結成し、日本のロック史に偉大な功績を残した人物だ。

北山修さんは元々カントリーから音楽の道に入りバンドでギタリストを担当していた。
ザ・フォーク・クルセダーズ時代は医学生であり、その後は作詞家(筆者の時代に、とんねるずの曲の作詞をされた時はびっくりしたものだ。)など音楽活動と医師としての活動を両立し、九州大学の名誉教授となり、日本精神分析学会会長を務めるなど見事な二刀流を達成した稀な人物である。

結成当初はメンバーも入れ替わりが頻繁にあった上、皆学生であり、アマチュアとして活動を行っていたが、1967年に解散を決定し、その記念に自主制作のアルバムを制作する。

このアルバムの中に大名曲"帰って来たヨッパライ"と"イムジン河"が収録されていたのだ。

解散はしたものの、ラジオでこの2曲が爆発的に流れ、状況は急転、再結成とプロデビューの話が持ち上がり、北山修さんが加藤さんを説得し、1年だけの条件と、はしだのりひこさんを新メンバーに迎え、再結成をし、"帰って来たヨッパライ"でメジャーデビューを果たす。

すると、この"帰って来たヨッパライ"が当時のオリコン史上初のミリオンセラーを記録し、200万枚を超える大ヒットとなった。

そして数々の名曲を輩出し、約束通り1年で解散した。

この楽曲であるが、なんと作詞が小説家の五木寛之先生である。
元々、五木寛之先生の同名の小説があり、その小説がモチーフである。

実に疾走感の溢れる、アコースティックギターのストロークが抜群に気持ち良く、心が高揚するロックだ。
歌詞も、青年が故郷から旅立つ内容で、少しの未練を持ちつつ新たなるステージを目指す実に前向きでポジティブな内容であり、オケと歌詞を互いに高め合っている大名曲である。

こう言った素晴らしい曲を是非、アーティストによって歌い継がれてもらいたいものだ。



・マキシーのために

1972年にかぐや姫によって発表されたファーストアルバム”はじめまして”に収録された曲だ。

作詞は喜多条忠さんで作曲は南こうせつさんで、なんとプロデュースは吉田拓郎さんである。

爽やかで軽やかで疾走感に満ち溢れるロックだ。
エレキギターは吉田拓郎さんが弾かれている事もまた興味深い。

軽やかなロックに対して歌詞は過激な展開となる。
さて、この曲の作詞は喜多条忠さんによるが、喜多条さんといえば、かぐや姫の代表曲である”神田川”や”妹”を作詞した人物である。

喜多条さんは元々放送作家であり、南こうせつさんが作詞をしてくれないか、との依頼を受け、始めて作詞というものに携わったのがこの曲である。

この"マキシー"とは、実在する喜多条さんの友人がモデルとなっており、この女性は60年代の安保の大学紛争において有名な活動家であり、喰らい付いたら離れないので"ピラニア"の異名を持っていたが、紛争が終息を迎え、生きがいを失って自殺をしてしまう。

この曲は最初"ピラニアのために"というタイトルであったが、ピラニアじゃあちょっと、となり"マキシーのために"になったのだ。

軽快なロックの中に、いきなり驚くフレーズが入ってきたり、南こうせつさんのボーカルがいきなり感情的な変化をしたり、そのギャップに初めて聴いた時はかなり驚いたものだが、そのギャップこそ、緩急という上でこの曲の魅力であろう。


・僕の好きな先生

1972年にRCサクセションのシングルとして発表された曲だ。

ザ・キング・オブ・ロックと呼ばれるRCサクセションであるが、デビュー当時はフォークスタイルであった。

主役である忌野清志郎さんは、中学生の時からギターを弾き始め、高校時代にはビートルズ、ブルース等の音楽に影響を受けていた。
やはり、音楽への入り口と根底に流れる血はロックの洗礼を受けていたのだ。

