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おしりを出した子一等賞

こう毎日書いているとネタなんてものはすぐになくなる。面白いお話、素敵なお話、ポジティブな人生哲学、そんなものが都合よくポンポンと思いつくわけがない。そうなると使わざるを得ないのが、自分が見せたくないようなものだ。

恥ずかしいこと、醜いこと、汚いこと、ダサいこと、誰もが持っているものだが、誰もが他人に知られたくないものだ。見せたくないものだ。しかし作家という生き物は少し違う。自分の中にある見せたくないようなものを表現に昇華できた時、静かに喜びを噛み締め、時にコンプレックスから解放されるのだ。誰にも見せたくないものなんて誰にも見せなくてもいいのに。まったく難儀な生き方である。

「おれたちに出来ないことを平然とやってのける。そこにシビれる!あこがれるゥ!」

とは、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の名(迷?)台詞である。誰にも見せたくないような感情や体験を開けっぴろげに見せられる人を、人は凄いと思うものだ。偉そうに言っても、結局作家なんてものは、誰かに「そこにシビれる!あこがれるゥ!」と言われたくてやっているのだ。そのためならどんな手段も厭わないだけなのだ。承認欲求のためならば、見せたくないものを見せるなんてことは何でもないのだ。と、浅ましい承認欲求を開示してまた承認を得ようとしている。作家というものは、表現者というものはつくづく業の深い生き方だなぁと思う。

いや、見せたくないようなものを開示して相手の気を引くのは人なら誰もがやることかもしれない。飲み会で後輩に語って聞かせる武勇伝や失敗談、好きな人だけに打ち明ける悩みや秘密。弱みを見せて信頼や尊敬を得るのはコミュニケーションの基本スキルのひとつにすぎない。その延長線上で、作品にして不特定多数に開示する行為があるだけなのだ。特別だけど特別ではない、それでも特別なことを僕たちはやっているのだ。

くまの子みていたかくれんぼ
おしりを出した子一等賞

なんて歌があったなとふと思い出す。おしりを出した子一等賞?なんだそれは?意味が分からないとずっと思っていた。それは恥部を晒して賞賛を得るということなのかもしれない。文章で、舞台の上で、僕は今日も嬉々としておしりを出す。それは一等賞をもらえるくらい素晴らしいことだ。ヨシ、今日もいいおしりを出すぞと変な決意と共に、僕はカップに残ったコーヒーを飲み干した。

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