日記殴り 2024/4/3~4/9 (15070字)

4/3
前回の日記は四月二日の途中で投稿したので、今日の日記はその続きから始まる。何となくこのまま家に帰りたくなくて、ゆこちゃんを誘って新宿で飲んだ。二十三時にマーブルの前で待ち合わせて、汚え街を歩いた。ゆこちゃんは迎え酒を用意してくれていた。俺はエレキギターを持参していた。グルパリさんがよく路上ライブをしているという吉本興業のビルの前の植え込みに座って、せっかくなので酒を減らすまでの間、エレキギターの生音で持ち曲を歌った。十年くらい前によく歌っていた曲をリクエストされ、覚えてるわけないだろと思ったが、歌い出すとコード進行も歌詞も拍の付け方も自動的に流れ出して、刻み込まれてるんだと思ってちょっと感動した。「僕は今すぐに 飛び降りそうでさ 何とかしなきゃ もう嫌なんだよ」とかいうどうしようもない歌詞だった。
ゴールデン街で三件はしごした。何故か白石さんがいた。去年SFマルシェで見たマークさんがバーカウンターに立っていて、何故かグルパリさんの友達もいた。グルパリさんも別の店にいた。次々と知っている人が現れ走馬灯を見ているのかという気分になる。終電はとっくになくなり、アルコールと一緒に時間が溶けていった。明日も仕事なのに俺は何をしているんだと思った。まあどうでもいいかと思った。それほど会話にも参加せずただただ浮遊霊のように心地が良かった。白石さんの曲は良い曲だ。瞼の裏に海の青が広がり潮風が薫る。立ち飲み屋でグルパリさんのライブを見た。グルパリさんが歌い始めた瞬間に空気が一変して皮膚がぞわぞわしてすごい。背の高いオランダ人の青年はグルパリさんのファンだった。道でグルパリさんを見かけてファンになったらしい。二十歳と言っていたがあまりの身長差に自分が中学生になったような気がした。英語で会話したかったができなかった。なんかマジックマッシュルームの話とかをしていた。アジカンとかが流れて楽しかった。いっぱい酒を飲んだと思う。でもそんなに酔わなかった。大体の場所でなんで俺ここにいるんだろうという感じだったがそういうものかもしれないとも思った。五時頃帰った。グルパリさんに「家着いたら連絡ください」と言われた。もうこれで最後かもしれないと毎回思う。「元気でね~」と言って手を振った。「りゅうくんが一番元気でね」とゆこちゃんが言ってくれた。山手線は二十分後だった。駅のホームでしゃがんで目を閉じた。六時頃家に着いてグルパリさんに連絡した。だし茶漬け冷奴乗せを食べて寝た。
九時半に起きた。全然寝れてない割には元気だった。春の暖かい陽気のおかげかもしれない。交感神経が優位になっているのかもしれない。神田川沿いの桜はここぞとばかりに満開で、なんかエッチだな〜と思った。昼は焼き鳥屋のランチに連れていってもらった。ほっぺが落ちるほど美味しいとろとろのオムレツ。疲れのせいか空虚感が忍び寄る気配がある。昨夜の自分の発言などを思い返しそうになり、大抵ろくなことにはならないので考えないように努めた。疲れていると子孫を残そうという機運が高まる。家帰ってめっちゃオナニーした。

4/4
昨日は調子が良かったので、今日は調子が悪くなるだろうと思った。予想通り黒猫が来た。
ひどく傷ついている。忘れるな、忘れるなと傷が疼く。なかったことにしないでくれ、と。分かってる、なかったことにはしない。俺なんてもう死んだ方がいい。何回でも言おう、はっきり言おう、俺みたいな醜い恥ずかしい存在は今すぐ消えてしまった方がいい、誰にも愛されなくて誰も愛せないから死にたい。誰も俺を真っ直ぐ見ようとしない。なんで誰も俺を真っ直ぐ見ようとしないの?
