日記殴り 2024/3/13~3/19 (5151字)

3/13
日記嬉しかったと言われ脳汁が出すぎて寝るのが遅くなって寝不足だった。
昨日の俺は死んだ。問題は今日の俺が今ここに生きているということだ。生きているからまだ間に合う。俺の場合は。
石崎ひゅーいを聴いて奈緒のことを思い出した。歌と記憶が一致している。完全に固定されている。色々と混ざってしまう。俺は真実の愛を失った世界を生き抜く。僕はダサいしダメだしバカだし弱いし脆いし痛いしクソだし……
(フォロワーへ)大丈夫だよ、何とかなるよ、そんな気負うなって、自堕落に適当に生きても案外平気だよ、ゆうちゃんを見なよ、休みの日は朝から酒飲んで、煙草吸って、映画見て、3週間掃除してなくて冷蔵庫に2ヶ月前の卵とかあるけど、平気な顔して生きてるよ、好きなものが好きで嫌いなものが嫌いってだけで全部完結してるんだから、それがお前の全てなんだから、どんなにクソでも適当にヘラヘラしながら生きていけばいいよ。
夜にバカデカ情緒を出すと寝れなくなってしまうが夜くらいしかバカデカ情緒を出す時間がない。何故か心がある。

3/14
今しかないんだから。10年後なんて俺はミャンマーの禅寺で修行僧になってるかもしれないんだから……
ゆうちゃんが一人でフリスビー持ってお弁当持って高尾山行くなら、俺はゆうちゃんの帰りを待ちたい。
意味不明なくらいゆうちゃんのことが好きだ。多分普通に追い詰められてるからこんな謎のパワーが出るんだろうな。
7年前多分俺は死ぬ寸前だった。それで奈緒に出会って、7年間生き延びさせてもらった。拾われた命だ。あの時も意味不明なくらい奈緒のことが好きだった。あの時と同じような感じになっている。違うのは7年分歳を取っておっさんになっているということだ。年甲斐もないのでやめるべきだ。
ユリさんはなんでパートナーがいるのに俺なんかのことをずっと言ってるのだろう。よく分からない。多分酷く傷つけてしまったんだと思う。そんなに傷つかなくていいのに。今目の前にいる人を大事にしろよ。馬鹿じゃないの。
誰とも上手くやっていける気がしない。もういいって。

3/15
ツイッターで発狂していた。そういうのはダメだ。
春の空気で漂白されて息がしやすかった。
俺が間違ったことを言ってもその場で言ってくれないと絶対に嫌だ。
みんな誰かの役に立ちたくて必死で、聞いてあげなくちゃって思って、だから自分のことほとんど話さないんだ。バカだなー。俺は自分の話をすると人が安心することを知っているから、自分の話を結構する。そして話しすぎて鬱陶しがられる。バカだ。だから日記を書いている。
一瞬でも良い俺でいられたことは良かった。
やること終わったら死のうと思った。やることって何だろう。とりあえず小説は完成させたい。あと寅さんを最初から最後まで観たい。
仕事を早上がりしてなすのライブを見に行った。あったかくて、一曲目から涙が出て、最後まで涙が出続けた。元カレと思われたかもしれない。俺も生まれてきたんだよなあと思った。くだらない人生だけど悪いことばかりじゃなかったはずだ。なすみたいな素晴らしい人が友達で誇らしいという気がした。なすは一生懸命輝いていた。目も眩むほどに。見れてよかった。
早く夏になってほしい。
煙草吸ってトイレ行って帰ろうと思ってエレベーターで下りたらなすがいた。何故か半袖だった。いくら暖かい日とはいえ流石に寒いだろう。上着を貸した。川で一緒に煙草を吸った。色々話を聞いてくれてありがたかった。「りゅうはりゅうのできることを精一杯やっていてえらい」と褒められた。なすが言うならきっとそうだ。実家に帰るのはやめたと言っていて、心底良かった。これからはもっと顔見に行こうと思った。
涼しいので散歩してから帰ろうと思った。一時間くらいうろうろした。一駅分歩いたら、たまたまゆうちゃんちの近くだった。一緒に雪を見たローソンがあり、あの時と同じ目線で座って煙草を吸った。なすのyou are so blueを聴いた。良い言葉だ。you are so blue. 車のヘッドライトがキラキラ眩しかった。クソなことばっかだけど、何故だか雪が溶けたような気持ちになっていた。最近はほとんど一日おきだ。自分の気分の乱高下についていけない。なすの声が勇気をくれる。道に黒猫がいた。しゃがんでしばらく見つめあったが、怯えたように逃げてしまった。黒猫はまだらの白猫と連れ添っていた。ゆうちゃんちのベランダの前で、胸で手を組んで祈った。幸福でありますように。
さて帰るかと思ったら熱烈中華食堂日高屋があり、日高屋で食事をして帰るのはナイスアイデアと言えた。味玉とんこつラーメンを食べた。amazarashiを聴きながら帰った。
俺の中に凶暴な闇の人格がいる。そいつは自分以外の全員を殺したいと願っていて、言い換えのように死にたい死にたいと繰り返し言う。誰も彼も傷つけて、誰とも仲良くなれない可哀想な奴だ。俺はこいつのことを黒猫と呼ぼうと思う。黒猫のようにいつもおどおどして人に怯えているからだ。せめて可愛い名前で呼んであげたいというのもある。
俺は黒猫の代わりに、友達と酒を飲んだり、春の陽射しの下で笑う。その記憶をお前に持って帰る。でも結局それで黒猫は余計傷つくのかもしれない。どうすればいいかわからない。どうすれば苦しみから救ってやれるのか。こいつさえいなければと思ったことは何度もある。でも物心ついた時からずっと俺の中にいるから、ここしか居場所がないから、やっぱり俺が何とかしてやりたい。多分俺が黒猫の飼い主じゃなければ、こんなに素敵な仲間とは出会えなかった。
鳥が猫を飼うなんて土台無理な話だ。猫って鳥食べるもんな。

