見出し画像

内省感傷

例えば恋人にフラれるなどした時、その原因を内省して自分に求めるのは普通のことだと思う。こういうところが良くなかった。もっとこうしていれば良かった。もっと早く気がついて改善できていればフラれることはなかったかもしれない。そんな反省を繰り返して人は生きていくものだ。

これが前向きな反省であるうちはまだいいのだが、時にここで認知の歪みが発生することがある。もっとこうしていればフラれなかったに違いない、愛されたに違いないという強い思い込み。自分がフラれたのは自分が不完全だったからだ、自分がダメだったからだ、こんなにも不完全でダメな自分は愛されなくて当然だ生きている価値がないという極端な自罰意識。弱っている時に人は正常な判断を失うものだ。

認知の歪みはまだ進む。自己改善をしたから愛されるはずだ、大きな仕事を成し遂げたから認められるはずだ、自分が完全になれば、自分がダメじゃなくなれば誰かが愛してくれるはずだ。そうやって何かに取り組むことは一見いいことのように見えないこともないが、評価を外に求めてしまうのはとても危険なことだ。求めている評価や対価が得られなかった時、大きなショックを受けてしまうことがある。

そのショックを緩和する装置として、他責にしてしまう認知の歪みも発生しがちだ。自分は完全だ、何も悪いところはない。それが分からないだなんておかしい、愚かだ、見る目がない。そう思い込むことで自分を守る自己防衛装置。これも行き過ぎると健全ではない。

例えば恋人にフラれるなどした時、自分の中でそのショックをどう処理しているかをできるだけ冷静に客観的に内省して把握することによって、自分はショックを受けてなどいない、至って冷静に自己分析ができているぞと認知しようとする。それは僕がよくやるやり方だ。これはこれで、そんなに健全ではないように思う。でもまあそもそもの前提に置いた恋人にフラれるなどという状況の時点でおよそ健全ではないのである。不健全だろうが愚かだろうが、内省して認知を歪めてでも感傷を乗り越えて前を向いていくしかないんすよね。そんな内省です。

よろしければサポートいただけると、とてもとても励みになります。よろしくお願いします。