曲であるが、実に軽快でカズーも効いたミドルテンポでのブルースの香りも仄かにするアコースティックなロックだ。

おじさんとは、学校の美術の先生であり、いつもタバコを吸いながら美術室にいる。
主人公が遅刻をしても困った顔をして口数を少なく怒り、主人公と同じく職員室が嫌いで、劣等生である主人公に対してタバコを吸いながら素敵な話をしてくれる、実に親近感の湧く魅力的な先生だ。

なんと、この先生は実在する人物がであり、忌野清志郎さんの高校時代における担任で美術の教師であった小林先生なのだ。

この小林先生は、ギターに熱中する息子を心配した母親を諭した人物であり、時が立ち、忌野清志郎さんのファーストアルバムを自ら赴いてプレゼントしたそうだ。
小林先生も嬉しかっただろう。

先生のお人柄や、清志郎さんの先生に対するリスペクトが込められた歌詞に、軽快なアコースティックロックに見事にマッチした素敵な曲だ。



・プカプカ


1972年に西岡恭蔵さんのシングルとして発表された曲だ。

元々、西岡恭蔵さんはザ・ディランというバンドに所属していたが脱退しソロシンガーとして歩み出すのだが、残ったバンドはディランIIとして活動し、1971年に発表したデビューアルバムのカップリングとして、この曲を先に発表したのだ。

しかしこの曲は西岡恭蔵さんが象狂象のペンネームで作詞作曲を手掛けた楽曲であり、ディランIIが発表した翌年の1972年に西岡恭蔵さんのソロデビューシングルとして発売された。
よって発売当時にこの曲が2パターン存在するのだ。

筆者のイメージは、とにかく多くのアーティストカバーされる曲だ。
桑田佳祐さん、奥田民生さん、福山雅治さんなどを始めに、とにかくカバーするアーティストが多いのだ。

それは、数字に見えないこの曲における素晴らしい魅力を証明しているのだ。

曲は軽快でシンプルかつソリッド、もはやアコースティックギターのストロークとベースと打楽器だけだ。あまりにシンプルだっために、慌ててエンジニアが間奏にダビングによりピアノを入れた程だ。

魅力は歌詞だろう。
この曲は実在した人物がモチーフになっている。
女性ジャズシンガーの安田南さんだ。
安田南さんはシンガーのみならず、ラジオのDJ、エッセイスト、女優として多岐に渡り活躍されたが、映画やラジオの収録の際に失踪したり、破天荒な一面もあった様だ。

そんな安田南さんがかなりのベビースモーカーだった為にこの曲が生まれたと言われている。

擬態語を実に上手く取り入れて、破天荒な女性とのやり取りを見事に表現し、その歌詞が、この軽やかで少しブルースも香る曲と融合した名曲であり、多くのアーティストに歌い継がれているのだ。



・東へ西へ


1972年に井上陽水さんのシングルとして発表された曲だ。

井上陽水さんは小学生の時から姉の影響もあり、エルビス・プレスリーなどの洋楽に興味を持ち、中学3年生の時にビートルズと出会い、衝撃を受け、ビートルズに夢中となり、高校時代はビートルズ狂いと呼ばれる程であった。

やはり、井上陽水さんの原点はロックンロールであり、デビュー後も自身の事をフォーク歌手と思った事が無く、フォーク歌手扱いされる事を嫌っていたのだ。

曲だが、ジャキっとしたアコースティックギターのカッティングによるリフが素晴らしく、いきなり心を揺さぶられる。

歌詞は題名が、東へ西へ、と対極を示している事もあり、ありふれた主人公の1日をその捉え方であったり、表現の仕方によって一種、カオス、狂気的な光景に変わるのだ。

その捉え方を踏まえて、各々が頑張れ、というメッセージソングともとれる。
我々の日常も当人の捉え方によって東へ西へ随分と様々な光景となるのだ。

実にアコースティックギターのカッティングが冴え渡るミドルテンポのロックに不思議な歌詞が見事に融合している。


(後記)

後半へ続く

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