エモいと夏夜のマジック
みなさんは「エモい」という言葉をご存知だろうか。
学校帰りに見たあの美しい夕焼けやこないだまで付き合っていた恋人との淡く辛い思い出、久しぶりに会った友人と過ごしたあの楽しい時間に対し、無造作にぽいっと放り投げ捨てられるあの「エモい」である。
最初に言っておくが、私はその言葉が好きではない。
自分だけが経験した出来事があって、それに対して自分だけが感じることのできる感性があるのに、なぜそれをみみっちく「エモい」などという風情のかけらもない3文字で終わらせてしまうのか。
私には到底理解することができないのだ。
ちなみに、「エモい」の定義はこのようになっている。国語辞典にすら曖昧に書かれてしまっているよく分からないものを、私たちは常、よく分からず口から吐き出しているのだ。今までたくさんお世話になった「嬉しい」とか「悲しい」、「切ない」や「懐かしい」とかの言葉を全て一緒くたにしてでてきた言葉が「エモい」。
馬鹿ではないだろうか。
さて、「エモい」に対する罵詈雑言は一旦置いといて、次は「夏夜のマジック」という曲についてお話をしたいと思う。
この曲はindigo la endというグループの曲で、そのボーカルの川谷絵音が作詞を担当した曲だ。
ざっくりどんな曲かというと、お祭りや花火を通して、まだ自分の中に残ってしまっているかつての恋人と過ごした夏の夜の思い出し、そこから溢れ出る感情を歌った曲だ。
夏夜のマジックの中のリリック。
もう今では傷になってしまった辛い過去の淡い記憶を無視して見ないふりしたり、以前ほど棘のある言葉でさらに傷を増やす様なことはしない。恋人と別れた当時の夏に聴きこんでいた失恋ソングも、色々な経験をして、人として一つ大人になった彼には、当時の未練や辛さでいっぱいだった曲とは違った風に聴こえるのではないだろうか。
と、私はこのリリックに対して思うのだ。この私の考えは、実際川谷絵音が思って書いたこととはおそらく異なるだろう。
そのことについては、以前書いた『トムジェリ』を読んでほしい。
何故「エモい」の話の後に「夏夜のマジック」の話をしたのか。
それは「夏夜のマジック」が、『感情が揺さぶられるような、または感動がこみ上げてくるような、何とも表現しがたい気持ち』をちゃんと言葉にして表現することで(もちろんメロディや演奏技術も入れてだが)、音楽として芸術の形を成し、人々に受け入れられているからだ。
YouTubeの再生回数はこの記事を書いている現時点で3624万回を記録している。
もしこの曲の歌詞が、ちゃんと言葉にすることを避けた、
「君との夏の夜の思い出は、本当にエモい」
みたいなものだったらこんなにも多くの人に聴かれてはいない。つまるところ、結局人々が求めているものは「エモい」などという短絡的な言葉ではなく、しっかりと感性を言葉で表したものなのである。
今回は音楽を取り扱ったが、本でも、映画でも、Twitterのような短い文章でも、日常の会話の中でも同じことだ。音楽だけはそう、ということはなく、その場しのぎの「エモい」は大体どこでも求められていない。
自分の中には自分だけが持つことのできる感性がある。それを短絡的な流行り言葉で無くさず大事にして、自分だけの言葉で表してほしい。形になったその言葉や芸術を、私は知りたいのだ。
最後に、ここまで読んでくれてありがとう。この記事以外にも超エモい記事があるので是非読んでほしい。
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