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パラレルワールドのわたしへ

小説やアニメで、ふらっと大学をサボってどこかに行ったり、冒険したりしている主人公を見て、なんかいいな〜と思っていたことを最近思い出します。

というか、大学生になれば一回や二回は講義をすっぽかしてみるもんだと思っていたし、そういう気ままさが大学生の醍醐味だとも思っていました。
でも、実際は4年間一度も講義をサボったことはなかった。わたしの名前をいつまで経っても覚えてくれない先生と闘わなくてはならない講義だって、休みたすぎる〜と思いながら毎回出席しました。

純粋にすごいし頑張ってきたな、と思います。でも、なんか、あそびがなくここまできてしまった感もあって、もしあのときサボっていたら、とかをふと思います。


国家試験を終え、成績発表もされ、卒業が確定した今、この大学生活で選びとってこなかった選択肢を振り返ることが増えました。
人生にはたくさんの分岐点があって、いくつもの道を絶えず選び続けてきている。その選ばなかった方の世界、パラレルワールドのことを考えています。


例えば、大きなことで言えばコロナです。これは選びとった道というより、選び取らざるを得なかった道ですが、コロナのない世界を生きている自分のことを想像したりします。
コロナがない世界ではおそらくわたしは今とはもっと違うコミュニティに属していて、ということはそこで関わる人に染ったり染まらなかったりしていて、本当に今のわたしとはまったく別のわたしが出来上がっていると思います。


他にも、あのときあの場所に行っていなかったら、とか、あのときあんなことを言わなかったら、とか、些細なことが重要な分岐点になっている感覚があって、その分岐点が大学生活ではものすごいたくさんあったような気がしました。そして、その数だけパラレルワールドがあるなあと思うのです。



そのパラレルワールドの自分のことを考えます。
パラレルワールドのわたしは、今ここにいるわたしとは違う物事を考えているかもしれないし、悩んでいるかもしれないし、あるいはめちゃくちゃ楽しんでいるかもしれない。
ただ、今ここにいるわたしとおんなじ速度で、ずっと一緒に生活をしている気がします。そんな君のことをわたしは応援している。選び取らなかった人生のわたしも幸せであってほしい。
そして、きっとパラレルワールドのわたしもこのわたしのことをそんなふうに考えてくれているような気がします。


もし、あのとき授業をサボっていたら、どんなパラレルワールドが展開されていたのかしら?そこでも元気にしているといいな。



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