母親って元カノみたいな感じだよなあと思う。俺は元カノの記憶をいつまでも引きずり続けるマザコンの男です。
ユリさんとあかりさんが繋がってるの意味不明でウケた。
俺は本当は一人が好きなんだ。何でもやりたいように出来るし、気を遣わなくて済むし、いつでも好きな時にオナニーできて最高なんだ。一人で色々やってみるのが好き。勉強も好き。自分で自分を豊かにしていくのが楽しい。ただ病的な寂しさのせいでそれが見えなくなっているだけ。寂しさは時々憎悪にまで高まる。全員だいっきらい。心の底から自分が嫌い。魅力的な人間でありたかった。欲望を満たしてもキリがない。何にも感じなくなりたい。
幸福でありますように。傷が疼く時、一人じゃありませんように。

4/5
子どもの頃、俺の存在は無視されていた。父も母も自分の傷を痛がることに必死だった。父が母に暴力を振るう姿を、わざと俺に見せていたと母は言った。それを見せられる俺の気持ちは? 俺はそこにいたけどいなかった。傷の痛みを感じるために利用されただけだった。多分その頃に黒猫が生まれた。定期的に現れては、無視しないで、置いていかないで、と言ってニャーニャー鳴く。頭の中で四六時中鳴き続ける。そうして俺は自分のことだけでいっぱいになって、距離感がバグったり、目の前で苦しんでいる人を無視してしまう。父と母が俺にしたことを俺も繰り返す。そうやって奈緒のことも泣かせた。
夜、チャリに乗って東中野まで行った。アフガニスタン料理店で日記人の会合だった。道を間違えた上に呑気に煙草吸ってたら遅刻して、あやこさんにちょっとちょっと〜と言って怒られた。だだっ広い店内には民族音楽が流れ、お座敷には幾何学模様のカーペットが敷かれていて、居心地の良い空間だという気がした。美音さんも遅刻したが、それは結婚祝いの花束を買っていたためだった。俺よりもはるかに正当な理由だ。色とりどりに咲く花を見てちょっと感動した。そもそも結婚祝いを渡すという発想すらなかった俺と比べて、遥かに人間が出来ていてすごい。東中野に住んでいたことのある上司が言っていた通り、メニューには知らない料理の名前がずらりと並ぶ。適当に注文してもらった。エスニックな香りのする餃子や、ラムの挽肉をトマトベースで煮込んだ家庭料理っぽいやつが美味しかった。どんぐりのリキュールという非常にそそられる文字列があり、注文しないわけにはいかない。以前も来たことがある美音さんによると、「遠くに木を感じる」らしい。甘くて美味しくて和やかな気分になった。草原を吹き渡る風をイメージして、つまりは遠くに木を感じたということかもしれない。
「池袋の喫煙所で黄昏てる」と、いきなりゆうちゃんから連絡があった。連絡してくること自体珍しいので珍しかったし、心配になって、それで何故かこの会に合流することになった。流石に変な雰囲気になるかと思ってちょっと考えたが、滅多にない機会に珍しい化学反応が見られるかもしれず、日記人たちのポテンシャルを信じた。このような展開は予想だにしていなかったので、かなりそわそわした感じを出してしまい恥ずかしかった。ゆうちゃんの前情報について色々説明した。昔ファミマで一緒にバイトしていたことや、平成のメンヘラギャルであることや、一見尖っているが実は優しい心を持っていることなどだ。二人とも俺の日記を読んでいるので「物語の登場人物がこれから現れるようだ」ということで期待値が高まった。薄っぺらい話を嫌がると言ったら場に戦慄が走った。
あやこさんが「今黒髪のギャルが通った!」と言ってゆうちゃんが来たことが分かった。黒髪のギャルは俺の斜向かいに座った。最初は緊張した様子を見せていたが、割とすぐに馴染んで、幼稚園の娘が友達の輪の中に受け入れられてホッとする父親の気持ちになった。ゆうちゃんが演説をぶってあやこさんが爆笑していた。初対面にも関わらず暗くて重い話が次々飛び出るところは、ゆうちゃんの良いところだと俺は言っていきたい。本当に裏表がないのか、普段俺にしているような話を普段俺にしているのと全く同じテンションで話していてすげえなと思った。日記人たちは毎日日記を書くことによって自己を深く見つめ鍛錬を積んでいるので、全然余裕でついていけててお前ら最高と思った。あやこさんは最近の俺の様子を心配して今回の会を誘ってくれたという。俺以上に心配な奴が突然現れてびっくりしただろう。情に厚くて優しい人だ、と前回も思ったが、今回も思った。「キモい奴全員ぶっとばしたい。キモい奴にはキモいと言っていきたい」キモい奴とはつまり美音さんやゆうちゃんや俺を理不尽に傷つける、傷つけてきた存在のことだ。俺もそんな風に言っていきたいと思った。美音さんは最近はあやこさんの思想に触発されていると言い、日記でたまにかち切れている場面があり、すごい好きだ。優しさの爆発という感じがする。愛すべき日記人たち。借りていた「傷を愛せるか」を返して、「旅の練習」という小説を貸してもらった。丁寧に付箋が貼ってある。俺だったら貼らない箇所に貼ってある付箋を見て、美音さんの心情を想像しながら読むのが楽しい。想像しても分からないことの方が多くてそれも楽しい。美音さんは俺よりも遥かに本を読んでいる。美音さんにいっぱい本を借りたい。美音さんを移動図書館のように考えている自分がいる。
