龍造寺文庫

尾張の国の生まれ。九州の数ケ国を経て現在は武蔵の国の人。旅のお供エフハチと日本各地のミ…

龍造寺文庫

尾張の国の生まれ。九州の数ケ国を経て現在は武蔵の国の人。旅のお供エフハチと日本各地のミュージアムを西に東に。増え続ける図録の収納が永遠の課題。

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地域別インデックス

初めてお越しの方、はじめまして。 時々覗いてくださる方々、ありがとうございます。 さらに足跡まで残してくださる方々、心から感謝申し上げます。 話題の場所もひっそりのトコロも、日本各地のミュージアム(広い意味で)を網羅的に記録しております。 ややヘンタイ的な視点は自覚しておりますが、ご意見等いただければありがたく存じます。 ネタがアチコチに飛んでしまうので、地域別の索引にしています(地域バランスも多少意識)。歴史と地域の文脈を新たな糸口に。   1.【東京都】 【台東区

    • 黒田家と松永耳庵に現代アート  福岡市美術館【前川國男】

      そういえばあそこにあるなと気付いていても、なかなか行かないことが多いのが公立の美術館。一方、博物館や資料館はとりあえず行ってみようかなとなります。興味の対象とオーバーラップする部分はあるものの、ややズレがあるからでしょうか。 ところが時間が空いたのでちょっと寄ってみたりすると、急に視界が開けたりします。福岡でのコト。   福岡市は人口が1,645,000人と九州最大の都市です。古くからアジアへの玄関口として機能し、権力者にとっては貿易の権限をめぐり、重要拠点だった博多は争奪

      • 曜変天目茶碗【 3/3 】 MIHOMUSEUM 滋賀

        東京から大阪へと続いた曜変天目茶碗も最後の1碗。ところが、これが一筋縄ではいかない1碗でした。この茶碗を追いかけて10年ほど経った2019年。この年は偶然にも国宝3碗が展示されるとの情報が(場所は別々)。 東京は静嘉堂文庫美術館、大阪の藤田美術館は建て替え中だったので奈良国立博物館で、ラストピースは滋賀のMIHO MUSEUM(ミホミュージアム:以下MIHO)でした。 さながら2019年は曜変天目グランドクロスの年。 そもそもラストピースは、大徳寺の塔頭龍光院(京都府京都市

        • 曜変天目茶碗【 2/3 】  藤田美術館 大阪

          唐物と呼ばれる中国から海を越えてきた茶碗。その中でも曜変天目茶碗は世界にたった3碗といわれ、何故かすべて日本にあります。その1つを所蔵している東京の静嘉堂文庫美術館に続き、関西で年に1回ペースで展示される美術館を。   関西には実業家によるコレクションを源流とする個性的なミュージアムがいくつかあります。その中でも新しくなったモダンな建物が印象的な藤田美術館。大阪は水の都といわれますが、美術館はその言葉が実感できる旧淀川と寝屋川の合流点近くにあります。 藤田美術館 藤田美

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          饒舌館長ベスト展  静嘉堂文庫美術館1.0@岡本

          前回は丸の内にある静嘉堂文庫美術館を取り上げました。 丸の内移転後の入館者数はどう変化したのかと調べてみましたが、入館者のデータは拾えませんでした。美術館のHPにある法人概要を覗いてみると、年毎に公開されている正味財産増減計算書の中に事業収益額があります。 2023年度のデータはまだなく、2022年度(2022年4月-2023年3月、移転の年)で見ると3.86億円、なんと前年の約2.3倍に。事業収益額なので人数の増加以外の要素もあると思われますが、移転後の実質半年間の数字とし

          饒舌館長ベスト展  静嘉堂文庫美術館1.0@岡本

          曜変天目茶碗【 1/3 】  静嘉堂文庫美術館@丸の内・明治生命館【岡田信一郎】

          東京都心では再開発がいつもどこかで行われ、都市の進化?に終わりがありません。破壊と再生・再構築を繰り返し、利便性は増して視覚的にもキレイになっていきます。SDGsとはやや矛盾する部分がある気もしますが、企業側はもっともらしい大義名分を掲げ、経済発展に突き進みます(笑)。 そんな終わる事のない再開発が絶賛進行中の丸の内。そこに2022年にオープンした静嘉堂文庫美術館の記録です。   静嘉堂文庫美術館は旧三菱財閥系の私設ミュージアム。以前の美術館は世田谷区岡本にありましたが、

