日記殴り 2024/3/20~3/26 (6454字)

3/20
春分の日であり、地下鉄サリン事件の発生日であり、ユリさんの誕生日だった。
5時頃に夢精して起きた。一体どんな夢を見ていたのかまるで記憶になく、ただ精子を吐き出した感触だけが残っていた。このような奇妙な夢精をすることがたまにある。どうなっているんだろう。それから10時くらいまで寝た。洗濯をしたが、今にも降り出しそうな空模様になってきたため、中に入れた。枝豆ご飯を炊いた。スタジオで2時間歌の練習をした。歌を歌うと毎回意味不明なくらい疲れる。どうなっているんだろう。練習している間に雨が降った形跡があった。生気を全て使い果たして、脱け殻になったような気分でキコキコとチャリを漕いだ。気力を振り絞ってコーヒー豆を買って帰った。枝豆ご飯を食べながら蟲師を見た。夕方頃また雨がざんざかと降った。風も強かった。しんどくなって横になって、4時間くらい寝た。算数だった。比例のグラフは右肩上がりになるのに対して、反比例のグラフは右肩下がりでないというのは、奇妙なことだ。枝豆ご飯を食べながら蟲師を見た。気圧のせいもあるだろうが、全体的にしんどい一日だった。何故生きているのかわからない、という気分の時に、過去や未来に思いを馳せるのは危ない。風呂に入る意味がないので風呂に入らなかった。

3/21
黒猫状態の特徴として、自分の外側に対して何らかの方向性を持つと苦しくなる、というのがある。方向性というのは、ああしなきゃこうしなきゃと考えたり、こうでなければならないと思ったり、あるいは単純に欲望や感情を持つことだ。つまり、黒猫が来たら出来るだけ意識の力を抜いてぼーっと過ごすのが正しい。意識の力を抜くには訓練が必要だが、俺は催眠オナニーをずっとやっていたので、そういうのは得意だ。
外の世界で色々経験して持ち帰ったものを、自分の内側でゆっくり吟味する時間が必要、ということでもあるのかもしれない。

3/22
違う自分になりたい。それだけだ。違う自分になるには現実逃避しかない。小説を書くのは現実逃避だ。ちゃんと現実逃避をするには、今この瞬間に意識を集中させなければならない。これは逆説的だ。つまり、現実というのは過去と未来の時間的広がりを持っている。でも過去とか未来は人の頭の中にしか存在しない。だから現実というのは実際は幻に過ぎない。これまでしてきたこと、これからしていくこと、それらの時間的広がりを持った総体を自分と呼んでいる。他者からもそのように見られる。それらをシャットアウトするということだ。自己をこの瞬間の一点のみに固定して、過去も未来もなくしてしまえば、自己の認識は如何様にでも変えられる。幻に逃げ込むのではなく、幻を断つ。瞑想状態に近いのだと思う。
フレーミング・リップスの"Do you realize??"を聴いている。何回も何回も聴いてしまう。美しくて優しい曲だ。

気づいちゃった? 君が一番天使だってことに
気づいちゃった? 俺たちは宇宙を突き進む彗星
気づいちゃった? 嬉しくて泣く時があることに
気づいちゃった? 君の知っている人は皆、いつか死ぬ

全てのさよならの代わりに
分からせよう
人生はあっという間に過ぎる
良いことばかりじゃない
君は気づいてしまった
太陽は沈まない
それは廻る地球が見せる幻

気づいちゃった? 君の知っている人は皆、いつか死ぬ

全てのさよならの代わりに
分からせよう
人生はあっという間に過ぎる
良いことばかりじゃない
君は気づいてしまった
太陽は沈まない
それは廻る地球が見せる幻

気づいちゃった? 君が一番天使だってことに
気づいちゃった?