何度かヤニを吸いにゆうちゃんと外に出た。細かい雨がパラパラ降っているようだった。ゆうちゃんは最近ヒモを飼っているらしい。最初自殺に用いる紐の話をしているのかと思ったが、人間のヒモの話だった。彗星の如く現れたヒモは、前科持ち無職の二十歳ということだった。そんなのは初耳だ。はあ〜?なんじゃそりゃと思った。ヒモを養いヒモに必要とされることで自尊心を満たしていると言っていた。あまり認めたくはないが、俺がゆうちゃんに必要とされたくて必死であることは否定できず、つまり俺→ゆうちゃん→ヒモという流れがある。ねえ、なんで??? 複雑な気持ちになりかけたが、話してると気が紛れると言っていて、ゆうちゃんの気を紛らわしてくれるならいいかと思い、良しとすることにした。俺も何も出来ないクソになって人の気を引こうかなとちょっと思った。
お会計を済ませ、てくてくと歩いて神田川の桜の様子を見に行った。ゆうちゃんは寒い寒いと言い、あやこさんは前回と同じく我々の身体の冷えを気遣った。身体の冷えは心も冷やすのだ。改めてみんなの後ろ姿を見て、あやこさんと美音さんとゆうちゃんの三人が並んでいるのが意味がわからなくて面白かった。美女しかいなくてサイコー♩と思った。俺一人男だからといって疎外されてる感じが全くしなかったのは、男とか女とか関係なく強い自我を持った三人だからだと思った。普通こういった場面では女子会のようになり、場違いな雰囲気を味わうことが多い。夜桜は見事に咲き誇り、幽玄だった。見物の人々がちらほら見られた。この桜並木を辿っていけば早稲田の職場に着くだろう。橋から水の流れを見下ろしながら死の話をした。橋から身を乗り出して「このまますーっと行っちゃいそうになる」と言っていて、その感覚は全員が理解できた。不注意により空き缶が自殺した。結局のところ生きるしかない。あやこさんは「定期的にきたねー穴見たくなる」と言っていて、きたねー穴とはどうやら傷やそれにまつわることであるらしい。俺はきたねー穴というその語感を気に入った。「傷を愛せるか」にも書いてあったが、傷というのは醜いものだ。俺がキモいのだとしたらそれは俺が傷ついている証拠だ。俺は「キモいものの中にしか真実はない」と極論を言った。自分で言っておいて俺はこの考えを気に入った。つまり、キモッと言って遠ざけるだけの人々は、真実を知る勇気のない虚ろな民ということだ。キモさに対する素晴らしく程のいい言い訳だった。美音さんがみんなでルームシェアしたいと言ってそんなのは最高と思った。自分たちの村を作るということに俺はずっと憧れがある。
ゆうちゃんちに「来る?」と言われホイホイついて行くことになった。ベランダに置くチェアが置き配で届いているらしく、組み立てが必要だった。駅のホームで美音さんを見送った。あやこさんとは方角が一緒だった。温かいお茶を買ってくれて、先輩〜と思った。俺が日記人に話した前情報の通りにゆうちゃんが「薄っぺらい話しかしてこないオタクがマジでムカつくんですよね〜」という話をし出してウケた。金曜夜の電車は吐きそうなほどすし詰めで、狂気の沙汰としか思えなかった。
駅を降りると見慣れた風景が広がり、この町にもだいぶ馴染んだという気がする。家に入ると限界OLの部屋と化していた。床に物がごちゃごちゃと散乱して、テーブルは食べかけの菓子や缶で埋め尽くされ、シンクにはカップ麺と酒がいくつも放置されていた。この前肺炎で寝込んだ時にお姉ちゃんが掃除してくれたんじゃないのか? めんどくさいことは早く片付けた方がいいということで早速チェアを組み立てた。家具を組み立てるのは苦手だ。説明書は大抵説明不足だし、力ずくで無理矢理だった。お互いにADHDムーブを出しながらわちゃわちゃとした。何とか完成したチェアをベランダに出すと、何とも言えない充足感に包まれ、喜びを分かち合った。ファミマで培った段ボールを十字に結ぶ技術が全然上手くいかず、何が何だかだった。ゆうちゃんはあらゆる動作が雑でドン!バン!ガシャン!みたいな感じなので面白い。ゆうちゃんが風呂に入ってる間に部屋を軽く掃除した。とはいえどこに何を片付けたらいいかわからず、ゴミを捨てるくらいのものだった。きったねぇな何だこれと言いながらウェットティッシュでテーブルを拭いた。枕元に普通にコンドームがあり、セックスしてんじゃねえかよクソがよと思った。
