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思い出はいつもキレイだけど それだけじゃお腹がすくわ

Medipathyを初めて4年目になりました。

のんびり、楽しく、色々考えながらやってきましたが、
6/8現在で、お話いただいた方は合計50名、聴き手は400名くらい(たぶん)になりました。
お話いただいた患者さん、参加していただいた方、相談にのっていただいた方々に感謝です!

せっかくの機会なので、これまで振り返りと今後についてを整理しようと思いました。テーマは以下の3つです。

  1. 3年の簡単な振り返り

  2. 語りえぬものへの沈黙と考察

  3. 経済なき道徳は寝言

簡単な振り返り

1年目 2020/6~2021

とりあえず始めた。1年目。
コロナ禍でヒマだったこともありペースは月一回だった。
今でもこのペースはほぼ維持している。

この時に患者さんへ送ったアジェンダとかは適当。進行とかも適当。
今思い返すとヒヤヒヤする。

2年目 2021/6~2022

誘った人に、「まだやってんの笑?」と言われたり、既読スルーされたり、ドタキャンされたり。聴き手を集めるのに苦労した時も(今も笑)。
でも、続ける中でたくさんのつながりができた。
患者さんの中には僕と心と心・阿吽の呼吸でコミュニケーションを取れる方もいた。そんな患者さんたちが、次の患者さんへとご縁を繋いで頂いたことが、今にもつながっている。

そして「聴く」とはどういうことかを理解し始めた。

3年目 2022/6~2023

2年目までは「とりあえず初めて、なんとなく続けています」と言っていたが
それはあかんやろと思い、自分の中で「なぜやるのか?」の言語化を意識。

といっても、すでにある課題を解決するためにやっているのではなく、「患者さんのためにー」とか「より良い医療のためー」とかその辺に落ちている言葉では表現しきれないので、なかなか難しかったです。
終わりではなく、時間と共に変わっていくものだとは思いますが。

さらに、色んなところで手伝ってくれる人が増えた。これもホンマにめちゃくちゃ嬉しい&有難うございます!!!

一方で、ある患者さんとの別れも経験。
ゼロからの信頼関係を築き、命の炎が消えたその日まで。
1年と4ヶ月。心がつながるということを知れた。
本や映画では知った気になっていても、初めて経験した名状し難い感情が残ってた。

語りえぬものへの沈黙と考察

50人の患者さん(ご家族等も含め)の話を聴いた経験から、思ったことは色々ありすぎます。これまでの成果をたくさん並べてドヤることもできるのですが、あえて一つに絞るならば、哲学者ウィトゲンシュタインの「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という言葉を、僕はわりと大事にしてきました。

僕はがんや難病を患ったことはないので、患者さんの立場に立つことは現状できません。そして、究極的にその人の気持ちは語りえぬものと僕は考えています。

そのため、「わかるぅ〜」と安易な共感・同調をしたりしてもいけないし、
「あなたの苦しみの原因は〇〇なんですね。」とさっさと断定したり、こっちの価値観を押し付けたりすることはまずいと思っています。
また、「ええ話やわ〜」と満足してそれで終わってしまったら、患者さんの経験や思いの消費につながる危うさもあると考えています。

聴く・語る・対話するという行為は続けつつも
安易に結論を急いだりせず、不確実なまま、白黒つけず、沈黙をする。それでいて考察を深める。
これはネガティブケイパビリティという言葉でも言い換えられると思います。
「全く!何の解決にもなってないんじゃないかー!!」と一部の強者からは言われそうですが、特にシリアスな状況にある医師ー患者の関係性においてはけっこう大事な気はしています。

これはめちゃくちゃ体力というか心のエネルギーが入ります。そして残念ながら、できたからといって目にみえる何かがもらえるわけではありません。

しかし、人と人。語りえぬものの狭間にこそ、理解や共感(empathy)が生ずる余白があるのかな、とも思ってもいます。

暗い話が続いてる感じですが
会自体はいつもは和やかに、笑いもあり、楽しい時間が流れています。笑

経済なき道徳は寝言

この言葉は二宮尊徳が言ったとされています。
例え社会的に良いこと、素敵なことをやっていたとしても、誰かと何かをする、何かに時間を使うにあたって経済活動は必要な要素です。継続性、発展性を踏まえると、必ず必要になってきます。

いいことをやるにも、必要な分は自分たちで賄う自給自足生活を今後は目指したい!

※ここまで読んでくれてありがとうございます!
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