見出し画像

忘れじの女神像

彫刻家として50年、地道に仕事に向き合ってきた。彫刻家という仕事は芸術家であると同時に職人でもある。私の中では自分の作品を創るのが芸術家、依頼を受けたものを依頼通りに制作するのが職人であるという認識だ。この50年、圧倒的に後者、職人としての仕事の方が多かった。そして今まで受けた依頼で一番大きな依頼であり、かつ一番奇妙な仕事だったのが、あの2体の女神像だった。

依頼は複数の仲介を通して極秘裏に私のところに転がり込んできたものだった。どこかの警察署のホールに飾る2体の女神像を作って欲しいというもので、大きさはそれぞれ3メートルほど。依頼の金額も申し分ない破格なもので、私は久しぶりの大掛かりな仕事に喜んで二つ返事で快諾した。しかし少し奇妙な点が2つだけあった。ひとつは全ての制作は秘密裏に行うということ。私は絶対に機密を漏らしてはならないという誓約書に何枚かサインをさせられた。そしてもうひとつ。女神像にはギミックを仕掛けるための空洞と、メダルをはめ込むための変なくぼみを作らされた。一体何のために?当然私が抱いた疑問に対して、依頼者から答えが返ってくることはなかった。

とは言え私もプロだ。依頼は依頼、手を抜かずにしっかりと仕事に取り組んだ。2体で対になる女神像のデザインには随分と頭を悩ませて工夫を凝らしたし、デザインが決まってからの実際の制作についてもかなり苦労したがやり切った。相応の予算がなければここまで凝ったことは出来ないし、とても感謝している。守秘義務の観点から写真さえ遺しておけなかったことは残念だったが、それでもあの女神像は私の最大の仕事だ。丁寧に梱包して搬出のトラックを見送ってから、作業場の隅の喫煙所で吸った煙草がとても旨かったのをはっきりと覚えている。

世を賑わせたあの事件の舞台があの警察署だったことは、私もニュースで知った。緊急速報を伝えるテレビ画面の端に、半ば崩れてしまった女神像を見た時の私のやるせない気持ちが分かるだろうか?例えよからぬ研究に精を出していた悪の研究所のカムフラージュに使われていた警察署のホールに飾られたオブジェで、あの訳の分からないギミックも地下の研究所に通じる階段を隠すものだったとしても、あれは私の作品だ。私があの時持てる全てを注ぎ込んで作り上げた作品だ。あの作品があんなことになる前に、私に出来ることが何かあったのではないか……あの事件以降ずっと考えているが、答えは出ない。

あの半壊した女神像は、事件を風化させないためにと作られた記念館で今も展示されているらしい。展示のプレートには、作者不詳と書かれているそうだ。私自身どうも直視する気になれずにまだ見に行けてないままなのだが、ラクーン市を訪れた際には是非立ち寄ってもらいたい。

よろしければサポートいただけると、とてもとても励みになります。よろしくお願いします。