風呂上がりのゆうちゃんとチェアで晩酌を繰り広げた。ポテチ、じゃがりこ、レモンサワー、イエーイてな感じで良かった。チェアは素晴らしい。死の話、死の話、死の話だ。俺たちの共通点はやがて死ぬということだ。マヒトゥ・ザ・ピーポーのサブスクにない好きな曲を聴かせた。良いねえ、と言っていて良かった。出来るだけゆうちゃんを良いねえにしたい。匂いがつくからとフードをかぶって煙草を吸うゆうちゃんはキュートだった。真っ直ぐに射るような瞳が好きだ。明日はゆうちゃんと映画を観に行くんだ。最後の気力を振り絞って風呂に入った。ゆうちゃんちに泊まる予定ではなかったので、お泊まりセットはなかった。マイケルを抱きしめて床で寝た。

4/6
桜の前で撮った三人の写真が良すぎて何度も見返している。アラームが五回くらい鳴って、ゆうちゃんが起きた。ゆうちゃんが支度するのを横目に、ベッドに座って借りた本を読んだ。ゆうちゃんが出勤するのに合わせて家を出た。今日も可愛い。三つ編みがキュートだった。スカートが短え。段ボールとペットボトルを出した。駅の階段で「三つ編みが意思を持っている気がする」とよく分からないことを言っていた。勝手にほどける、という意味だった。池袋で見送った。チャリを回収しに東中野へ。ローオブローだった。何故か死にたい。何故死にたいのかと思ったがよく分からなかった。溌剌としたものがない。空も曇り。神田川沿いの桜並木を自転車を濃いで家に帰った。行楽の人々が大勢いた。ぴったり寄り添ってツーショット自撮りを撮るカップルを見て、何か悲しい気持ちになった。家に着いた瞬間にうんざりした。洗濯物が干しっぱなしで床にゴミが落ちている。煙草がなかった。道で落としたのかもしれない。前ゆうちゃんに買ってあげて微妙に銘柄が違って返された不味い煙草を吸った。枝豆ご飯炊いてとらドラ見て寝た。
あまり人に向かって生きろとか言わない方がいいのではないか。無責任すぎるから。
17時過ぎに起きた。嫌な夢を見た気がしたが覚えていない。支度して池袋まで歩いた。西口の1000円カットで髪を切った。面白いかなと思って一番短いバリカンで坊主にした。街を歩くと頭がスースーした。駅前の喫煙所で人混みに紛れて煙草を吸った。ゆうちゃんはいつもHMVのビルを見ながら黄昏ている位置に立ってHMVのビルを見ながら黄昏た。日本橋で待ち合わせだった。エスカレーターを上がると、人気のないビルの入り口に今朝と同じ服装で立っていた。半笑いで「髪どうしたの?」と言われた。「宇宙人が歩いてきたかと思った」と言われ、更に「職質されそう」と言われた。若干ウケたので良かったと思った。TOHOシネマズを目指して歩く。道に桜が咲いてライトアップされ、人々が写真を撮っている。日本橋は思った以上にいけすかない街だと思った。どこもかしこも高級そうで、東京のパブリックイメージをそのまま体現したような、冷ややかな澄まし顔だった。橋の袂の少し奥まって薄暗くなっているエリアをフリースモーキングエリアということにして、川を見ながら煙草を吸った。時折遊覧船がゆっくりと横切った。「私らこの街で浮いてるよね。バカツインテールと坊主頭で」とゆうちゃんは言った。バカツインテールという語感が奇妙に面白く笑えた。
とりあえず時間が余って腹が減っていたが、我々のようなストリートチルドレンが気軽に入れそうな店はあまりなかった。もう吉野家に行くしかない、となっていたところへ、映画館に入っているビルの向かいに「うまい、安い」と書かれた串焼き居酒屋の看板があり、うまくて安いならと、一か八か入店した。土曜日のこの時間なので、どうせ満席で賑わっているだろうと思ったが、予想に反して店内は廃墟のようにがら空きだった。レモンサワーで一杯やった。うまくて安いのは本当だった。当店名物と銘打たれた平べったくてばかでかい唐揚げは190円で美味だった。ハムカツでほっぺが落ちた。レトロで風情ある店内には落ち着いたミュージックが流れ、老舗の喫茶店のような風情がある。完璧な出だしだ、という気がして気分が良かった。ゆうちゃんは「食べすぎちゃった」と言った。映画を見る前に酒を飲むことについて心配なのは、上映中にトイレに行きたくならないかということだ。ゆうちゃんは「絞り出すね!」と元気よく言った。バックヤードのような喫煙室でしゃがんで煙草を吸った後、映画館に向かった。
トイレの鏡とか電車の窓に映る自分の姿を見るたびに、髪がなくてびっくりする。ヒモの翼に、人にはとても言えない額のお小遣いをあげている話を聞いて、こいつもしかしてバカなのかと思った。映画が始まるまでの間にゆうちゃんは三回トイレに行った。