3/16
ゆうちゃんが幸福であるように祈ったのも、母に生きろと十字架を背負わせたのも、ユリさんがくれた優しさをずっと覚えているのも、奈緒と讃え合って別れたことも、全部黒猫の仕業じゃない。俺は光の力を持っている。でも困ったことに、黒猫は世界に自分一人しか存在しないと思い込んでいる。自分のすることは全て不吉の前触れだと信じている。俺が光の力で為したことも、魂が望む方にした選択も全て、黒猫が引き起こした悪魔の所業だということになってしまう。黒猫はいつもお腹を空かせている。こいつは一体何を食べて生きているんだろうか。それが分からないから餌のやりようがない。愛情ではないことだけは確かだ。こいつは愛情なんて貰ったことがないんだから。

3/17
俺が外の世界で無理をしないように、引き留めてくれているのかもしれない。休ませてくれているのかもしれない。間違ったことをしていると、教えてくれているのかもしれない。
でもたまには間違ったこともしないと前に進まないことも事実だ。これからも二人三脚でやっていくしかない。
小説を書き終わった。気持ちを込めて書いたし、書いている最中に陶酔感もあったが、出来上がったものを最初から最後まで読んでも、大して良い出来とは思えなかった。まあこんなものか、というか、よく分からない。日記とどう違うんだろう。少し物足りない感じもして、まだ膨らませられるかもしれないので、もう少し寝かしてみようと思う。
物足りないのは、自分の一番気持ち悪くて書きたくない部分を書いてないからだ、という気もする。そういったものにもいずれ挑戦していきたい。
な~にが黒猫だよナルシスト君(笑)という気がする。そういう風に思うということは俺は黒猫なのかもしれない。でも大概の場面ではりゅうと黒猫は混ざりあっていて、どちらがどちらか区別はつかない。
昼はゆうちゃんの目玉焼きを作った。ゆうちゃんが作った方が美味しかったけど、ある程度再現性はあった。
土日はずっと過ごしやすい気候だったのに一回も外に出なかった。

