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津波にのまれた青年のことを、なぜ今になって思い出すのか

申し訳ないと言ったな、君は。罪深いのは俺の方だ。

消息不明になった君を、俺は少しでも探そうと努めたか。

君が津波にのまれていたとき、一体俺は何をしていたのだろう。目の前で半壊した郵便局や裂けたアスファルトを、呆然と立ち尽くしたまま眺めていたのか。あるいは電機も水道もガスも止まった部屋のなかで、毛布にくるまれていたのか。

二週間後に突然君が俺の前に現れたとき、君はいつものように苦笑いして、「心配をお掛けして申し訳ありません」と謝った。
これまで君はずっと泥と涙にまみれて母を探していただろうに。

津波から逃れようと君はお母さんを連れて逃げた。
必死に駆ける息子と母。だが——
容赦なく津波はふたりを呑み込んだ。

救命胴衣代わりになったダウンジャケットが、君を水上に引っ張り上げようとした。
逆にお母さんは津波の奥底に引き込まれそうになっていた。

固くつないだ二人の手を放したのは、自分だと言ったな。嘘だろう。
その固くつないだ手を放したのは、お母さんの方だろう。
我が子だけでも助かればと、最期に手放したその手に、どれだけ深い愛情と悲しみが溢れかえっていたことか。

君はきっと覚えているのだろう。
濁りきった水中で、我が子のいのちを救うため、己のいのちを手放す母の手のぬくもりを。

生き残った君がどれだけ己の心臓をかきむしり、どれほど自分を苛み悶え苦しんだことか。
何日も何日も死体の海の中を君は探し続けたのだろう。
母が生きていることを願ってか、それとも絶望に駆られてか。

君はまるで他人事のように、淡々と自分の身に起きた出来事を語った。
いやそれ以外何も語らなかった。
君は母に二度産み落とされた。
そのとき、君は泣きながら大きな産声をあげた。
君は腐った肉の塊と血にまみれた大地の上に、母の分も生きていこうと誓いの旗を突き刺した。

申し訳ないと言ったな、君は。謝るのは俺の方だ。

死体の山をあくる日もあくる日も搔き分けた君の手を、どうして握りしめてやれなかったか。
あのとき君にどんな言葉をかけたのかさえ、俺は忘れてしまった。
いまさら許してくれなどと、都合のいいことを言うつもりはない。

ただ、今はこの地を離れてしまった君と、もう一度話したい。

   *

※今なんとなく書いたのもです。以前私はある詩人について記事を書きましたが、ある親しい人の体験と非常に良く似ていることに気付き、ただ思うままに書きました。こうしたことを軽々しく人目に晒してしてよいものなのか、どうなのか迷ったのですが、今の自分の心をどこかに吐き出したくなったので投稿しました。

最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございました!