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赴くままに店をやる

店を始めるということは、色々とアイデアを出して、どの客層をターゲットにして、どうやって呼び込んでいくのか。など考えることが多々あるように思う。それら全て面倒臭いを理由にやめてしまった。

自分の心の赴くままに欲求に嘘をつかずにやっていけば、なんとかなるんじゃないか。そう思うのだ。

実際のところ営業時間でさえ曖昧でもいいのではないだろうか?と思ったりもする。仕込みは焙煎だけだし、基本営業時間さえ定めておけば、その時間に来た時には必ず入れるし。メニューも珈琲か珈琲豆しかない。しかないという言い方があっているかわからないけど、基本的には豆売り専門店みたいになりたい。豆売りだけじゃなんかいけそうにないから、ドリップコーヒーで自分の豆を飲んでもらうかと言った感覚。

店はだいぶん形になってきて、あとは消防の許可が降りるだけとなった。作ってもらったカウンターは素材が剥き出しになっている。でも完成した時にこれでいいと思った。かっこいいじゃんというのは格好つけただけな気もするが、なんとなくこのままがいいなと思った。それはきっとここに何を嵌め込もうか?何をつけようか?と考えるのが面倒くさかっただけなのだ。

昔家族で川の字になって寝る前に「大人になったら会社の人とカラオケとか行かんといけんのんか。面倒臭いなあ」と言った時、母が「めんどくさいとか言わんといて」と言ったのが記憶にある。それ以前にも〇〇面倒臭いなあと色々と言っていたからこそそう言ったのだと思う。我ながらめんどくさい息子だ(笑)

でもその頃から自分の嫌なことがなんとなく明確になっていたからこそ、今はカラオケなんか行かない。行きたい人とはいくけど、何かのノリでとか二次会でとかは行きたいと思わない。歌を歌うのは好きだけど、カラオケは苦手。嫌なことはやらんでいいんですよきっと。

誰かに合わせて生きるのは相手にとってはとても心地の良いことだと感じるはず。だが自分自身がきつい思いをするほど相手に合わせてもいいことなどあまりないのではないだろうか。という自分も相手に合わせて行動したり自分の考えを表に出さないこともある。相手のことを気遣って言わないことがあるけれど、きっと大切な人たちはちゃんと言うことが本当の気遣いになるのだと思う。

お店だって一緒だ。お客さんがいなければ成り立ちはしない。お金を払ってもらってそれで食べていくしかないのだ。いや、そんなことはないけど、、

お客さんが喜んでくれることが何より嬉しいのだろうけど、それと同時に自分が嬉しいかどうかも考える必要がある。自分が辛い思いをしながら珈琲を淹れて飲んでもらいたいとは思わなくて、お互いが気持ちの良い取引の上で、お店はカッコよくなっていくんじゃないだろうか。

だから自分の赴くままに店を作っていく。時間はかかる。きっと何年間もお店をやり続けて、なんとか自我とお客さんがちょうど良いバランスになる。いいんだよ。僕の店の入り口には帰り際に見える「遊び心を忘れない」の絵が飾ってある。

僕自身も忘れないようにしたい

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