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見るのが100倍オモロくなる西洋美術史PART-8 〈ゴシック美術/イタリア〉  ~絵画時代の幕開け~

美術の歴史を知って、美術鑑賞をもっとおもしろく見てみましょうと始めたこの企画。
今回は第8弾、初期中世の美術についてです。

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前回は1100年~1300年代中ごろまでのゴシック美術についてお話をしました。今回はイタリアのゴシックについてお話します。美術の大きな転換点となる回になりますので、ぜひ最後までお読みいただければと思います。

フィレンツェ派とシエナ派の台頭

イタリアでは300年ころから始まったビザンティン様式の影響が長らく続いてました。ですが、1300年半ばくらいから新しい市民社会が生まれると、新しい絵画表現が出現します。

それがフィレンツェ派のとシエナ派の美術です。

『キリストの鞭打ち』(1280年頃) / チマブーエ作


フィレンツェ派ではチマブーエが、ビザンティンのスタイルを踏襲しつつ人間的自然な聖母子を描きました。

さらに一説にはチマブーエの弟子ともいわれるジョット(ジオット)が感情ある人物表現三次元的空間を絵画にもたらします。それだけではなく、ジョットの描く非常に人間的な聖人像やその生涯を描写した壁画はたいへん分かりやすく、見るものの心を動かす効果がありました。

シエナ派ではドゥッチョやシモーネ・マルティーニ等が優美な表現や繊細な装飾を特徴とした作品を描きました。

シモーネ・マルティーニ作『受胎告知』 1333年



「絵画時代」を切り開いたパイオニア ジョット

パオロ・ウッチェロが描いたと言われるジョットの肖像画


ジョット・ディ・ボンドーネ(1267年頃-1337年)は西洋美術史において最も偉大な画家のひとりとみなされています。なぜなら彼によって、それまで建築主体の芸術が画家主体の芸術へと変えられたからです。

ジョットはそれまでのビザンティンの影響下にあった絵画を、斬新な表現で近代化しました。シモーネ・マルティーニやロレンツェッティ兄弟といった当時の巨匠がゴシック様式を追い続けていた時代に、ジョットは時代を遥かに飛び越え、イタリア・ルネサンスの礎をきづいていたのです。

生前からからジョットの名声はずば抜けており、『新曲』で知られる詩人ダンテや歴史家のジョヴァンニ・ヴィッラーニ等が当代最高の芸術家として讃えていました。

現在も美術史の古典として、もっとも有名かつ、もっとも研究された文書ともいわれる16世紀の『画家・彫刻家・建築家列伝』では著者ヴァザーリがジョットについて以下のように述べています。

「それまでの洗練されていなかったビザンティン美術を徹底的に打ち壊し、現在見られるような現実味あふれる素晴らしい絵画をもたらした。200年以上にわたって忘れ去られていた絵画技術を現代に蘇らせた画家である」


ジョットの絵画表現は人物と建物や風景の比率を自然な大きさで描写しており、こうした描写は当時としては革新的なことでした。

『荘厳の聖母』  チマブーエ作1280年/ジョット作1337年

上の絵画を見くらべてみてください。

左がチマブーエの作品、右がジョットの作品です。現代の私たちの目からするとどちらも硬く、素朴な印象を受けるかと思いますが、チマブーエの作品が平面的なのに対して、ジョットの作品には空間が生まれているのがわかるでしょう。また陰影の表現がジョットには取り入れられています。

このような表現はこれまで見られなかったもので、ジョットは初めて絵画で人を感動させた画家と言われているのです。

そしてジョットの革命により、やがてイタリア・ルネサンスという時代が到来し、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロといった巨人が生まれることになります。


スクロヴェーニ礼拝堂 1305年

ジョットによるスクロヴェーニ礼拝堂は西洋美術史史上もっとも重要なフレスコ画のひとつ。複数の作品が物語のように描かれています。こうした手法もこれまでになかったものです。


最後に

今回はイタリアのゴシック、特に「西洋絵画の父」ジョットに焦点をあててお話をしてきました。

ジョットはあまり日本では有名ではありませんが、西洋美術史ではとても重要な画家です。この記事を機会にぜひジョットについて多くの方に興味を持っていただけたら幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


※タイトル画像は欧州宇宙機関 (ESA) によって1985年7月2日に打ち上げられ、ハレー彗星に最接近した探査機ジョット。画家ジョットの名にちなんで名づけられました。

※参考文献:西洋美術史(美術出版ライブラリー 歴史編)/鑑賞のための西洋美術史入門(リトルキュレーターシリーズ)/Wikipedia


最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございました!