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【第28回】おおかみこどもの雨と雪 「先天性血栓性血小板減少性紫斑病」の男性とその母親

Medipathyという活動の振り返りです。
活動報告というより、僕が思ったことを本や映画などを踏まえて考察を深めています。
28回目のテーマは、映画「おおかみこどもの雨と雪」です。

Medipathyとは主に、医療系学生が昨今の教育ではあまり機会のない、
患者さんのお話を深聴き、語り合い、そして笑い合うをテーマに月に一度のペースで開催しています。
参加ご希望の方は、こちらのリンクのお問い合わせからどうぞー。


28回目の患者さん

先天性血栓性血小板減少性紫斑病(cTTP)について

28回目の患者さんは先天性血栓性血小板減少性紫斑病(cTTP)の男性とその母親でした。

生まれてすぐにNICUに入院し、それ以来ずっと希少難病と共に生きている息子。
我が子を希少難病に生んでしまった母親。
基本、患者さんは1名なのですが、家族は第二の患者という言葉があるように、今回は2名でお話しして頂きました。

めっちゃざっくりcTTPを説明すると、血小板が減少して血栓ができる病気です。
つまり、出血すると血が止まらなくなる病気。
治療法としては、血小板補充のため、2週間に一度のペースで輸血しているそうです。

TTP(後天性の血小板減少性紫斑病)は医学部のカリキュラムにおいて、血液のところで必ずと言っていいほど習います。
ですが、先天性になると医学部での教科書には書いてありません。
症例数は世界で200症例くらいの超希少難病です。また、臨床で出会うことはまず無いと言っていいでしょう。

病が変えた家族のカタチ

そこで今回は、難病に着目するのではなく
その病が変えた(変えてしまった)家族のカタチ・もたらした役割の変化。
そして、お互いが重なりつつも、重ならないところもあるという微妙なバランス感覚について書いていこうと思います。

今回のご家族の構成は母・娘・息子の3人です。この回で娘さんは登場しませんでしたが。
そして、それぞれのキャラクターや役割的なものは、どこか映画「おおかみこどもの雨と雪」に似ているなと思ったので、今回のテーマはそうしました。

おおかみこどもの雨と雪

映画の登場人物紹介

「おおかみこどもの雨と雪」を知らない方のために、ざっくり説明すると
メインの登場人物は

花:雨と雪の母親
「おおかみおとこ」との子である雨(男の子)、雪(女の子)を産んだ(産んでしまった)母。二人を育てるシングルマザー

雪:「おおかみこども」雨の姉。
おおかみと人間のハーフ。人間とおおかみという立場で葛藤しながら最終的には”人間”として生きることを選ぶ。

雨:「おおかみこども」雪の弟。
おおかみと人間のハーフ。人間とおおかみという立場で葛藤しながら最終的には”おおかみ”として生きることを選ぶ。

この三人はそれぞれ、家族という接点はあります。

しかし、
花は人間であり、
雪は”人間”を選んだおおかみこどもであり
雨は”おおかみ”を選んだおおかみこどもであり

お互いが共有することのできないエリアを持っています。
そこから、花は花の葛藤。雪は雪の葛藤、雨は雨の葛藤が生まれます。
そして、お互いが共感できないラインがあるからこそ葛藤と葛藤がぶつかることもありました。

ゲストと映画の類似性

ここで、人間を普通に、おおかみを病気に置き換え、今回のゲストのご家族に当てはめてみると

母:花
自分は病気でないものの、女手一つで、病と普通の狭間で揺れる二人の子を育てた花に

娘さん:雪
弟が病気であるため、きょうだいとして普通と病気の間に揺れる

息子さん:雨
病気と共に生きることを選んだ(選ばざるをえない)

該当するのかなと勝手に解釈しています。

娘さんを除いて、お話の中でそれぞれの葛藤を聴くことができました。もちろん葛藤から生じた衝突も。
あくまでも僕の印象ですが、この一家も、家族という中心を共有しながら、どうしても共感できないエリアがそれぞれに存在するんだろう(もしくはあった)と想像していました。

おおかみこどもの葛藤

映画「おおかみこどもの雨と雪」において、
前半は、二人のおおかみこどもを女手一つで育てる花を中心に話が展開していきました。
そして後半は、成長期から思春期を迎えた雪と雨に話の重心が移っていきます。

後半において、姉の雪は周りと衝突がありつつも、成長と共におおかみから人間への順応をうまくやっていきます。
しかし、弟の雨は姉と違い、おおかみから人間への順応が上手くできず塞ぎ込みがちになり、周囲と溶け込めず、学校にも行かなくなります。

また、おおかみを病気に置き換えると
雪のように、小さい頃に病を経験しても普通に生活を送れる人もいます。
一方で、雨のように普通にはなりきれず葛藤する人もいます。

葛藤を生み出す構造的な要因

普通にはなりきれず葛藤するのは本人だけではなく、家族も同様です。
実際、小児やAYA世代(Adolescent and young adult)に重い病気を発症したことが成長の足枷になってしまうこともあります。
要因は様々ですが、患者さんに小児〜大人へ身体的・精神的発達に伴うケアをできる構造があまりないことが一つだと思っています。

現状、小児の段階で、難病や経過観察を要する病気を発症すると基本は小児科で治療します。しかし、中学・高校・大学となっても小児科に通い続けることがほとんどだそうです。実際に小児がん治療に携わっている医師の方もおっしゃっていました。

国や制度において小児とAYA(Adolescent and young adult)世代という区切りは存在します。
そして、小児〜AYA〜成人とシームレスにケアできる体制を整えるべきという声もあります。
しかしながら、大病院くらいしか小児・AYA世代を分け、それぞれに対応した適切なケアをしていない(できていない。意識的にも構造的にも)と思います。
特に、田舎で小児の時に難病やがんになってしまった時、しばらくは小児科でも良いのですが、20代になっても小児科に通うということも多くあります。

そうすると、成人しても小児科にかかるという構造上、なかなか心の発達が進まないこともあるのではと思います。
もちろん、小児科にかかることで主治医との関係性が長く続くという良いこともありますが。

おおかみこどもの一人立ち。それを見守る人間の親

映画のラスト。子供に移っていたフォーカスが、親である花に戻ります。

人間ではなく、おおかみとして生きる雨に対して花が

「しっかり生きて。」

と伝えます。

子は人間とおおかみで葛藤する運命にある。
でも、子と共に運命に立ち向かった。
そして、支えをそっと外し、一人立ちを見守る。

雨はおおかみとして生きること決め、雪は寮に、花は広い家に一人。

映画のように、母と子が別々の生き方を選択する必要はありません。
しかし、家族が共有している領域が、子供の成長と共に小さくなっていくことは一般的なのかもしれません。普通の家族ならば緩やかにシフトしていくでしょう。

一方で、小児の病はそのシフトを良い意味でも悪い意味でも阻害する要因になることがあります。

良い意味では、共有するエリアが変わらないことで家族の絆が強く保たれることもあり。

悪い意味では、病をきっかけに家庭が崩壊してしまうことで、共有するエリアが消滅してしまうこともあります。

これまで色々な患者さんやその家族のお話を聴かせて頂く中で、その両方のリアルを知ることができました。

花のように病(おおかみ)を持つ子の親にあまりフォーカスをあたることはあまりありません。
しかし、親であることはもちろん、自分ではなく子供が病気であることからくる葛藤や不安も非常に多いのだと思います。

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