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失望する権利

大好きな映画監督さんの8年ぶりの新作が公開された。学生時代に観てどハマりして、そこからレンタルビデオ屋さんで過去作品も漁ってどれも素晴らしくて、でも8年前の作品を最後にもう撮らないだろうと言われていた老監督の待望の新作だった。

新作を準備中だというニュースを観たのは3年ほど前だったろうか。それからずっと楽しみにしていてようやく完成。ヨーロッパの映画祭でいくつか賞を取ったというニュースにも更に期待が高まっていた。そして満を持しての日本公開。公開初日にはわざわざ有給を取って、初日の初回を予約した。当日の朝はまるで小学校の遠足の日のように無駄に早起きをしてしまった。ソワソワと列に並んで、おそらく僕と同じように初日の初回を楽しみにしてきただろう満員のお客さんたちと一緒に観て、ズタボロに泣いて、パンフレットとアクキーを買って帰ってきた。最高の映画体験だった。

あれから1週間経った。まだパンフレットはパラパラと断片的にしか目を通していない。冷静に考えてみると、そんなに無茶苦茶面白くはなかったような気がしてきた。確かに映像は美しかったけれど、語られていたストーリーはどこにでもあるようなパートナーを失くした老人同士のラブストーリーだったし、2時間40分は冗長だった。それにあの息子夫婦のムカついたことと言ったら!どうしてあんなキャラクターを割り込ませる必要があったんだろう?ただ主人公たちの恋愛に障壁を作りたかっただけのように見えたし、最後に取ってつけたように丸く収まったのも意味不明だった。学生時代に初めて出会ったのがこの作品だったら僕はこんなにも監督にどハマりしただろうか?とてもそうは思えなかった。

敢えて言おう。大好きな映画監督の、おそらく遺作となるだろう最新作、僕はつまらなかった。失望した。ずっと追い掛けて、ずっと楽しみにしていて、初日に観に行ってパンフレットまで買った。僕には失望する権利が充分にあると思う。あの日僕はズタボロに泣いた。でもそれはあの映画そのものに泣いたのではなかった。大好きな映画監督の最新作を公開初日に観ることが出来た、その現象に感動しただけだったのだ。だからと言って、僕が監督のことを嫌いになったわけではない。大好きな映画をたくさん撮ってくれた大好きな監督だ。それは微塵も変わっていない。

こういうことって人生においてもあるよなぁと考えて、最初に思い浮かんだのが最低のエピソードだったことを追記しておこう。学生時代に好きだった先輩がいた。大学1年の時からずっと片思いで、僕が2年になってからようやく2人で飲みに行ったり遊びに行ったりするようになって、夏休み前に告白をして、でも1度保留にされて、それでも食い下がってようやく付き合うことになった。付き合い始めてから3回目のデートで先輩の家に行って、そこで僕たちは初めて結ばれた。僕にとってはそれが初体験で、それは最高に感動的で素晴らしい夜だった。が、その時初めて見た先輩のおっぱいが、とても離れ乳で乳首の色も黒かったのだ。本当に最低だなと自分でも思いながら書くが、正直僕はそのおっぱいに少し失望をしたのだ。それはたぶん、今回の映画体験と同じ種類の失望だった。

人生は素晴らしい。失望だって時に、忘れられない最高の思い出になるのだから。……と、最後の結びくらいは綺麗にまとめておくことにしよう。

※この物語は創作であり、登場する人物、エピソードは全て架空のものです。とりわけ『先輩』に関しては、僕が実際に出会った特定の誰かを揶揄するものではないことを強く明記しておきます。

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