客電が落ち、マヒトゥ・ザ・ピーポー監督の「i ai」が始まった。二時間後、俺は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。刃物で刺されて、内臓をぐちゃぐちゃにされて、その穴からチャクラが流れ込んできて意味不明に元気になる、という感じの映画だった。映画館を出て街を歩きながら、突然奇声を発して走り出したいと思った。怖すぎる。何がって生きてることが。現実なんてどうでもいいじゃんお前はお前の世界を生きろちゃんとやりたいことやれ全裸で踊れというような気分になったが、現実世界をかなぐり捨てて生きていくのはどう考えても怖くて、その恐怖こそが生きている証だった。人間って一体どういう生き物なんですかね。怖いですね。「空は歳を取らない」「もっとでたらめに生きて境界線を燃やす」でたらめに生きていくことを決して恥じてはいけない。決して。ゆうちゃんは少なくとも俺ほどは響いている様子ではなく、つまりゆうちゃんは元気じゃないんだなと思った。趣味とか好みの問題ではないという気がした。それともこの温度差こそが人を好きになる意味なのか。逆に言うとこの映画にこれほど触発されている俺は、魂がかなり健康なんだと思った。どうにかして俺の元気をゆうちゃんに分け与えたい。ゆうちゃんと観れて嬉しかった。この映画を観ることについて今まで二回リスケしていて、気を遣って一人で観てきていいよと何度か言いそうになったが、思い留まって良かった。「ゆうちゃんと観れて嬉しかった」と俺は言った。そういうことをちゃんと隙あらば言っていきたい。言わなかったことは最初からなかったことにされてしまうから。駅の近くの窪みに挟まって煙草を吸った。野良犬の目線で眺める東京は汚くて最高。ゆうちゃんが上手く消せなかった煙草の火を見て「自殺未遂」と言った。何か内的な衝動に駆られて俺はその消えかけた火を自分の手首に押しつけた。致命的な熱さの一瞬後に訪れるぎゅうっとねじられるような痛み。「痛くないの?」と訊かれて「痛いよ」と答えた。それから「埋葬」と言って吸い殻を携帯灰皿にしまった。
しれっとゆうちゃんちに行った。こういう場合を予期してお泊まりセットを持ってきていた。改札を抜けて、エスカレーターを降りて、昨日も訪れた見慣れた駅前の景色。ゆうちゃんの町をかなり好きになってきている。コンビニでアイス買って食べながら歩いた。ゆうちゃんは前回同様この気温にも関わらずガリガリくんをチョイスして、寒い寒いと言いながら食べていた。そんな奴お前だけだよ。雪見たローソンで酒買って、しゃがんで煙草を吸った。映画を見終えた直後は何が起こったのかわからず呆然としていたが、だんだんとチャクラが身体中に回り躁状態になっていた。ゆうちゃんが目の前にいてすげえと思った。「幸せすぎてやばい」と口走った。夢かな。幸せになりたいとかよく人は言うけど、幸せと思った時だけが幸せであって、それ以外はないから、幸せな時以外に幸せについて考える必要は特段ないなと思った。根性焼きはもう水膨れになっていた。電車の中ではあった痛みが今はもうない。
ゆうちゃんの家に入場した。いつも思うんだけど、玄関入った瞬間に漂うあの何とも言えない夢のような甘い香りは一体何なんだ。荒れ果てた限界OLの部屋なのに……。ちゃっちゃと風呂に入った。坊主頭は拭くだけで済んでかなり楽だった。ゆうちゃんに羨ましがられた。「私も坊主にしようかな」と絶対しないくせにしきりに言う。風呂が済んだらベランダで晩酌だ。死の話、死の話、死の話だ。ベランダから近くの不自然に階数の多いマンションが目に入って、不吉で嫌なんだ。昨日拓海くんが夢に出てきたらしく、ゆうちゃんは最初気づいてなかったが、昨日は拓海くんの月命日だった。不思議なことだ。会いに来たのかなと思ったが、会いに来たにしては絶妙に夢っぽい嫌な夢だった。俺は幽霊を信じている。こうやって書いたり話したりすることで、どこかで意識が接続されると考えている。拓海くんは死んじゃったからゆうちゃんに触れないけど、俺は生きてるからゆうちゃんに触れる。なんじゃそりゃって感じだわマジで。抱きしめてえ〜。フード被ってるゆうちゃんが可愛かった。フードを被っても前髪が臭くなるらしい。風呂に入ってスキンケアもして偉いねと褒めた。ヒモの翼の話もした。俺はゆうちゃんを助けることで自分の存在意義を確かめており、全く同じ理由でゆうちゃんは翼にとても人には言えない額のお小遣いをあげている。「私たち翼のママとパパみたいだね」とゆうちゃんが言った。翼、俺はお前のパパになったつもりはない。「じゃあ翼も何か還元してもらわないとね、すごく素晴らしい作品を作るとか」と返した。頼むよ。俺は奈緒に調教されているので、晩酌後のゴミをすぐさま分別して捨てて、洗い物もした。
「今日はよく寝れそうだわ」とゆうちゃんは言った。部屋に入るなりベッドに倒れ込んで、歯も磨かずに寝ようとするゆうちゃんを引きずり起こして、一緒に歯を磨いた。寝ようとするゆうちゃんに襲いかかったら「降りて」と言われたので降りた。「多頭飼いはダメだから」と言われて全然意味分からなかったから全然意味分からないと言った。思いっきり抱きしめて思いっきり大好きと言いたい気分だったが、そんな恥ずかしいことはできない。「マイケル、お前だけだよ……」と言ってマイケルを抱きしめて床で寝た。床は固くて寒い!

