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日記殴り 2024/2/28~3/5 (4154字)

2/28
ゆうちゃんの姿が頭の中に繰り返し浮かぶ。何でもいいから何か言いたいという気がする。でも何でも言えばいいというわけではないので、言う必要のないことについては黙っている。これは何だろう。つまり、俺の遺伝子が命令しているのだ、子孫を残せ、家庭を築け、家を守るために生涯を捧げよと。俺は比較的本能的な感覚を強く感じやすい性質であると思う。というか意志が弱いのかもしれない。この感情が何にどう作用して、どこに向かっていくのか気になる。ただ自分を惨めにさせるだけの結果に終わるのか、それとも俺やゆうちゃんにとって何か重要な出来事の引き金になるのか、分からないままなのは嫌だ。どうしても明らかにしたい。そのためにはゆうちゃんには悪いけど、また何か実験的なことをやって確かめていくしかない。この人生が何を意味するのかということをいつも考えている。それが本能に突き動かされる動機だし、本能に抗えないことへの免罪符だ。出来ることなら、あなたの人生にはちゃんと意味があったよと言ってあげたい。

2/29
傷つけられるのが怖いから、ほとんどの人間に対して怖いと思う。数少ない怖くない人には、今度は自分が傷つけることが怖いと感じる。それで色々だめになる。
持病みたいなものだ。誰にもどうにも出来ないのだから、黙ってじっと耐えているしかない。
今日は4年に1度の閏年だった。

3/1
退勤後劇場版ガンダムSEEDを観に行った。ただただ困惑した。一人で観に来て恥ずかしいという気持ちになったが、誰かと観に来たらもっと恥ずかしかったかもしれない。「いや俺は誰にも愛されてなくて毎日寂しいですけど?」と若干の腹立たしさもあった。TVシリーズがあまりに素晴らしかったため、期待し過ぎていたのかもしれない。俺にはガンダムSEEDを20年前から好きだったという歴史がないのでだめなのかもしれない。シン・エヴァンゲリオンにキレている人たちも、こういう気持ちだったのかもしれない。
風呂に入りながら愛というものの意味についてじっくり考えた。
愛はただ破廉恥なだけだ。愛が素晴らしいんじゃなくて愛を選択するということが素晴らしい。絶対愛じゃどうにもならないという状況下でこそ、その素晴らしさはより際立つ。俺がガンダムSEEDの中でシンとステラが最も好きなのも、そういう理由からだ。理解のある彼くんというのは、最初から全て理解しているので、愛を選択する余地がない。選択しない愛というのは、もはや愛ですらない。愛で解決してしまったら全部終わってしまう。理解のある彼くんは最初から終わっている。愛を選択するために、人はわざと自分を愛から遠ざけるのかもしれない。

3/2
朝の11時にOMORIのオーケストラコンサートの配信があった。あまりに美しすぎてボロボロに泣いてしまった。モブ戦闘曲ですら荘厳だ。これまでさほど関心を寄せていなかった曲も、その良さに気づかされた。とにかく全部良い。曲が良いゲームというのは、曲の良さによっていつまでも心に残り続け、色褪せることがない。冒険の記憶が鮮やかに蘇り、もう一周したくなった。OMORIに出会えたことはこの人生において収穫だったとすら思える、友達全員に勧めたい、みんな頼むからOMORIをやって……。春にはコミカライズ版の連載も始まるらしい。

見終わる頃には今日やることは全部終わったという気分になった。
急に憂鬱が来た。何もする気になれず、家に一人でいることが苦痛で、外に出て歩き回った。止まったら死ぬ魚のように8時間くらい歩き続けた。誰か助けてという感じだった。誰かに助けてもらおうとするのは良くない。ツイッターで会える人を募ったが誰からも連絡が来ず可哀想だった。高い建物を探したりしていたが、飛び降りる勇気があるとは思えなかった。とはいえ今から偶然死んでもそれはそれで良かった。今日死なないとしても、この調子でいけば俺はもうすぐ、あと3年くらいの間に死ぬだろうと思った。でも死ぬとか言ってる人は簡単には死なないという説があるので、簡単には死なないのかもしれなかった。歩くという行為は楽だ。右足と左足を交互に前に出していけばいい。たまに死にたくなってもこうやって歩き続けていればいいのだから簡単なことだな、と思った。人に迷惑をかけたくないな、と思った。特に好きな人には迷惑をかけたくない。俺が幸せではないことは、俺が辛そうにしていることは、俺が好きな人たちは、多少なりとも俺のことを好きなのだから、心配をかけたり迷惑をかけてしまうので、良くないことだなと思った。だから早めに死んだ方が良かった。でも死ぬということには現実感がなかった。それは空想の産物でしかない。赤信号は渡らなかったし、歩行者の横断を待っている車があれば小走りになった。人に迷惑をかけないためにそうしているんだな、と思った。たくさんの車や人が通り過ぎて、イルミネーションが点灯していたり、花が咲いていたりした。幽霊になっちゃった、と思った。幽霊のように徘徊しながら、温もりを求めて、誰にも気づいてもらえずに、悪い気を発しながら、自分がどこかにいるのかも分からずに、また幽霊のように徘徊して、寒さに凍えて、ぬるぬると移動しながら、どこにも行けない、幽霊になっちゃった。死ぬとか言ってるけど、俺はもう死んでいるんじゃないかと思い、俺が死んでないという保証はどこにあるのかと思った。上野や浅草を歩いたり、大手町を歩いたりして、いつの間にか新宿に来ていた。新宿からなら帰り道が分かるのでそのまま歩いて帰った。足が痛くて痛くて怪我人のようだったが、心の痛みよりはマシだった。
22時を過ぎていた。風呂に入って、人から貰った睡眠薬を飲んだら、急に楽になったのでびっくりした。春の木漏れ日の中にいるようだった。過剰だったものが解きほぐされて、頭の中をマッサージされているようで心地よかった。これは良いものだ……。最初からこうしていれば良かった。俺は心療内科に行くべきかもしれない。うっすら笑みを浮かべながら寝た。

