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ピダハン族について

先日、友達と話していて
ピダハン族という部族を知った。

この方達の興味深いポイントは
使用する言語にある。

通常、私たちは過去について、他人について、夢について、ありとあらゆる知識と経験を踏まえて、そこそこ複雑なコミュニケーションを取る。

しかしピダハン族は現存する言語の中で最も少ない11の音しか持たない。

まさに、いろいろなものを断捨離しまくった、
超ミニマルな言語なのである。

世界一幸せな部族

ピダハン族は世界一幸せだと言われている。
その理由をまずは書こう。

人間の悩みは大きく3つに分けられる。

お金、健康、人間関係だ。


そして、ピダハン族の言語において、人間関係のもつれが発生する事は無い。

それは極めてシンプルなピダハン族の言語は、普段私たちの使っている「再帰言語」というルールを持たないためである。

再帰言語とは
ある物事について記述する際に、記述しているもの自体への参照が、その記述中に現れる事

Wikipedia

つまり、「向こうの魚がよく取れる川に行こう」というのは、川に対して、「向こうの魚がよく取れる」は参照内容だ。

これをピダハン的にいうならば、
「川に行こう」となる。

シンプルすぎる。
さらに、数や過去未来、空想上の物事を表す言葉も存在しない。

このシンプルさゆえに、人間関係のもつれは発生しないと言われているのだ。

昨日、マイケルにやな事をされても翌日にはそんな事は存在しなかったことになる。


幸せってなんなのか

多くの記事で、このような理由で世界一幸せな部族だと記述している。

本当にそうなのか。
ある一面だけを見た、絵空事の幸せではないか。

難しいからそこ面白い。

そう感じる事は無いか?
なんでも簡単にできて仕舞えばつまらない。
難しいからこそ面白い事はたくさんある。

ルールを最低限でやる大富豪よりも、
8流し、10捨て、イレブンバック、7渡し
全部盛りでやる大富豪が面白い。


他人の答え

難しいからこそ面白い。
これは多くの本や記事でも語られている内容だと思う。私が今思いついた概念では無い。

だから、ピダハンについて私と同じように感じる人も多いと思う。
それなのに多くの記事で「幸せ部族」について言及があるのは、

他人の答えを読んで、あたかも自分でそう感じたかのように認識してしまっているからでは無いか?

用意されている答えを読むのは簡単だ。

だけど、本当にそう思っているのか?
自分に問いかけてみて、少しでも違和感に触れたのならば、

それを自分の答えにするべきじゃ無い。


難しいから面白い

やはり、難しいから面白いのだ。

一朝一夕で出来ないからこそ面白いのだ。

短絡的に、人間関係が気楽なピダハンを羨むのは軽薄かも知れない。

そういう机上の空論ではなくて、
実際に自分で経験した実体験をもとに
自分はどう思ったのか、組み立て

言葉として自然を表面化してきたものが自分の意見になるような生き方をしたい。

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