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【雑談#4】洗脳みたいな教育の話

こんにちは、ryuです。
今回はタイトルにある通り、少しネガティブな話になります。
あくまで1人の大学生の雑談なので、軽く聞き流してください。

誰かの入知恵?

これは日頃からよく感じていることです。
友人と話していて、よく「ああいうのは良くない。こういうのは良い。」など物の良し悪しを決め付けたかのようなことを言われたりします。

例えば、高校受験のときに、「あの大学はこうだとか、この大学はここが良くない。」みたいな話です。
普段の会話では、こんな話はよくあることだと思います。

ただ、このような話をしていて感じることは、それは誰の意見なのかということです。
もちろんその話している本人が入念に調べて、物事を判断している可能性もあるでしょう。
しかし多くの場合、そういった意見はその人の親であったり身内から聞いた話を、自分の意見として話していることがあるように感じます。

他人の意見を参考にすることはもちろん悪いことではありません。
ただ、上記のようなシチュエーションでは、鵜呑みにしていることが多いと感じるのです。
なぜそう判断したのかの理由を聞いても、いまいちピンと来ないことを言われることが多いからです。

私の友人に聞いた話ですが、友人が幼稚園児のときにこんなことがあったらしいです。
幼稚園の卒業文集のようなものに、子どもが1人1人「大事にしているもの・世界で一番大事なもの」を書く欄があったそうですが、1人の子どもがそこに書いたのは「お金」だったらしいです。

そんな小さいときに、子どもが「お金」なんて書くとは思えません。
おそらく、親が普段からそういう話を子どもに、あるいは親同士で話しているのかもしれません。
推測の域を出ませんが、そんな気がしてしまいます。

自分の意見なんてないのかもしれません。
どの意見も、誰かの少しバイアスがかかった意見で、それを自分のものにしているのかもしれません。

躾について

特に子どもの頃は、物の良し悪しが判別できないことがあります。
そんな時期の、親や先生からの助言や説教などは、子どもにとって絶対的なルールになってしまう気がします。

皆さんにも、小さい頃から親に繰り返し言われていることがありませんか?
無意識の内に自分の昔からの意見のように、心に刻まれているものがあるかもしれません。

例えば、食べ物でも恋愛のことでも、結婚や就職など、様々なことについて身内から言われることがあります。

ある程度はしょうがないことだとは思いますが、躾や教育は子どもにとってその後の人生を通して心に残るものなのかもしれません。

成長とともに凝り固まる

成長するにつれて、人は自分に「合う・合わない」で判断することが多くなると思います。
それを繰り返す内に、自分の意見と信じるもの以外には関心を示さなかったり、反論したくなったりするのでしょう。
頭ごなしに他人の意見を否定するような人にだけはなりたくないと思っています。
ただその他人の意見が、自分の意見から真っ向から反対するものであったら、頭ごなしに否定しまうのかもしれません。

自分が今信じていること、正しいと思っていることを、本当に自分がそう思っているのかをもう一度振り返ろうと思います。

まとめ

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ただの戯言に過ぎない意見ですが、今回のお話は普段生活していて感じたことでした。
この私の意見も誰かが言っていたことなのかもしれませんね。

全ての人に賛同することなんてできません。
ただ、盲目的に信じることって少し怖いと感じてしまいます。
自分の視野を広げながら、これからも生活していきたいと思っています。
雑談は以上です。
ありがとうございました。

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