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非認知能力で詩を書くということ

2月25日の上毛新聞に、群馬県教育委員会が2つの高校で「非認知能力」の評価・育成事業を始めたという記事が載っていた。

「非認知能力」とは、新聞によると「学力では測れない自主性ややり遂げる力」。
ちなみに、学力は認知能力ともいえる。

「認知能力が低くても非認知能力が高い場合に雇用率が高いといった研究がある」と記事に書いている。

おー、群馬県教委やるじゃん、って思った。

確かに、ぼくたちが生活を営む上で、認知能力と非認知能力のどちらを使っているかというと、圧倒的に非認知能力だと思う。

非認知能力の高いほうが人生は豊かになる。

ところで。
もしかしたら詩人が詩を書くときって、認知能力とともに、非認知能力をフル稼働させているんじゃないかな。

詩に必要なのは学力だけじゃない。
世界を感じる力。
こころを動かす力。
動いたこころを言葉にする力。

非認知能力は人間力ともいえるだろうけれど、では、詩人が非認知能力、人間力が突出しているかというと、全然そんなことはない。

ぼくもそうだけれど、詩人は、コミュニケーション能力に難があり、誰とでも仲良くするのが苦手で、傷つきやすい。
傷つきやすさも非認知能力だと言いたいけれど、たぶん傷つきやすさを乗り越える力が非認知能力なのだろう。

非認知能力の低い部分で苦しみ、高めようともがくところに、その人らしい詩が生まれるのかな。

そして、詩人は、暗い。
万が一明るく見えていたとしても、根は暗い。

だから、詩は、暗闇に灯る小さな光。


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