4/7
ゆうちゃんを抱きしめてだいしゅきホールドみたいな形になっている夢を見た。願望がストレートに現れすぎている。まどろみながら何度か夢の内容を反芻しているうちに、記憶は薄れていった。アラームが五回くらい鳴って十時過ぎに起きた。酒が残って頭が痛い。ゆうちゃんに「おはよう」と言い、おはようと言える幸せを噛み締める。滅多にないことだ、朝起きた時に寂しくないなんて。ベランダに出ると曇っていたが暖かかった。清らかな春の匂いがする。
「一生のお願い」と言われてコップを洗った。こんなところで一生のお願いを使うな。洗濯物を干すのを手伝った。洗濯物をしまう場所、干し方のローカルルールなど、メモして全部覚えた。二人で干したら秒で終わった。支度するゆうちゃんを待ちながら本を読む。ゆうちゃんは鏡に向かいながら、メイクってなんでこんなめんどくさいんですかねーと愚痴を言った。毎日顔面作って偉いと褒めた。今日も可愛い。スカートが短え。もうこれで最後かもしれないと毎回思う。いさせてくれてありがとう、と出がけにゆうちゃんの部屋に手を合わせた。直前で充電器忘れたの思い出して取りに戻った。「ちゃんと靴脱いで偉いね、私いつも靴のまま行ってるよ」と言われた。そんなことは許されないだろう。ストゼロの空き缶でいっぱいになった袋をゴミ置き場に出した。結構暑い。初夏の陽気だった。やっぱり背が低くて顔がかっこよくないのがダメなのかと思い、ゆうちゃんの元彼の顔面について色々聞いたりしてしまった。電車で別れた。
読書、読書、読書だった。文字が美味しい。電車で読んだし歩きながら読んだ。文章で風景を模写する場面が何度も出てきて真似したいと思った。

そして、本当に永らく自分を救い続けるのは、このような、迂闊な感動を内から律するような忍耐だと私は知りつつある。この忍耐は何だろう。その不思議さを私はもっと思い知りたいし、その果てに心のふるえない人間が待望されているとしても、そうなることを今は望む。この旅の記憶に浮わついて手を止めようとする心の震えを静め、忍耐し、書かなければならない。後には文字が成果ではなく、灰のように残るだろう。

旅する練習 / 乗代雄介

今までの俺とは真逆の方向性だと感じた。忍耐について、なんて考えたこともなかった。家に着く頃には雲間から太陽が覗いた。家に帰って窓を開けた。清潔な風がさっと通り抜ける。枝豆ご飯の残りを食べる。気分が良かったので部屋を片付けて掃除機をかけた。疲れていたので横になったが眠ることはできなかった。開け放した窓から通り抜ける春の匂いを嗅ぎながら、一人旅がしたいということを思った。突然ふらっと出かけて、何週間も戻らない。一人で色々探検したい。調べたら東欧は物価が安かった。妄想が捗る。
なすから晩ごはん一緒に食べようと誘われたので支度して出かけたが、直前で体調悪くなったらしく放牧された。このまま帰るのもなんだかなあと思って美音さんとゆこちゃんに連絡したが、いずれも振られた。坊主頭で登場して驚かせるやつをやりたかったので残念だった。ゆこちゃんとの電話にちっちが出て、ちょっと話した。明日から小学生になるらしい。「また家に遊びに来てね」と言われた。行くよ。
新宿から家まで歩いて帰った。空がオレンジ色に燃えて夜の入り口が街を覆い、ビルが青っぽく染まっていた。歩くのは気持ちが良い。急に回転寿司が食べたくなったが混んでいたので断念した。家族の空間に俺の居場所はなかった。どこまで行っても街だった。空腹のまま帰宅した。ゆうちゃんは今日、翼との待ち合わせに六時間遅刻されたという。翼を許すなと言っておいた。賞味期限切れの焼きそばがあったのでそばめしを作った。食べながらとらドラを見た。血糖値の上昇と共に躁状態が終わりを告げる。

4/8
目の前にいる人が大好きなのは何故なのか、本当に大好きなのか、なんてことに悩む暇があったら、大好きという感覚をもっとちゃんと味わい尽くすべきだ。目の前にあるものなんてすぐになくなってしまうんだから。端的に言えばそれがi aiから俺が受け取ったメッセージだった。そしてそれは言葉にして表現しなければ、最初からなかったかのように扱われてしまう。
性格も顔も実はどうでもいいのかもしれない。つまり「その人がその人である感じ」をより強く感じられるかということだ。それを感じてしまったらもう離れることができない。