3/3
口から魚の骨がいっぱい出てくるという嫌な夢を見た。たっぷり12時間眠って寝覚めが良かった。精神が安定していた。楽しくも苦しくもなく、穏やかだった。薬の効果について調べると、次の日まで抗不安作用が緩やかに残り続けるらしい。あるいはただ単に苦しみ終わっただけかもしれない。薬物で解決してしまった……と思ったが、違法薬物でないだけ良かった。ずっとこんな気分でいたい。この状態を覚えておいて自力で到達できるように訓練するべきだと思ったが、その日の気分は大体次の日には忘れてしまうので、難しいだろうという気もした。
カレーを作って食べながら蟲師を見た。「日蝕む翳」とても良い話で、感動して泣いた。掃除をして、冷蔵庫が空だったので買い出しに行った。日差しの中にいられる喜びを感じた。
昨日寝る前に思いついた話を書き始めた。優しい物語で、「こうだったらいいのにな」という話なので、つまり夢小説だった。書き始めると連鎖的にどんどん設定が思い浮かび、頭の中ではもう全ての内容が出揃っていた。何か賞に応募してみるのもいいかもしれない。新人賞について調べると新潮新人賞があり、短編も可で、締切は3/31だった。審査員のコメントを見ると「本当に何でもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」というのがあり、勇気づけられた。他の人のコメントは「半端な覚悟なら送って来ないでください」みたいなのが複数あり、怖かった。寝っ転がって適当に書いたものの方が良いという場合もあるだろう……。とにかくまあ、間に合えば応募してみようと思う。

3/4
げんきげんきー♪てな感じだった。活力がある。なかなかこういう日は珍しい。睡眠薬によって良い方にスイッチが切り替わったのかもしれない。試しに昼を抜いてみた。飯を食べて血糖値が上がると、その後にだるさや憂鬱が来るというパターンがある気がしたから。日中は多少飢えているくらいがちょうどいいのかもしれない。大して苦痛はなく、集中力を保てたという気がしたが、単に調子が良いから良かっただけかもしれない。しばらく続けてみようと思う。
「見解が移り変わっていくのを見れて綺麗だなと思える」と言われ、常々俺は自分の見解に一貫性がなさすぎることを恥ずかしく思っていたが、それを綺麗という発想もあるのだな、と思った。俺も生きているんだ。
月末にライブをすることになった。色々舞い込んでくる。
毎日毎日やっていくことに虚しさを感じないわけじゃない。でも先のことはあまり考えないで、今自分がどんな気分で、何をしたいと思っているのか、ちゃんと確かめながら、出来るだけその通り行動していきたい。

今日のアート

3/5
大人になる、ということはきっと、より自分らしくなっていくということだ。社会の歯車になることなんかではない。人生のあらゆる局面で自分なりに考えて打開してきた歴史がある。そのたびごとに自分なりの思想が磨かれていって、だんだん心が通じ合う人がいなくなる。自分らしくなればなるほど、人と心が通じ合う感覚は薄れていく。以前は何も考えてなかったので簡単に他人と連帯感を持てたけど、今はそうはいかない。だから俺はこんなに孤独なのかもしれない。友達がいても孤独だ。私たちはみんな真っ暗な宇宙をぐるぐる回る衛星で、弱弱しい信号で辛うじて交信しているという感じがする。これまでどうにかやってきた自分を誇りに思えたらいい。もしあなたが孤独なのだとしたら、それはあなたがこれまで生きてきた証だ。
小説を書いていて、なんだか胸いっぱいになって泣いてしまいそうになる。俺は書くという行為が好きだな、と思った。この1年日記を続けてきたおかげか、ありもしないことをまるで見てきたかのように書くことができる。妄想がすくすくと育っていく。書いたことが本当になる気がする。早く帰って続き書きたいな、とそればかり考えていた。
冷たい雨がしとしと降って、睡眠不足の影響か、また若干の憂鬱が戻ってきている。ひとりぼっちだった。このくらい疲れているのがちょうどいいかもしれない。あんまり楽しすぎると、死ぬ時に悲しくなるから。

今日のアート

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