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【第48回】 雨の坂 脳腫瘍で娘を亡くされた父親

Medipathyという活動の振り返りです。
活動報告というより、僕が思ったことを本や映画などを踏まえて考察を深めています。ちなみに掲載順はバラバラです。
Medipathyとは主に、医学生が昨今の教育ではあまり機会のない、患者さんのお話を深聴き、語り合い、そして笑い合うをテーマに月に一度のペースで開催しています。
参加ご希望の方は、こちらのリンクのお問い合わせからどうぞー。

今回は脳腫瘍で娘さんを亡くされた父をテーマに書きました。


雨の坂

タイトルの「雨の坂」は司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の最終章からとりました。坂の上の雲とは、明治時代の近代日本の軌跡を描いた歴史小説です。

「雨の坂」では、明治という時代ともに育ち、駆け上り、日露戦争を終えた登場人物たちのその後が描かれています。

今回、脳腫瘍で娘さんを亡くされた父親(Sさん)のお話を聴く中で、雨の坂のワンシーンが思い出されました。それは主人公の一人である秋山真之が友人の正岡子規の墓を見舞うシーンです。

秋山真之と正岡子規は同郷で共に東京大学予備門(今の東大)に進学した仲です。
その後、秋山真之は海軍へ、正岡子規は新聞記者へとなります。しかし、正岡子規は脊柱カリエスによって若くして亡くなってしまいます。

程なくして日露戦争が始まり秋山真之は参謀として出征。
そして日本海海戦を終えて一息ついた秋山真之が、旧友の墓への至る道。
その道中は雨が降っており、傘をさしながらとぼとぼ歩く。そんな情景が、Sさんのお話を聴く中で目に浮かびました。

友人を若くして亡くした秋山真之、娘を若くして亡くした父親
立場こそ違えど、本人が感じているグリーフ(悲嘆)と旅立った人を弔う姿に重なりを覚えました。


子を亡くした親のグリーフケアについて

これまで、子供を亡くされた方々のお話を聞いてきました。
・20代の息子を白血病で亡くされた母親(Kさん)
https://note.com/ryu_nishioka/n/nae14f7f1273f
・12歳の娘を小児白血病で亡くされた母親(Aさん)
https://note.com/ryu_nishioka/n/n323ac36b36e2

今回のSさんで3人目です。3人の方々の話を聴き、深く対話する中で子を亡くした親のグリーフケアというものとはどういうものか、が少し自分の中で見えてきたものがあります。
僕自身子供を持った経験はないのですし、多くの方々の聴いたわけではないです。さらにグリーフについて大きな経験をしたことがないのですが、あくまでも僕の想像で進めていきます。

わが子をしかも思春期で亡くしてしまうというのは、思い出したくない過去なのかもしれません。
自分の中で大切な何かが欠けてしまったように感じるのかもしれません。
愛情を注ぎたくてもまるで底なしの海に沈められてしまったように何もできないのかもしれません。

そして、時というのは進む一方で待ってくれません。
否が応でも引き戻されてしまった現実についていかない心と体。
なぜか流れて止まらない涙。
ふとしたきっかけで蘇る記憶。そして後悔。

喪失体験を一意的に定義するのはできませんが、経験した人にしかわからないグリーフがあるのだと思っています。

そうしたグリーフに対する癒しというものは様々あります。宗教による癒し、自然による癒しなど。そんな中でも、Kさん、Aさん、Sさんは自身が始めた活動がグリーフケアの一助になっているのではと感じました。

KさんはHLAの基金を立ち上げられました。
Aさんはシフォンケーキを作る事業をしておられます。
そしてSさんは娘の体験を誰かに伝えるという活動をされています。
このどれもが尊く、頭が下がる活動です。

このお三方とも一心に何かに打ち込むというのが共通してらっしゃいます。グリーフケアにはいろいろな定義がありますが、この方々に関しては活動を行うこと、それ自体がグリーフケアになっているのだと思っています。

では、なぜそれが継続できるのか。
もちろん癒しという側面もあると思いますが、ある種のエネルギーというか情熱がないと継続は難しいのではとも思っています。そして、その情熱の源はどこからくるのだろうといつも不思議に思っています。

患者さんが活動する源

重たい病、辛い別れを経験した方々が前を向いて活動するエネルギーの源はどこにあるのだろうと考えた時、Medipathyでお話しされる患者さんは大体3パターンに分類され、それぞれ源が違うように思いました。わかりやすくするために山登りを例にとります。

まずは山の頂を目指し、顔を上げて前を向いて登っていくパターン
困難な障害はありつつも、周りは晴れ渡っていて、清々しい気分で登っていく。
未来を描きありたい姿を想像し、そこから今を生きるエネルギーをつくるという感じです。

こうした思いを持つ患者さんはMedipathyでお話ししていただきたい患者さん像とは離れているので、あまりいません笑


次は登山それ自体を楽しんでいるパターン
野辺の草、ふとしたことで眼下に見える絶景。ゴールを目指さないからこそ気づけ目に映る楽しみを楽しみつつ、寿命?そんなん知らんわ。今の享楽を楽しんでやるわ。という感覚です。
Medipathyではここがボリュームゾーンです。中年のがん患者さんや難病とともに生きてらっしゃる人に多い印象です。


最後に、雨の中で足元を見つめながら一歩一歩登っていくパターン
視界は悪く、時折転びそうになりながらも登っていく。
そこには達成したい目標や創りたい未来を目指して頑張るというよりも、過去を思い出し、旅立ってしまった方々とのつながりを実感し、それを日々の今この時エネルギーとしながら進むという感覚です。

今回のSさんのように子どもや大切な友人を病気で亡くした方はこのようなエネルギーが活動の源になっているのではと考えています。そして、日本的な文化にもあるお盆のお墓参りなどに現れているのではとも思っています。

もし、一日だけ会えたら

今回は僕がM Cではなかったので、あまり前に出しゃばらないようにしましたが、最後に一つだけ
「もし、Hさんに1日だけ逢えるとします。しかし、1日後には、辛い別れが待っています。Sさんは、逢いたいですか?」と質問をさせて頂きました。

するとSさんは
「逢いたいです。逢って、この3年間、パパとママとお姉ちゃんは、Hちゃんメッセージをずっと伝えてきたよ。安心してね、と伝えたいです。」と即答されました。

雨の坂を登って一息。
雨で濡れたお墓の前で、静かに手を合わせる情景が浮かびました。



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