恋ではなく、寵愛と呼んでみるのはどうだろうか。恋心は期待する苦しさから生まれる。期待しなければいい。自分をしっかり持ってさえいれば、期待せず特別に愛することは可能だ。
やりたいことを一つ決めてそこに向かって真っ直ぐ進んでいけば、他のことは全部どうでもよくなる。そんな風に生きられないか。そう思った時にいつも立ちはだかるのは、自意識という厄介な存在だ。自分が最悪だというだけで全てが最悪になる、そんなことを俺はもう腐るほど経験してきている。全てにおいて自分と向き合う行程は不可欠だった。この世界を乗りこなす術として、そのような課題を俺は与えられている。
ぬるい曇りだった。蓮見さんは体調不良、大沼さんは子どもの看病で休みで、石川さんと二人だった。俺の髪型について期待通りの反応を貰った。「出所したてみたいやね」と言われ、それは昨日ゆうちゃんにも言われた。そんなに犯罪的だろうか。雑な資料を見ながら大学の文化祭のホームページをちまちまと作って、何故俺はこんなことをやっているのかという気分になった。何故かカレーが食べたくなり、インドカレー屋に行った。ひっきりなしにガムを噛む。仕事終わりにスーパーに寄った。石川さんと目が合うたびに笑われ「かなり目立っとるで」と言われたことを思い出し、所在なさを感じた。でも気にしなければいい。俺が人間に対して一切興味を抱かなければ、人にどう見られるかということも同じく全く気にならないと思った。晩ごはんはベーコン玉ねぎ卵だった。
とらドラを見て泣く。一生懸命頑張る大河の姿にゆうちゃんが重なる。「俺はお前に何もしてやれない」と竜児は言った。人は自分の見たいようにしか物事を理解できない。良かったことも、最悪だったことも、今まで起こったことは全て、そのせいだった。
三千字くらい日記を書いた。書いていると謎に元気が出てくる。言語野を活動させるのがこの上なく楽しい。書くために生まれてきた、ということにしてしまってもいいのかもしれない。

4/9
女友達ばかりが多い。何故だろうか。俺はどちらかといえば奥手だし、マインドが童貞だし、必ずしも性的な人間とは言えないだろう。とはいえ心の深い部分に濃密に人と関わり合おうとする執念のようなものがあり、大勢で場を楽しむよりも、一対一で見つめ合うような関係を望んでいる。俺は同性愛者ではないので、そのせいで男と対面した時に若干の居心地の悪さを感じるのかもしれない。一度見つめ合えば大抵は満足して、空気感を楽しむ関係に移行することが多い。だがそれでは済まなくなる場合もたまにはある。ここまで書いたことが全て、劣等感や傷つけられた自尊心に起因していることを思えば、通り魔みたいなもので、犯罪的とすら思う。今まで身勝手に振り回してきた全ての人に対して、心の闇に引き寄せてしまったことを申し訳なく感じている。しかしこのように罪悪感を抱けば抱くほど、余計に執念は募る。抑圧した分、僅かでも受け入れられた時の喜びが病的に高まってしまう。頑張って一人になるべきかもしれない。そのために生まれた執念なのかもしれない。だが黒猫はそれを断固として拒否する。何が何でも誰かに見ていてもらいたいらしい。どうやって黒猫と折り合いをつけるのか、ということだ。いかんともしがたい。
命懸けで恋をしている。もうすぐ三十の坊主頭の男が命懸けで恋してるの怖すぎる。
君に必要なのは出来ないことを出来ないと言い切る勇気なんじゃないのか。
あやこさんと美音さんがこの前の会合について書いているのを見て、一瞬寂しくないと思った。俺ってニコニコしてるんだ。ニヤニヤだと思ってたよ。
面白い夢を見た。どこか暗い道を女に挟まれて歩いている。右側の女はおかしな言葉遣いをする女で、何か喋る前に必ず「え、え、え、え」と不規則に発話する。俺と右側の女に嫉妬するような様子で左側の女が俺の手に手を絡めてこようとして、俺はモテモテ大明神だった。後ろにもう一人男が歩いていて、いつの間にかその男と肩を並べて歩いていた。男は妖艶な感じで俺の首元を触って、ヒュッとして目を覚ました。雨が降っている。窓の外で雨垂れの雫の音がぽつ、ぽつ、ぽつと不規則なリズムで鳴っていて、どこかで聞いたことがあるような感じだった。なるほど、この雨の音が夢の中で女のおかしな口癖に変わっていたのか、と合点がいって、俺は一人で笑った。面白いので誰かに言いたい、という気がしたが、多分俺しか面白くないだろうと思った。じゃあ首元のヒュッとする感じは何だろう。虫でも降ってきたかと思って怖かったが、寝返りの拍子にカーテンでも触ったのかもしれない。