          曜変天目茶碗【 1/3 】  静嘉堂文庫美術館@丸の内・明治生命館【岡田信一郎】

          中谷宇吉郎 雪の科学館【磯崎新】から由布院   加賀 大聖寺

          2024年正月に自然の猛威にさらされた北陸地方。 被災者の方々にはお見舞い申し上げます。 復興が進んでいるのかいないのか断片的な情報ではよく分かりませんが、北陸新幹線は予定通りに敦賀まで延長され、国による旅行支援やら被災地首長の「支援にもなるので是非お越しください!」という空気はスッキリ受け入れられずモヤモヤ。 混雑は避けたいのと被災者の人たちが混在している所に今敢えて行くのにはチョット躊躇します。 東日本大震災後に東北へ訪れたのは、震災から1年半後でした。それでも被災地の

          中谷宇吉郎 雪の科学館【磯崎新】から由布院   加賀 大聖寺

          西の伊達   宇和島城・伊達博物館・天赦園【伊達家のトビラ2】

          土佐山内家・高知編で、古来土佐へのアクセスの難易度に触れました。加えて四国の西側もまたアクセスがあまり良いとは言えない地域(ネガティブな話ではありません)。ですが愛媛から高知を繋ぐ国道56号線沿いには大洲、宇和島、宿毛、四万十と雰囲気の良い町がズラリと並びます。いずれも長い歴史を実感できるトコロです。 その中で伊予の国(愛媛県)、宇和島のかつてのお殿様は伊達家。「伊達家って東北・仙台じゃないの?」と思う人は少なくないでしょう(色々あったんです)。おまけに天守閣がなかった本家・

          西の伊達   宇和島城・伊達博物館・天赦園【伊達家のトビラ2】

          カレーうどんにRBとRC  ホンダウェルカムプラザ青山【ファクトリーマシンのトビラ2】

          ホンダウェルカムプラザ青山は、ホンダのショールーム&イベント会場です。2025年の春にはその本体となる本社の建替が発表され、先の予定は未定です。 ココはちょっとした観光名所にもなっていて、先日も貸し切りバスで団体さんがゾロゾロと見学に。何かの教育プログラムとかで、アメリカからの学生さんとバスの運転手さんが教えてくれました。 小さなカフェスペースとグッズショップもあり、待合にも使われていたり。ショップを覗いているとちょっと変わったものが売られています。 何故かのカレーうどん。

          カレーうどんにRBとRC  ホンダウェルカムプラザ青山【ファクトリーマシンのトビラ2】

          妹島和世さんと小笠原家書院・資料館【SANAA】

          なんでこんな所に?という不便な場所にあるカッコいい建築(器の役割を果たしてないモノはちょっと違うけど)。 例えば建築家のキャリア初期の作品(依頼主をあまり選り好みできない?)で、後に建築家の知名度が上がるケース。 もしくは予算充分の変わった依頼主が、どうしてもその土地に建てたくて著名建築家に依頼するケース。 ココ小笠原資料館は後にビッグネームとなる建築家の手による建物ですが、その土地にとって必然性のある要素を選択した結果です。   信濃の国(長野県)は室町時代に小笠原氏が守

          妹島和世さんと小笠原家書院・資料館【SANAA】

          伊達家のトビラ1    仙台市博物館・瑞鳳殿

          「奥州王」、なにかと妄想を掻き立てる名称。 伊達政宗(1567-1636)はそう形容される1人。実際に政宗自身がそういう野望を持っていたのか分かりませんが、地図で政宗の支配が及んだ領域の変遷を見ると、陸奥の国の最大30~40%ぐらいでしょうか。「三日月の丸くなるまで南部領」の方が広そうですが、陸奥の国はとにかくデカすぎる。   現代の陸奥の中心は仙台市。東北最大の都市で人口は1,096,000人、杜の都とよばれています。ジョジョのふるさと。街の雰囲気は九州・熊本市(森の都:

