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沈黙に抉られる 「ゲルハルト・リヒター展」を訪れて

東京国立近代美術館で現在開催中のゲルハルト・リヒター展が大変な反響を呼んでいます。私も実際に足を運んで見ましたが、これまで見た個展のなかでも際立ってすばらしい展覧会だったため、この記事を書こうと筆をとりました。

この記事はこれから展覧会に行こうと思っている方の予備知識として、よりリヒター作品を楽しめるよう書き記したものです。また、もうすでに行ってきた、という方にも面白く読める内容の記事になっているかと思います。さらには、この記事をとおしてリヒターをあまり知らなかった方にも興味を持ってもらえれば幸いです。

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現代美術において最も重要な作家といわれるゲルハルト・リヒター。20世紀後半から現在に至るまで現代アートの最前線を走り続けてきたリヒターは、一体何を追究してきたのか。リヒターの作品の実像を紐解くことでその核心に迫ってみたい。

ゲルハルト・リヒターとは

ゲルハルト・リヒターは1932年に旧東ドイツのドレスデンに生まれた。リヒターはドレスデン美術大学の絵画科で優秀な成績を修め、壁画家として活動を始める。しかしその後、抽象表現主義などの現代美術に強い影響を受け、1961年3月、ベルリンの壁ができる直前に西ドイツへ亡命した。

西ドイツ移住後はデュッセルドルフ芸術アカデミーで学び、「資本主義レアリスム」と呼ばれる運動のなか、独自の作風を展開していく。 リヒターは多彩で新しい絵画表現を次々と世に送りだし、欧州各地で個展を開催。以降、その目覚ましい活躍から評価は急速に高まり、現在では現代美術において不動の地位を築いている。


ゲルハルト・リヒターの作風

September 2005


リヒターの作風はひとりの作家が手がけたとは信じがたいほど多岐にわたる。肖像画や風景がなどの具象画から抽象画、あるいはデジタルプリントを加工した作品からガラスを使った立体作品まで、その表現形式は実に幅広く「style-less(スタイルレス)」ともいわれている。

こうした作風からリヒターは、同じく多種多様な表現方法を展開してきたパブロ・ピカソなどの系統と位置付けられるだろう。 それでは下記にリヒターの主な作風を示し考察していきたい。


|フォト・ペインティング

モーターボート(第1ヴァージョン)(79a) 1965


リヒターを世に知らしめるきっかけとなったのがフォト・ペインティングである。新聞や雑誌に掲載された写真を撮影し、それを極力正確にキャンバスに描き、仕上げに画面全体に筆をはらってぼかすという手法だ。 なぜリヒターは写真をそのまま絵画として書き起こしたのか。

それは作品から可能な限り絵画性を排除しようとしたからである。つまり写真をそのまま写しとれば、何を描き、色をどう使い、構図をどうするか、そういった判断をしなくてすむ。

リヒターは極力自分の意図を作品に織り込まないようにすることで、絵画のルールから遠ざった絵画を制作した。 のみならず、さらにリヒターは画面全体をブレさせたのである。ボケやブレが一切なければ現実的なものになりすぎる。そのため輪郭をぼかすことでリヒターは写真性を高めようとした。

つまり絵画性をできるだけ排除し、そのうえで写真性の高い絵画を描くことによって、リヒターは絵画とは何か、見ることとは何かを問いただしたのだ。


|カラー・チャート

4900の色彩(901) 2007


カラー・チャートは既製品の色見本の色彩を偶然にしたがって組み合わせる手法である。リヒターは一般の画材店などにある25種類の色見本を正方形のカラーチップにし、空間にあわせランダムに配置した。

このシリーズの興味深いところは、私たちの生活のなかにある、これ以上ない具象である市販のモノを作品として展示するだけで、途端に抽象作品と変化してしまうということだ。

さらに注目すべきは、このカラーチャートもフォト・ペインティングの試みと同様、作家の意図を可能な限り介入させないようにしている点である。ランダムに色を並べるという偶然性を作品に取り込むことで、作家の意図と偶然のせめぎあいによる新たな創造がなされている。

さらにリヒターはこうした作品を国家や公共空間に設置するために制作することで、イメージがどのように機能し変容するのかを検証している。

|グレイ・ペインティング

Grau / 灰色  1972


様々な色を混ぜ合わせれば灰色になる。そういう意味においては、このグレイは色の集積であり、同時に無であるともいえる。無からは何も見出せはしない。

しかし灰色のトーンが筆やローラーで一面に塗られており、画面には様々な筆触を見ることができる。ここでは塗る行為や形跡がどのようなイメージを生み出すのかが試みられている。


|アブストラクト・ペインティング

アブストラクト・ペインティング(CR: 778-4) 1992


1970年代後半から描き続けられているリヒターの代表的なシリーズ。「スキージ」と呼ばれる自作の大きく細長いヘラを使い、キャンバス上で大量の絵具を引きずるように延ばしたり、削り取ったりを繰り返す独自の技法を用いた作品群である。

筆ならば作家の思うように描くことができるが、巨大なスキージでは細かなコントロールが不可能となる。それゆえスキージを使用することで作品に偶然性がもたらされるため、作家の意図と偶然が拮抗し、重層的な色彩による立体感のある抽象画が創造される。

また、これらの作品群を「アブストラクト・ペインティング」とリヒター自身が名付けていることも看過してはならない。「アブストラクト」とは「抽象芸術」を意味することから、抽象的な図像からイメージされるものがいかなるものかを検証している。


|オイル・オン・フォト

9. Nov. 1999  1999


写真に絵具を塗り付けたこのシリーズは、写真と絵画の関係性を実験する試みの一つである。写真の再現性に対して絵具は抽象的であり、具体と抽象という相反する表現手法が同一平面上で並置されるいるのだ。しかも面白いことにベットリと塗り付けられた絵具のほうが、具象的であるはずの写真よりもずっとリアルに見るものに迫ってくるのである。