意訳・鳥

夜ゆこちゃんに誘われてテコの原理のライブを見に行った。ゆこちゃんを待つ間、夜の新宿をぶらついて、あまりの人の多さに吐きそうになった。金曜日の夜だ。最近はあまり街に出ないので、俺が知っている新宿と随分違う、という場所もあった。街は生まれ変わっていく。五年前、十年前の自分が、亡霊のように彷徨っている。道で外国人数人がcreepを歌っていて、良かった。but I'm a creep, I'm a weirdo, what the hell am I doing here? 21時にゆこちゃんが来た。新宿Marbleに足を踏み入れるのは何年ぶりだろうか。若い頃、目当てのバンドを聴きに何度も訪れたし、ライブをしたこともある、思い出の場所と言って差し支えなかった。「血」と大きく書いてあるスーツケースがステージの手前に置いてあった。演奏が始まった。音と光の洪水。洪水は瞬時に心臓まで到達して全身を沸かせた。かっこいい最高以外の語彙を全て失くした。身体が自然と動いて、揺れて、動かされるまま、そのままにしておくと気持ちいいんだ。グルパリさんはくねくねと手足を動かしながらハゲ散らかしていて、トム・ヨークみたいだった。ストロボライトに照らされた姿形は、一瞬一瞬が走馬灯のように焼きついて、全ての中に永遠があって、触れられないけど、今俺は時間の外側にいるんだと思った。春から夏へ、秋から冬へと。この歌は奈緒と暮らしたあの部屋の記憶と、深く結びついてしまっている。東京って良いところだなあ、と思った。家に帰ろうって感じの曲が良くてさめざめと泣いた。
時間の外側なんてものがあるわけがない。あっという間に終了して、嵐が過ぎ去ったように、あれは何だったのかと呆然とする他ない。フロアが明るくなって、SEが流れ始めた。ゆこちゃんに「うっとりした表情をしてるよ」と指摘され、恥ずかしかった。煙草を吸ったりしてぼーっとしながらしばらく過ごした。用が終わったらさっさと帰るべきだ、と思い、そそくさと帰ろうとしたらゆこちゃんも一緒に出た。
新宿Marbleの店長が話しかけてくれたのは嬉しかった。俺がやっていたバンドのことを覚えてくれていた。もう何年も前なのに。今は小説を書いています、と言った。あなたは何かやる人だ、あなたのその後が気になっていた、というようなことを言われたと思う。自分のことを思い出す人がいる、ということに感動を覚える。
どこに行くか迷って、ゆこちゃんを屋上に誘った。雑居ビルの最上階から階段を上り、鍵のかかってない扉をくぐって、柵を乗り越えた。運よくビルの管理者に見つかることはなかった。五年以上前、バンドをやっていた頃に見つけた場所だった。この近くでライブをする時、出番待ちの間なんかによく一人で来ていた。街はレゴブロックで出来た作り物のようで、怪獣になって全部踏み潰したい。空に摩天楼の灯りがちかちか点滅して、その横に、少し欠けた月が煌々と照っていた。眼下には西武新宿の駅の中が見通せた。人々は列になって電車が来るのを待っていた。ひっきりなしに色んな路線の電車が通り、夜の闇を真っ直ぐ突き進んで、連結された車両には、数多の人の影が亡霊のようにひしめいていた。電車に向かって大きく手を振った。ゆこちゃんはすごいすごいと言って喜んでいたので、よかった。ここから落ちたら死ぬかな、と話した。でも窪塚は九階から落ちても助かったよね。煙草を吸いながら恋バナをした。地上に降りたらほっとする感じがあった。地面だ。地面に両足をつけて初めて、今まで心がふわふわと宙を漂っていたことに気づく。この感覚も含めて、屋上に昇るのが好きだ。

