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自分だけど自分じゃないの

小さい頃から何かを書くのが好きな人だった。ノートに絵を描き、小説のようなものを書き、詩を書くようになった。見た映画の感想を書き、ネットが普及しSNSなんてものが生まれると、日常や小ネタを書き流し、ブログを書いたりするようになった。こうやって自分の書いたものが残っていて面白いなと思うのは、その時その時の自分の考えが残っているということだ。

人は変わるものだ。それは良いことでも悪いことでもない。昔の自分の考え方や感性は自分のものだけど今の自分とは違う。そんな自分だけど自分じゃないものを、自分で読んで面白いと思えるのも才能なのかもしれない。なるほどそういう考え方もあるのか、あー当時はあの子のことが好きだったなぁ、あの映画を見てそんなことを感じたのね……。他人の意見を尊重するように、昔の自分が感じて書いたものを尊重してあげると、昔の自分の書いた拙い幼い文章だなんてことは思わず、すっと自分に入ってくるようになる。かつて自分が持っていた感性、とても愛おしく思うものだ。

この感覚は、今はもう失われてしまった感性を持っている過去の自分に対する嫉妬めいた何かでもある。好きな人のことがいかに好きかを書き殴るように詩にしていた10代の頃の感性。流石にそんな感性はもうほとんどなくなってしまった。いや、本当にそうか?いい歳こいて好きな人が好きだとか気持ち悪いと思われるんじゃないかとか、こうやってオープンに書くのが憚られるだけで根っこの感性はそんなに変わってないかもしれない。そういえば昨日も好きな人と焼き肉を食べながら、あぁ僕はこの人のことが好きだなぁ、もっと一緒にいたいなぁ、この時間が永遠に続けばいいのにとしみじみ思ったじゃないか。誰にも見せない紙のノートになら、昨夜も焼き肉帰りの少しだけ酔った頭でポエムを書き綴っていたかもしれない。

変わりゆくもの、変わらないもの、須らく自分の感性から出たものは愛おしく思う。多くの人が過去の自分の感性なんか忘れてしまう中、こうして文章という形で書いておいたものが随分と残っているのは幸せなことなのかもしれない。たまに読み返しては目を細めて、過去の自分に思いを馳せる幸福。過去の自分の書いたものに心を動かされるという幸福。いつかこれを読む未来の自分に向けて、僕は今日も今日の自分の思いを書き残すのです。

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