マガジンのカバー画像

古希の思い出〜祖父の残した足跡〜

16
運営しているクリエイター

記事一覧

祖父の自伝(16)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(16)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父
ぶどう狩りのマルタ園初代園主、中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ
自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

第三部 軍隊生活と青年学校軍隊生活 その九
師団勤務と招集解除

1月30日師団司令部の勤務を命ぜられた。第三師団管内の各測候所より飛行機の飛来状況が刻一刻と通報されてくる。それを図の上に時刻、場所、機種などを明細に記入

もっとみる
祖父の自伝(15)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(15)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父
ぶどう狩りのマルタ園初代園主、中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ
自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

第三部 軍隊生活と青年学校

その八
〇〇〇〇と中島二等兵
(後編)

一月、初年兵が入営した中で幹部候補生志願者が10名いた。
その中に中島信一という名古屋出身日本大学卒29歳がいた。
ある日曜日
「班長殿、親が面会に

もっとみる
祖父の自伝(14)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(14)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、
ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ
自分のルーツに思いをめぐらして
見たいと思います。

第三部 軍隊生活と青年学校

その八
〇〇〇〇と中島二等兵
(前編)

一難去って又一難

港から勤務も終わり帰って来ると早々に准尉より
「〇〇〇〇にA(仮名)と一緒であったがなにか覚えていないか」問われた。
「別

もっとみる
祖父の自伝(13)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(13)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、
ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ
自分のルーツに思いをめぐらして
見たいと思います。

第三部 軍隊生活と青年学校

その七
班長代理と近藤一等兵

豊橋高師ヶ原にて演習中の、
昭和16年9月9日現役兵満期除隊
予備役に編入。

9月10日命陸軍砲兵伍長。
同日臨時招集により、野砲兵第三連隊補充隊に応

もっとみる
祖父の自伝(12)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(12)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、
ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ
自分のルーツに思いをめぐらして
見たいと思います。

第二部 軍隊生活

その六
陸軍士官学校
全国参加隊に参加

昭和16年3月10日陸軍士官候補生の演習により全国砲兵隊が参加。
野砲兵第3連隊からも将校1、
下士官2、兵長1、兵13の計16名が
各中隊より選抜され

もっとみる
祖父の自伝(11)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(11)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、
ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

第二部 軍隊生活

その5
秋季大演習参加
昭和15年10月26日。
野砲兵第三連隊補充隊第二中隊三班に復帰する。古年兵は同年兵が多く補充兵初年兵の混成であった。
無理を言って退院したことが運のつきはじめ。
丁度11

もっとみる
祖父の自伝(10)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(10)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、
ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

第二部 軍隊生活

その四
マラリアで入院内還となる
三水の警備中7月15日「マラリア」で鈴木部隊に入院。診察の結果は急性肺炎と診断され広東福山部隊に転院。「マラリア」の熱の出る時は体温計の目盛以上に上がることがしば

もっとみる
祖父の自伝(9)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(9)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、
ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

第二部 軍隊生活

その三
第一期検閲と出征
焼きつける太陽のもと小幡ヶ原、
本地ヶ原と実践訓練に耐え忍んだ後、第一期検閲の為豊橋高師ヶ原厩舎
(きゅうしゃ)に行軍途中岡崎市福岡小学校校庭に砲車、厩(うまや)の
設営

もっとみる
祖父の自伝(8)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(8)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、
ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

第二部 軍隊生活

そのニ 
戦友の入室と班長当番
軍隊は自己の意思は全く通らない。全てのことが命令。新兵はあれもやれこれもやれ無理難題ばかり。1日の教練が終わると馬の飼い付けから兵器被服の手入れ洗濯靴磨き等など古兵

もっとみる
祖父の自伝(7)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(7)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、
ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

第二部 軍隊生活

一 軍隊とは
  軍隊
軍隊と言うところも戦争と言うものも知らない子や孫たちに、先祖が国民皆兵の制度の下で自由を許されず徴兵検査や招集令状等により強制的に軍隊にとられこれが男子の本懐であると賞めら

もっとみる
祖父の自伝(6)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(6)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

家族 その5

女房良枝との出会い

昭和17年3月満期除隊して家に帰る。
その後周囲の人から年頃だからと色々の人から嫁の話を聞かせてくれる。おふくろは男親がないので自分の責任に感じ昔のことで下駄履きで根様(こんよう)

もっとみる
祖父の自伝(5)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(5)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

家族 その4

武雄の生い立ち
大正7年10月5日
吉藏の長男として生まれる。

昭和6年3月恵田尋常小学校卒業。
当時の家族の構成は、おじいさんおばあさんと
両親4人に兄弟2人の計6人の家族であった。

家庭的には非

もっとみる
祖父の自伝(4)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(4)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

家族 その3

弟 實(みのる)の覚え

大正11年10月22日吉藏の三男として
生まれる。
(次男光義は生後1ヶ月で死亡)

昭和13年3月岩津町立岩津農商学校
(現愛知県立岩津高校)を
一期生として卒業する。

もっとみる
祖父の自伝(3)〜祖父の思いが今繋ぐもの

祖父の自伝(3)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。

時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

家族 その2

おふくろ や江の味

おふくろ、や江は明治20年8月28日
岡崎町大字小呂3番戸(現 岡崎市小呂町)
香村利吉の長女として生まれる。

明治43年3月26日、父吉蔵と結婚。
昭和12年2月6日、吉蔵死亡

もっとみる