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方便も嘘

ここでは基本的に創作のお話を書いている。創作ということは実際にあった出来事ではなく自分で考えた嘘の話だということである。が、割と近しい人からも、実際にあった出来事だと思われていることがそこそこあって驚く。「僕は」「俺は」と一人称視点で書いているものも多いせいだろうか。ともかく、「読者は当然嘘だと分かって読んでくれているだろう」の範囲が以前より狭まっているように感じる。

テレビのドラマやアニメ、バラエティ番組にクレームを入れるような人が増えたのも、もしかしたら同じ構造なのかもしれない。演出上の表現、嘘なのだということが伝わらなくなっている。「嘘を嘘であると見抜ける人でないと(インターネット掲示板を使うのは)難しい」とは、ひろゆき氏の名言だが、創作は創作であると見抜ける人でないと創作を楽しむのは難しい……のかもしれない。

どうしてこうなったのか?と考えると、嘘をつくことが良くないことだという清廉潔白さを過剰に求める風潮の積み重ねなのかもしれない。今の若い人たちは嘘に慣れていないのかもしれない。嘘は悪であるとして、悪は悪であるとして拒絶するマインドが逆に、嘘を嘘であると見抜く目を曇らせたのかもしれない。少し話はずれるが、有名人の不倫や不祥事を過剰に叩くのも、清廉潔白を過剰に求める風潮の積み重ねなのかもしれないと感じている。いわゆる陰謀論のような、「綺麗に見える嘘」を盲信してしまう人が増えたのも、嘘を嘘であると見抜けない人が増えたせいなのかもしれない。

川を流れてきた桃から男の子が生まれて鬼退治に行く、虐められていた亀を助けたらお礼に竜宮城に連れて行ってくれる、光る竹から女の子が出てくる……全部嘘の話だ。流石にそれはみんな分かるだろう。僕が元アイドルと付き合っていた話、ガリガリの女の子と付き合っているうちに相手の体重が70キロ増えた話、既婚者とのロマンス、道端の猫が話し掛けてきた話……となると全部嘘だと伝わらないことにはもどかしさを感じる。まあ元アイドルと付き合っていたのは本当の話なんですけどね。と、嘘だか本当だか分からないような嘘をひとつ置いて皆さんを煙に巻いて締めることにしよう。

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