          伊達家のトビラ1    仙台市博物館・瑞鳳殿

          蒲生氏郷と千利休:会津若松  茶室麟閣・興徳寺

          東北は冬だと自走派には行きにくい場所。天気が良ければ可能かもしれませんが、防寒フル装備の長距離はいろいろ疲れます。雨ならそれほど問題にしませんが(気分は多少下がる)。 東北にはかつて大藩が幾つかあり、幕末まで存続した地域には独自の文化が根付いています。今回の会津編ではあまりメジャーとは言えない人物を中心に。(ただし夏の話)   福島県の旧国名は陸奥。ざっくりしすぎか広すぎたのか、現在は青森、岩手、宮城、福島の4県に分かれています。そして福島は浜通り・中通り・会津と3つの地方

          蒲生氏郷と千利休:会津若松  茶室麟閣・興徳寺

          もうすぐ さよなら  ホンダウェルカムプラザ青山【ファクトリーマシンのトビラ】

          ミュージアムといえば、博物館や美術館を思い浮かべます。 そして企業ミュージアムとなると、企業の歴史や現在展開している製品群がズラリと並び、いわゆるショールームを兼ねるケースも。 青山一丁目の交差点の角に建つホンダの本社は、ホンダファンにとっては聖地のような場所といえます。斜向かいには赤坂御所、近隣にはハイエンドな高級車ディーラーがあり、走っている車を眺めていればそうそうお目に掛かれない車にも出会えます。 ただココでは、超一流の工芸品と同じようなワンオフの工業製品に出会えます。

          もうすぐ さよなら  ホンダウェルカムプラザ青山【ファクトリーマシンのトビラ】

          本阿弥光悦の足跡   中山法華経寺

          東京国立博物館で開催されていた「本阿弥光悦の大宇宙」が閉幕。トーハクのブログには来場者10万人を達成とあります。個人的にもとても楽しめました。 光悦自身は京で活動していましたが、本阿弥本家は幕府や大名との関係もあり江戸にも。トーハクの特別展では光悦と日蓮宗の関係を切り口にしていました。今回は彼らが関東に足跡を残しているゆかりのお寺を。 日蓮法華宗の印象はズバリ分かりにくい。いくつにも分派していて、破門されたり復活したりとややこしい。日蓮さんの教えや解釈にはそれ程の違いがある

          本阿弥光悦の足跡   中山法華経寺

          山内家土佐入り後の掛川 2  二の丸美術館・資生堂アートハウス【谷口吉生】

          サラッとまとめるつもりだった掛川編。興味深いトコロが多く、気が付けば三部作に(アレもコレもと欲張りすぎ)。全体像の見積もりが甘過ぎなのは、旅行計画と同様です。 太田家 太田氏は掛川藩最後の藩主家で50,000石。正確にはその後徳川家達(1863-1940)が、幕末の江戸開城後に隠居した徳川慶喜(1837-1913)の後を継ぎ、駿河・遠江70万石を与えられます。そして太田家は上総の国(千葉)へと。ここにきて家康以来の徳川領となり廃藩置県へ。 最後の藩主、太田資美(1854

          山内家土佐入り後の掛川 2  二の丸美術館・資生堂アートハウス【谷口吉生】

          山内家土佐入り後の掛川  可睡斎・大猷院霊屋

          わがまちのお殿さま。なぜか地域文化を感じる言葉です。江戸時代に外様の大藩が統治した土地であれば、200年以上君臨した家(殿様)が珍しくありません。現代でも重要な観光資源として差別化できるブランドです。 一方、徳川譜代・親藩の中小大名は、頻繁に入れ替わる事が珍しくありませんでした。そうなるとわがまちの殿さまは一体誰になるのでしょう? 天守のように形あるものを残した人や最後の藩主家? それとも知名度の高い人でしょうか。地域で歴史の説明を聞く時に、ちょっとモヤモヤするポイントです。

          山内家土佐入り後の掛川  可睡斎・大猷院霊屋