オイル・オン・フォトには写真と絵画の境界線を横断し、絵画とは何か、見るとは何かを追究したリヒターの創作の原点が垣間見える。

|ミラー・ペインティング

8枚のガラス板  2012


リヒターはガラスや鏡について「把握することなく、見ること」と語っている。彼はガラスや鏡も写真同様、構図も判断もない純粋なイメージだと考えているのだ。ミラー・ペインティングは幾枚ものガラスを用いて周囲の人物や景色の映り込ませる作品である。

このガラスは反射率や透過の比率が巧みに調整されている。そのため光の反射により周囲の像が見る位置により千差万別の図像を映し出す。ミラー・ペインティングはリヒターが一貫して追求してきた、見ることは何かというテーマを集約したような作品である。

ガラスに対峙したとき、まずはガラスが見え、そしてガラスの向こうの風景が見える。さらにはガラスに反射する自分の姿や背景も鏡のように見えるのだ。そしてこのガラスを見る角度や時間によって、作品は様々な姿に変容していく。

ガラスや鏡は置かれた場所や時間により無限のイメージを表出するのである。


|ストリップ・ペインティング

Strip(921-2) 2011


2011年より始められたデジタルプリントのシリーズ。自ら描いた抽象画をデジタル加工し、偶然に得た縞模様の集積を帯状にした作品。縞模様の並べ替えや組合せに意図的に介入することで、偶然性に作家の操作が掛け合わされている。

一見すると無機質的なストライプの層だが色の濃淡によって奥行きの異なりが生まれ、絵画的空間をそこに見出すことができるだろう。ストリップのまえに対峙すると距離感が失われ、めまいを起こすような錯覚にとらわれる。圧倒的な存在感がそこにはある。

絵画と写真の境界線を横断し、見ること、イメージすることを探求し続けるリヒターの新たな試みがみられる。

|ガラスとラッカーの絵画シリーズ

Aladin (P11) 2014


2010年から制作が開始されたシリーズ。何色かのラッカー塗料を板の上に流し込んでかき混ぜ、しばらくラッカーの動きに任せつつ、ここだと思ったところでガラスを倒すと表面の形状が刷り取られる。

ガラスの裏側に転写されたラッカーは非常になめらかで、色彩豊かな抽象性をまとい、ここでも作家の意図と偶然性の融合により独自のイメージを喚起させている。

塗料が自由にたゆたうさまが非常に幻想的であることから《アラジン》や《シンドバッド》といった物語を思わせるタイトルがつけられた。


ビルケナウ

ビルケナウ 2014、グレイの鏡 2019


ビルケナウ(CR: 937-1) 2014


リヒターの到達点であり、かつ転換点となった作品が《ビルケナウ》である。

ビルケナウとはアウシュヴィッツ第二強制収容所のことであり、リヒターは60年代からこのホロコーストを主題にした作品に幾度か着手しようと試みてきた。しかし、この重大なテーマを前に適した表現方法を見出せずに彼は断念を繰り返してきたのである。

そうした末、約50年の歳月を経て、ようやく2014年にリヒターにとって長年の重責となっていた《ビルケナウ》は完成させられた。

《ビルケナウ》は一作品で幅2メートル、高さ2.6メートルもの巨大なキャンバスに描かれた抽象画が4点並列に展示された大作だ。これら4点の抽象画の下層にはアウシュヴィッツのビルケナウ強制収容所で撮影された4枚の写真が忠実に描かれている。

しかしリヒターは巨大なキャンバスに描かれた具象画が、基にした小さな写真の迫真性に及ばないと悟り、画面をすべて塗りつぶしてしまったのである。そして、その上から「アブストラクト・ペインティング」の手法に転じて、抽象画として作品を完成させた。

この作品は黒と白を基調にしながら、わずかに赤と緑の絵具が使用され、それら4つの色彩が幾重にも重ねられており、分厚い樹皮のような質感の表面には無数の荒々しい傷あとがついている。抽象画の下層に隠れた具象画の痕跡を見出すことは一切できない。

見るものは「ビルケナウ」というタイトルと基の複製写真を手掛かりに、この4点の巨大な抽象画が語るイメージを脳内で創造することを余儀なくされる。

《ビルケナウ》は具象的な写真を抽象的な絵画へと変容することで、ホロコーストという一つの歴史的事実を超越し、類をみないとさえ思われる惨劇でさえ今後も繰り返されるという普遍的事実を象徴していると解釈されている。

しかしそれだけでなく《ビルケナウ》は、ホロコーストを表象することは可能なのかという議論に対し、そうしたカタストロフを描き表すこと、思い起こし記憶することが可能なのかを検証しているとも言われている。


リヒターが追究したもの

2021年10月5日 2021  


リヒターはその多彩な作品群をとおして、常に「見ることとはどういうことか」を検証し、「イメージの形成」について問いただしてきた。つまり「視覚を通じていかに主体が対象を認識しうるか」という原理を絶え間なく追究してきた作家だといえるだろう。

見ることとは、そしてイメージするとは何か——リヒターの作品と対峙するとき、私たちはその問いに迫られざるを得ないのである。

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ゲルハルト・リヒター展は東京国立近代美術館で2022年10月2日まで、その後、豊田市美術館(愛知県)で2022年10月15日(土)〜2023年1月29日(日)まで開催予定となっています。

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