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【世界一周】#00 色褪せない記憶を綴りたい。

私は2018年11月から2019年8月の約10か月間、世界一周の旅に出た。ずっとずっと旅のことを綴ろうと思っていたけど、気づけば旅を始めた頃から5年が経過。私の人生の中で大きなターニングポイントとなった、この旅。少しずつ振り返っていきたいと思う。

世界一周をする前の私について

仕事

2011年04月 新卒でIT会社に入社、福岡勤務
2014年09月 入社3年目、海外へ行くため退社する予定が、
      シンガポール駐在が決まる
2015年04月 東京本社へ異動
2015年09月 シンガポール支社へ異動
2018年10月 シンガポール3年滞在を経て、退社
2018年11月 世界一周へ

旅が好き

10代の頃から海外への憧れが強く、自立したらとにかく海外に行きたい一心だった。私の旅のスタイルは「一人旅」。親からの干渉や息苦しい日本の社会から離れて、一人で何もかも決め、行動する。そんな生き方がとても新鮮で、刺激的だった。英語への好奇心とコンプレックスが入り乱れて、なかなか語学は上達しないままだったけど、知らない人たちが知らない言葉で話している環境に身を置くのは、なんだか心地良かった。「わからない」が心地よい時もある。

これまで行った国


シンガポールに行くまでのわたし

20代は毎年のごとく、休暇を作り、せっせと海外へ行っていた。海外への憧れが募るあまり、いよいよ本気で英語を勉強しようと、フィリピンへの長期留学を計画。フィリピンの語学学校の方とWEB面談もした。そんな中、当時の上司に「退職」の二文字を突き付けたところ、「若手をシンガポールに駐在させる、という話があるよ」と提案された。休暇のたびに海外に行っている、という話を聞いていた上司は「お前にはポテンシャルしかない」と評価してくれ、他の方に決まりそうだったその枠を私に充ててくれたそう。

当時社会人3年目だったわたし。まだまだ何もできない若手社員を海外に駐在させよう、ってハイリスクな投資でしかないのに、それを遂行する大企業の力よ。今になって、その凄みがわかる。

さらに、恥ずかしいことに、当時のTOEICの得点は570点。うん、ポテンシャルしかない…。海外駐在するには最低でもTOEIC700点は必要、と言っている会社もある中で、ポテンシャル採用してくれる懐の大きな会社よ。。
そんなわけでシンガポール行きが決まり、東京で海外勤務に向けての研修を受け、海外勤務直前にTOEICで690点を取り(それでも足りないけど…)、なんとかシンガポールに赴任できることになった。
(ちなみにシンガポール生活1年が経った頃、腕試しにTOEICを受けたら850点!現地に住むって大事!)

シンガポールでのわたし

シンガポールでの生活は刺激そのものだった。
33階の家に住み、9-17時の仕事で残業なし。毎月のようにアジア各国への海外出張(日本へも数か月に1回のペースで出張)があった。
1年目は、英語もろくに話せなかったし、新しい業務についていけず、四苦八苦。2年目になると、英語にも少しずつ慣れてきて、新しい上司に変わったこともあり仕事がしやすくなった。プライベートではヨガにハマったり、日本人や外国人の友人もできて、公私ともに充実していた。3年目は、仕事の内容が重くなり(数億円の商談など)、私が将来的に思い描いている理想の暮らしと180度異なる大きな経済の話に違和感を感じ始めて、精神的にも身体的にもしんどい日々が続いた。

立派な家に住んで、残業がない暮らしで、有給もすべて消化。年に一度は帰国休暇制度を使って2週間日本に帰ることができる。給料やボーナスも、日本にいた時以上にもらえる。このまま働き続けると、他の国への駐在などのキャリアアップも保証されていた。(実際、次はベトナム駐在?という話もあった。)

誰もが文句のつけようのないキラキラした駐在生活だったけど、当時の私は全然幸せじゃなかった。私にとっては、大好きな人たちと手作りの鍋を一緒につつく、ことこそが心温まる幸せなことなんだとやっと気づいた。
取引先のおじさんと高級料理を食べに行っても、胃もたれするメニューで身体は疲れるし、お酒は苦手だし、気を遣えばつかうほど楽しくない、どころか苦痛になる会食の数々。心身共にエネルギーがすり減っていった。

シンガポールでの「駐在員」という安定した暮らしから抜け出すには、半年間悶々とする時間が必要だった。(今思えばさっさと辞めればいいのに!と思うけど。笑)
どんどんひどくなる片頭痛と肩の痛みがあったこと、信頼していた上司が異動になったこと、たまたま日本に帰国した時に震度6の地震にあったことが重なり、このまま死にたくない!好きなことだけして生きていきたい!という思いが強くなった。

それから、仕事や家、当時の彼氏も、全部手放そうと決めた。

今までわたしを覆っていた鎧をすべて取っ払って、なにもない私でいよう。
そう思ったら、一気に心が軽くなった。

世界一周の計画について

そうと決まったら、仕事を辞めた後に何をしよう?どこに行こう?
時間もお金の縛りもないとなれば、妄想が楽しくてたまらない。
これまでにやってみたかったけどできていなかったことを
(誰に見せるわけでもないけど)パワーポイントにまとめてみた。

これが2018年当時の資料。当時は誰にも見せなかったけど、5年越しに公開!

1.いつ?

仕事を辞めて、すぐに行く!
1年ぐらいをめどに世界を旅して、何が自分にとって心地よいのかを探る。

実際は10か月の旅になった


2.人生計画

仕事を辞めた当初、29歳。30歳の節目となる年に旅に出て、自分のスキルを向上させること、次の移住地を探すこと、パートナーを探すことをテーマに動こう。結婚に興味はないけど、子どもは産んでみたいから、年齢的にも33歳ぐらいまでにはその基盤を整え、落ち着いていきたい、という計画だった。
(その結果、30歳で現在のパートナーに出会い、31歳で結婚、32歳で出産。有言実行!)

ほぼ計画通りになった


3.どこへ行く?

行きたいところ、やりたいことはあるけれど、どうやって回ろう?時間やお金のことを考えずに妄想するのは、本当に楽しい。
結果的に、この通り行った場所もあれば行ってない場所もあるけど、行ってない場所に関しては別の機会に行きたいと思っている。

イタリアもブラジルもコスタリカも行ってないから、次回に持ち越し!


4.何をする?

さて、この世界一周で私は何がしたいのか?

1.次の移住先を探したい

当時は日本に帰るつもりはさらさらなくて、でもシンガポールよりも自然が多い場所で暮らしたかった。「心地よい気候」「自然がたくさんある」「色々な場所に行きやすい」「海が近い」という4点を軸に旅の行き先を決めていった。

2.興味あることを学びたい、そして自分がどう変わるのか見てみたい
ヨガやタイマッサージや、パーマカルチャー、アートなど、興味があることをなんでもやってみる。

3.一瞬一瞬を楽しむ
計画しがちなわたしだけど、今この瞬間に感じる直感を大切にする。

計画して無計画になろうとする私


5.どんな風に?

1.一か月一か国生活をする
観光というよりは現地の生活を味わうことが今回のテーマなので、最低でも1か国に1ヵ月は滞在するようにする。また現地の生活を味わうために、「Workaway」という制度を使って、現地の人と暮らしを共にする。

2.「何が自分にとって幸せなのか」を軸に判断する
旅先でたくさんの決断をする必要が出てくるけど(明日何をするか、どこに行くかなど)、いつだって何が自分にとって幸せなのかを基準に行動する

3.予算や期間について柔軟に再検討する
ざっくりと予算と期間は決めていたけど、2の軸に従って柔軟に変更できるものとする。

1ヵ月1か国でもバタバタしてたなぁ


6.理想の未来

私にとって理想の暮らしとは。

  1. シェアハウスというよりCo-housingのような個々に独立した家がありながら、共有スペースで仲間と集えるような場所に住むこと。長期滞在者、短期滞在者が入り乱れることができたら尚良し。旅人を受け入れたい。

  2. パーマカルチャーのような、自然と調和した農ある暮らしをしたい。畑でのワークショップや、保存食作りなども。

  3. 温泉!!!!家は質素でよいから、お風呂は豪華にしたい、というのが私の夢。いろいろ課題はあるけど、家に露天風呂を作りたい。目の前が森などの自然だとベスト。

これは2018年の世界一周前に思い描いていた理想の未来だけど、5年経った今も根底は何も変わってなくて。
今の私には近所に友人がたくさんいて、畑も田んぼもあって、気軽に行ける温泉もある。まだ理想には程遠いけど、少しずつ少しずつ、明るい未来に繋がっている気がする。

温泉付きの家に住みたいなぁ

世界一周、始めます

そんなわけで、パワーポイントまで作ってわくわくでスタートした世界一周。これから1年間好きなことだけをする、って最高じゃないか。

実際に行った国は、13か国

  1. タイ

  2. ラオス

  3. アメリカ

  4. メキシコ

  5. ケニア

  6. タンザニア

  7. スペイン

  8. イギリス

  9. ポルトガル

  10. クロアチア

  11. ドイツ

  12. フィンランド

  13. シンガポール

旅をした期間は、2018年11月~2019年8月までの約10か月

シンガポールに3年間住んだ後、「日本になんて絶対戻らない!」と思っていた私が10か月の世界一周を終えて、住みたい、と思った国は日本だった。自分でも全く予想していなかった結論!そして、今日本に帰ってきて4年以上が経過した。

そんな「イマココ」に至るまでの、10か月間の世界一周を、少しずつ振り返っていこうと思う。

続く。

いつも読んで頂きありがとうございます!最大限の愛を❣️