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【第36~39回】医師が処方できない薬

Medipathyという活動の振り返りです。
活動報告というより、僕が思ったことを考察を深めています。ちなみに掲載順はバラバラです笑

Medipathyとは主に、医療系学生が昨今の教育ではあまり機会のない、患者さんのお話を深聴き、語り合い、そして笑い合うをテーマに月に一度のペースで開催しています。
参加ご希望の方は、こちらのリンクのお問い合わせからどうぞー。

患者会との合同企画

これまで患者会の方々とご一緒させていただく機会はあったのですが
2~4月と連続で患者会を運営されてきた方々と合同で企画をさせていただきました。

2月に
・富山のA Y A世代患者会「Colors」さん

・神経難病である多系統萎縮症・脊髄小脳変性症の患者会である「とやまSCD・MSA友の会(わかち会)」さん

3月に
・「がんサロン~CancerおしゃべりCafe」さん

・子をもつがん患者さんの患者会である「キャンサーペアレンツ」さん、
と対面企画@東京を行いました。

そして、4月には再度「キャンサーペアレンツ」さんと対面企画@大阪を行いました。

そのどれもが自身も病を患う身・その関係者でありながらも時間や労力を割いて同じ病気で悩む誰かのため、そして未来に同じ病気になる誰かのため。運営されている素敵な活動ばかりでした。

普段は患者さんの話を聴くことがメインなのですが、運営されている方の心の吐露。苦労。思いなどをちらっと伺うこともでき

「患者会とは医師が処方できない薬」

であることを実感しました。

なぜ、医師が処方できないのか。理由は2つあると思っています。
(以下から患者会=薬という定義を用います)

1. 患者会の薬理作用をあまり知らない

一つ目は、医師が患者会の薬理作用をあまり理解していない可能性があるからです。

薬を処方するためには、薬によって生じる化学反応を知らなければなりません。
一応、医師は科学者のはしくれであるので、薬が病気にどう作用するかという薬理作用は知った上で処方しています。というか知っていなければ医師免許はもらえません。
そのため、ある病気にどんな薬が効くかという薬理作用やエビデンスに基づいた知識はあります。
しかし、患者会という薬を処方した時に生じる薬理作用はあまり知らないのではと感じました。

その薬理作用とは「良質な人と人との化学反応」だと思っています。
ある患者会に属されている方は

「この患者会に出会えて変われた。みなさまには本当に感謝している。」

と言われました。
その方は患者会に入った当初、もしかしたら絶望の中にいたのかも知れません。心を病んでいたのかも知れません。しかし、患者会という場に入ったことによって、同じ悩みを持つ仲間が生まれ、不安が和らぎ、新しい人生の一ページを刻むきっかけになったのではと思います。

それは患者会が「良質な人と人との化学反応」を起こせるような暖かい居場所であるがゆえなんだろうなと感じます。


一方で、化学反応とはメリットだけではありません。

中学の理科の話題に移りますが、アルミニウムと酸化鉄をぶっ込めば、鉄が精製されることを理科の時間に習いました(たしか。高校だっけ?)。
理論的にはAl(アルミ)とFe2O3(酸化鉄)C(コークス)をぶっ込めばFeができるというわけです。
しかし、Feに至る過程ではテルミット反応と呼ばれる爆発を生じる高い活性化エネルギーを生み出します。

良くも悪くも人と人との化学反応でも同じことが起きる可能性があります。
化学反応の過程で高すぎるエネルギーを生んでしまうが故に、それが衝突の火種になったりすることもあると思います。そのため、患者会に入って元気になったという入り口と出口だけをを切り取って賞賛するのは本質をとらえていない可能性もあります。

残念ながら、「患者会は傷を舐め合っているだけ」と揶揄する声もあるそうです。
側から見るとそう見えるのかもしれませんが、ゆっくりとですが着実に化学反応が生まれていることも事実だと思います。

2.患者会が続いている理由を知らない

二つ目は、患者会が誕生した理由。そして続いている理由を知らないことです。

良質な人と人との化学反応が患者会の薬理作用であるとしても、それは湧いて出てきたわけではありません。

薬が長い基礎研究を経て、何度も臨床試験を潜り抜け、時には失敗も乗り越えてようやく開発されるのと同様に
患者会も運営する本人は病や自身の体調の変化と向き合いながら、長い時間を経て形を整え、時に大切な仲間を失い、現在も運営されていると思っています。

難病の患者会のある方が言っていました。

「私たちの疾患は有効な治療薬もなく、現状はリハビリをして症状を遅らせることが唯一できることです。そのため、途中で諦めてしまう人も多くありません。」

そう語る目には若干の寂しさも映っていました。手を尽くしたにも関わらず、報われなかった経験があるのかもしれません。ただ、それでも着実に続けているしなやかさも感じることができました。

また、ある患者会にはあっち支部があります。
おそらく”彼岸”と書いて”あっち”と読むのだと思います。
これまでMedipathyでお話しいただいた方にもあっち支部に所属を移された方もいらっしゃいます。

幸運にもその方があっちに行く直前まで、かなり近い距離で見させていただきました。その方の属する患者会の方々には学生と患者という垣根を超えて同じ仲間としてご一緒しました。
正直、その方があっちに行ってから僕自身、言葉にできない喪失感がありました。それ以上に同じ患者会の方は同じ病気と闘ってきた仲間として、喪失感はそれ以上かと察します。それでも会の運営などを引き継つがれた方の継続力というものは、今のところはいい言葉が見当たらないのですが、形容し難いものだと感じています。

「なぜ続けるのですか?」
この質問を直接聞いたことはありませんし、問うたところで表立って声に出されることはないかもしれません。
ですが、おそらく

「自分が先輩の患者さんに助けてもらった。だから今回は私の番」

という気持ちがあるのかもしれません。そしてそれは、ピアサポートという言葉で簡単に片付けられるものでもないかもしれませんが

「同じ病気で悩む誰かのため、未来に同じ病気になる誰かのため」

と思っていらっしゃるのだと推察します。

社会的処方という言葉に対する疑問

さて、社会的処方という言葉があります。
イギリスでは、Social Prescribing(和名:社会的処方)といって、人と人とのつながりを処方する制度が一般的で、日本もあらゆるところで動きを見せています。

医療者は「こういう患者会があるから入ったら?」と気軽に患者会という薬を処方できる立場にあります。(もちろん、医療者が患者会の存在を知っていることが前提ですが)

しかし、その薬によって患者さんに化学反応が起きるのか。そもそもその薬はどういう歴史があるのか。そこまで深く知る必要はないかもしれませんが、なんとなくの薬理作用や薬の出来た背景などは知っておくべきなのではと思っています。


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