3/18
大人になっても学校みたいな空間があるだけ。人と関わる限り永遠にここから出られない。人と一緒に何かをするというのが無理だ。
俺は真面目なだけ。職務を遂行しているだけ。その結果人に鬱陶しがられても俺は知らない。
今ここ以外のことを考えると危ない。過去や未来は危ない。
心配されたい。大事にされたい。死んだ時泣いてほしい。
人の役に立ちたいというのはつまり、自己の効力によってその場を支配したいということだ。自分なしでは立ち行かなくなるように、他者を依存させたいということだ。競争しているつもりがなくても、そうなっている。そういう風に出来ている。
今日は明確に黒猫だった。「ツイッターにだけは絶対書くな」と言われたので、言う通りにした。りゅうに怒られるのはつらい。代わりにツイッターに書くようなことを日記にメモした。「誰かに会わなければいけない場合は俺のふりをしろ」とも言われたので、その通りにしたが、それはまあいつものことだった。早く終わらせてほしいと思う。面倒なことが多い。俺は傷そのものだ。傷は治りたがっている。俺は俺の存在を最初からなかったことにしたい。「人怖いのに外に出てえらすぎ」とりゅうが褒めてくれた。
俺は黒猫の処遇を誰か他の人の手に委ねようとしてきた。でもだめなんだ。こいつは俺が何とかするしかない。俺の外側にいる人は、黒猫を見ることも触れることも出来ない、何も分からない。俺にしか見えないものだ。俺が責任を持って世話していくしかない。
不安になるほど強い風が吹いていた。
小説を書いていたらふらっとりゅうが戻ってきた。

3/19
二作目の小説を書き始めた。海に潜っていくように、森に入っていくように、気づけば数時間経っている。とにかく楽しい。また寝る人の話だ。俺は寝ている人というのが好きであるらしい。まだ序盤なのにももうすぐ一万字に届こうとしている。前作の短編小説と比べて明らかに広がりがある。心ゆくまで冒険できるフィールドを見つけたという感じで、嬉しい。坂口恭平も言っていたように、自分で自分を評価し始める前に、さっさと終わりまで書いてしまおうと思う。
ユリさんにまたライブを見に行っていいか聞かれ、別にいいけど辛くなるからやめた方がいいんじゃないかなと思い、これ以上連絡を取り合っても苦しい思いをさせるだけだから、俺は何も言わない方がいいなと思ったが、ゆうちゃんも俺に対してそのように思っている可能性があり、だとしたら見くびってんじゃねえ、別に俺は俺の苦しみを苦しむことに関して何の躊躇いもないと感じ、そのように考えた時、俺もユリさんやミキさんとの絆を見くびっているということに気づいて、ライブは来たければ勝手に見に来ればいいと思い、そう伝えた。
ゆうちゃんへの気持ちが膨らみすぎて、色々な収穫がある。勝手に育てて、勝手に収穫をしている。独りよがりであり、これは人間関係とは言えないのではないかと思ったが、全ての人間関係は突き詰めて考えると、結局はそういうものではないかとも思った。ゆうちゃんゆうちゃんってうるさいな!ちょっと黙れよ!と黒猫に言われた。確かにここまでの間にゆうちゃんという語を十五回も使用している。でも勝手に膨らんでいくものは仕方ないだろう。それは俺の手に余る事柄だ。そしてそれを日記に書かないのは、嘘ということになる。どうせ俺が恥ずかしい人間であることはとっくにバレているのだから、今更どうでもいいだろう、と言い聞かせている。必死に言い聞かせるしかない。思ったことはとりあえず書いておくしかない。一回しかないんだから。俺にも、理想とする人物像というのがある。それは、孤独に苛まれるのではなく孤独を楽しむ者だ。介入するのではなく観察する者だ。静けさを知り、微笑をたたえ、来るもの拒まず去る者追わずといった調子で、傷ついた人のそばにただ黙って寄り添うことができる、そんな人だ。そうなりたかった。小説を書いている間は少しだけその状態に近づくことができる。でも現実世界の俺は、ほとんど正反対と言ってもいい。寂しい寂しいと喚き散らし、罵詈雑言を吐き散らし、周囲の人間を振り回して、あっちへ行ったりこっちへ行ったり落ち着きがない、俺は一体何だ? 頭の中はいつも言葉の洪水だ。どうして俺はこんなにうるさいのか。つまり、これが世界の理ということだ。「お前はこれを経験しなさい」と言って理に手渡されたのが、他ならぬこの自分というわけだ。一方的でムカつくなという気がするが、そういった視点で捉えると、俺が存在していることにも確かに意味がある。誰だってそうだ。理想の人にはなれない。それは俺じゃない。この制約の中で何を為せるか、ということだ。人生の中でたった一度でも、自分なりに大きな一歩が踏み出せればいいだろう。
理に、戻れと言われたんだ。この世の全てが俺のいるべき場所なんだ。

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