中華料理屋はラストオーダーを過ぎていて入れなかったので、寿司屋に入った。タッチパネルは何故か中国語で、選んだ寿司ネタに自信が持てなかったが、大体思い描いていた通りの皿が来た。スシローより美味しい。スシローのように次々と食べてしまった。しっぽりと日本酒を飲んだ。その辺にいた木村さんが合流した。マヒトゥ・ザ・ピーポーの話などをした。
ゆこちゃんの友達がゴールデン街にいるというので、合流した。狭苦しい店内で、肩を寄せ合って酒を飲むのは、何となく居心地がよかった。焼酎をしっぽりと飲んで、繰り返し煙草に火をつけた。ゆこちゃんの友達のサリーは、暗い目をした女で、あまり喋らず酒をがぶがぶ飲んでいた。時折生気のない表情で笑った。顔が可愛いので好きだと思った。バーカウンターに立つともさんはすこぶる美人で、吸いも甘いも経験してきた、といった風格があった。美魔女だった。ずっと黒夢の清春の話をしていた。デビュー前からのファンであるらしい。近頃はテレビに出て家族の話をしたり、ダックスフンドを飼っているのでイライラすると言っていた。ロックスターにはそういう話はしないでもらいたい、と。よく笑い、感情のままにペラペラ喋り倒す様子を見ていると、ゆうちゃんの姿が目に浮かんだ。もしかしてこの人は未来のゆうちゃんかもしれない。年齢的にメイド喫茶が辛くなってきたら、バーを開けばいい。きっと灯火のように、その街の人々を温かくするだろう。今度ここにゆうちゃんを連れて来たいと思った。
時折スピーカーから知っている歌が流れた。syrup16gやcoccoなどだ。ともさんの趣味であるらしかった。木村さんの中には、良い音楽と良くない音楽を判別する明確な基準があり、それは「その音楽を聴いて人が何か行動を起こすか」ということであるらしい。「息抜きにしかならない音楽は総じてクソ」とはっきり言った。息抜きの音楽と聞いて思い浮かべたのは、syrup16gだった。でも音楽で息抜きしている間は死ぬのをやめずにいられる、たとえ何か具体的な行動の引き金にはならなくても、生きているというのはそれだけで重労働なのだから、人の心を休ませる音楽は良い音楽なのではないか、そういった縁の下の力持ち的な音楽が果たす役割は、大きいのではないか。そう思ったが、それを思ったのは随分後で、とっくにその話は終わっていた。死ぬ前に会いたい人はいるか、という話になり、俺は奈緒の名前を挙げた。そうして俺が奈緒と別れた話になり、俺が「好きな人に順位つけられないんですよね」と言うと、ブーイングが上がった。「好きな人には順位をつけるべきですよ」とサリーが言った。「でも今なら順位つけられるでしょ?」とともさんが言った。好きな人に順位なんかつけられるわけがない。それは奈緒と別れた今も変わらない。もしどうしても順位をつけなければならないのなら、最初から誰も好きにならない方がいい。そう強く思ったが、それを思ったのは随分後で、とっくにその話は終わっていた。その時の俺は、だから俺ってダメなんだよな〜とか言って、適当に流していた。何も意味のあることを言えず、不甲斐ないという気がした。
とっくに終電もないのに、木村さんがお会計をし始めて、行き先を決めず徘徊するつもりらしい。俺が驚いていると「そういうもんでしょ」と言ってどっかに消えた。それからしばらくしてゆこちゃんとサリーもどっかに消えた。ともさんは伝票を一緒につけていたので、計算に少し手間取っていた。それはそうだろう、全員一緒に店を出るのが普通だ。俺は一人で取り残された。「妖精」と呼ばれている白い顔をした老人が二つ隣の席に座っていて、ちょっと話した。何を言っているのかよくわからない感じだったが、元ジャズのベーシストらしい。テンポがズレているのに、合っている、という生演奏の持つ魔力について語っていて、それは打ち込みでは再現できない領域だ、と俺は言った。俺も前バンドやってたんですけど、全ての音がぐって重なった時が、一番気持ちいいんですよね。四千円を支払って外に出た。三時半だった。凍えるほど寒い。チャリに乗って帰った。
飲んでも飲んでも酔わないな、と思っていたが、視界が二重にぶれて、意識が冷静でも身体には酔いが回っているようだった。ペダルを漕ぎながら感じたのは、怒りだった。じゃあ今から自殺してやろうか、とか何故かそんなことを思った。置いて行かれて寂しかったのかもしれない。サリーともう少し話してみたかった。サリーの暗い目を思い出して、この人はもうすぐ死ぬのではないか、という気がした。絶対大丈夫だから、と言ってあげたいというような気がしたが、何が大丈夫なのかよく分からないし、大丈夫なわけなかった。「好きな人には順位をつけるべきですよ」と言われたことを思い出した。何故? そうしないと相手が傷つくから? 順位をつけたら納得できるのか? 好きという気持ちは比べるべきものなのか? 友達と恋人どっちが偉いとかあるのか? 好きな人を好きというだけで、何故ダメなのか?
昨日見て印象に残っていた蟲師の「雷の袂」をもう一度見た。あの目をした少年が自分の中に確かにいる。朝方寝た。