引き続き大沼さんと蓮見さんはいなかった。「なんか休日出勤してる気分じゃない?」と石川さんが言って、早めに退勤してもよいということになった。ちょうど観たかった映画が十八時からやっていたので、新宿に行った。「夜明けのすべて」を観た。持病と付き合っていく人々の話だ。序盤は「そういうことじゃないんだけどなあ」という雰囲気に満たされていて、かなり居心地が悪かった。が、だんだんと劇的な何かが起こるわけでもなく、自然と会話が噛み合っていく過程には、ささやかなカタルシスがあった。特別印象に残る映画というわけではないが、たまにはこういうのも悪くないなという感じだった。何となく心が軽くなった。
外出ついでになすを夕食に誘っていた。映画が終わってその足で吉祥寺まで行った。ハーモニカ横丁で飲んだ。なすは元気がなさそうに見えたけど、そういう風に見えるだけで実は元気なのかもしれなかった。胸の奥に静かな青い炎が灯っていた。初めて会った時からなすは変わった、という気がする。夢中でお喋りして妄想して元気いっぱいにガリガリに尖っていたあの頃のなすはもういなくて、それが時々寂しいと思ったりもするけど、それでも今のなすは背筋がまっすぐ伸びていて、ずっと素敵だ。求道者、という言葉が似合う。自分と同じ道を自分より少し前を歩いている人、という感じで、その背中を見ていつも憧れている。あるいは別に変わってなんかいなくて、昔も今も俺はなすの表面しか見えてないのかもしれない。何だか分からないけどとにかく勇気づけられている。音楽をやりなよ、と言われた。ラジオからフレーミング・リップスのDo you realizeが流れ出した。イントロを聴いた瞬間にすぐ分かった。シンクロニシティだ。ちょっと前にこの曲の歌詞を和訳してなすに送ったところだった。太陽は実は沈まない、それは回る地球が引き起こすillusionということだ。"Do you realize that you have the most beautiful face?" ゆうちゃんのことを言っているとばかり思っていたけど、まさか俺に向けて言っているのか?
井の頭公園を散歩しながら「りゅうが死んだら呪う」と言われた。なすならきっと本当にそうするだろう。なすはシャーマンの血を引いているから。モーニングノートという習慣を勧められた。朝の三十分、ノートに手書きで思いつくままに書く。絶対誰にも言えないことを書く。人に見せるための文章ではない、というところがポイントだった。この日記には大概何でも書いているつもりではあるけど、どうしても人の目に触れるので、ちょっと文体を意識しているところはある。そういうのじゃなくて、ただ自分の中に深く深く潜っていくためだけに書く、それはちょっとやってみたいと思った。なすの体験談によると、「こんな感情が自分の中にまだ残っていたのか」という発見があるらしい。一緒に頑張ろうと言った。色々話しながら、なすは俺より遥かに先に進んだ存在だが、俺に啓示を与えるために、敢えて俺と近しい存在として俺の前に現れたのではないか、という誇大妄想が起こった。俺は他人を理想化しすぎなんだろうか。でも俺は未だかつてなすに対して「失望」の感情を味わったことがない。なすが俺に対して間違えたことは一回もない。俺は間違ってばかりなのに……。なすの生き様はいつも俺の琴線に触れる。自分のようだと思う時もあれば、全然違うと思う時もある。とにかく光っていて温かいということだけ共通している。この夜は特に触発された。運命の分かれ道で、背中を押されたような。何がどう分かれ道なのかまだ分からないけど。
今朝の変な夢の話をしたらめちゃめちゃ笑ってくれて、こいつ分かってんなーと思った。
帰りながらGEZANの「あのち」を聴いた。人を助けたい、誰かのために何かしたいと強く思う時、いつもこの音楽が流れていた。何と表現してよいか分からないが、こんなことあるのか、みたいな気分で風呂で笑いが止まらなかった。変な気持ち。どういう感情の渦なのかさっぱり意味不明だ。
人生って面白すぎる!

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