3/23
酔いが残って頭が重い。喉もがらがらだった。ゆこちゃんとちーこっことグループ通話があった。コーヒー豆をガリガリ挽きながら、会話に参加したりしなかったりした。大体俺の言うことを分かってくれてすごいと思う。
枝豆ごはんを炊いた。
月曜日の友達を読み返して泣いた。
メルカリで買った蟲師の単行本全巻が届いた。
ずっと日記を書いていた。
晩ごはんを食べて、風呂の湯を溜めたのに、抗えない眠気に襲われて、横になって目を閉じたら五時間経っていたのでびっくりした。

3/24
二時頃に目が覚めて、小説のことをやったりしていた。五時頃にまた寝て、十一時頃に起きた。ゆうちゃんが40℃の高熱にうなされているというので、食糧を届けに行こうと思った。なんか最近こんなことばっかりだ。試される大地だな、という気がした。好きな人の苦境にあって、お前に何が出来るのか、あるいは何をしないのか。何でもすりゃあいいってもんじゃない、ありがた迷惑という言葉もある。ポイント上げようとしてるの? と黒猫が言う。それについて考えるのは恐ろしいことだ。でも俺はゆうちゃんが大事なんだ、と思った。だから仕方がないんだ、なるべく心細い思いをしてほしくないんだ。結局のところ自分がされたら嬉しいことをするしかない。でもライブがあるので、風邪だったらすぐ帰ろうと思った。心細さを軽減すべく、五文字しかない手紙を書いたりした。支度してさあ出かけるぞ、というところで、LINEの返事が来た。お姉ちゃんが食べ物持ってきてくれるから大丈夫、ということなので見舞いは取り止めとなった。大丈夫ならいい。手紙はそっとしまっておいた。
瞬発力でスタジオを予約して歌の練習をした。それから家に帰って蟲師を見た。続章を最後まで見てしまい、もう見るものがない。寂しい。メルカリで買った漫画の蟲師が昨日届いていた。これを読む。でも十巻しかないのですぐ読み終わるだろう。
一瞬雨が降った。夜中まで小説のことをした。

3/25
静けさを感じさせるものが好きだ。静けさを感じさせる風景、静けさを感じさせる文章。心の中に穏やかなユートピアを持っている人が好きだ。そういう人は、何となく見ていてほっとする。それは自分という存在があまりにも忙しなさすぎるせいだろうと思う。あるいはこの世界全体が。現実世界を恋い焦がれ、現実世界に取り憑かれている人は、どうにも落ち着かない。現実濃度が薄い人の方がいい。
雨が降っていた。雨の日は頭の中がクリアだ。うっすら悲しい気持ちのまま、とても仕事に集中することができた。雨だったので、チャリで来ていないので、昼休みに家に帰れず、時間潰しに餃子市場で肉野菜卵炒めを食べたら、抗えない眠気に襲われ、だるくて仕方がないターンが来た。それから夜にかけて回復していき、回復しすぎて、やたらと元気いっぱいなターンが来た。
推敲、推敲、また推敲だ。どうせなら完璧な文章にしたいと思い、冒頭の千文字くらいを推敲するのに、二時間かかっていた。でも推敲することで最初の勢いが失われるのか。よく分からない。とはいえ書き出しの文章というのは重要だろう。映画のチケットを取っていたけど、普通に忘れていた。サバの冷凍をぶち溶かして、グリルでぶち焼いて、夕食とした。

3/26
俺にりゅうの代わりは務まらない。

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